桐始結花(四)

 日が落ち、夜の辺りを支配して一時以上経った。初夏の夜に相応しい涼やかな風が酒に火照る頬を醒まし、睡魔なども遠くへ旅しているようだ。男達は各々宴の長期戦を感じながら舌鼓を打っている。
「でさあ、こっちもそろそろ種明かしして欲しいんだ」
「何でしょう」
「俺気になってたんだよね、姫のこと反対しない小十郎に」
 成実は例の政宗に似た切れ長の目を小十郎に向けていた。軽い口調とは裏腹に言い逃れは許さないぞ、とでも言いたげなその様に小十郎は静かに箸を置いた。
「流石に正室にって時にはびっくりして一言言ってたけどそれからぜーんぜんお小言もしなかったし。普段の小十郎だったら敗将の娘など傍に置いたら寝首を掻かれましょうぞ! ぐらい言いそうなもんなのにさ」
「俺も気になってたっす。評定で姫様を娶るって決まった後の宴でそれこそ下男や下女の末端まで筆頭と真田の話が広まってて。広まるとしても尾ひれがつくもんなのにおおよそ正確に広まってたんすよね」
「視線が痛いですな」
「さて、私は厠にでもいくかな」
「おっと、叔父上。叔父上も無理矢理引っ張ってきたのはこのためだよ!」
「ははは、これは逃げ損ねた」
「中年三人で何を画策していたのかな?」
「なっ」
「言ったでしょう成実殿、小十郎はまだ歳若いつもりなのです」
 含み笑いをする綱元に、お人が悪い、と思いながらも小十郎は居住まいを正した。
「言わぬ訳にはいかぬ様だ」
 小十郎は妻を呼び止めて棚の文箱を持ってこさせると、妻は妻で気色を察したのか何も言わず家人と共に引き下がり、この場には小十郎と客人たちだけとなった。
 静かになったその部屋で文箱から丁寧に一つ、文を取り出した。
「要害山城落城の前夜、俺の許に猿飛が来たのです。これを持って」
 成実は杯を置き、評定や軍議で見せる顔に変わった。
「そう、真田幸村からの文」
「!」
「……どうぞ」
 成実にも左馬之助にも酔いはもうない。差し出された文をゆっくり開き、読み進める。
 そこには猛将らしからぬ細やかな筆遣いで亡き将の思いの丈が綴られていた。文を送ったことに対する侘びから始まり、政宗と相対する喜びと覚悟、そして街道での縁に縋り妹の身を助けて欲しいというもの。そこには恨み言一つ書かれていなかった。
「街道での縁……あれか」
 以前、奥州は乱世の梟雄と謳われる松永久秀なる将に襲撃を受けた。家臣を人質に取られ、政宗の六爪すら奪われ当の政宗も瀕死の重症を負った。小十郎ら重臣は政宗の身を慮り一旦引く決意をしたが、運悪く街道に陣を張る真田隊と鉢合わせしてしまったのだ。政宗を屠るには絶好の機会だった。だが幸村はそれを見逃し、彼を、ひいては奥州を助けたのだ。
「政宗様の軍師として普段なら、熟考に熟考を重ねて一言奏上するか今後の憂いを考えて無視するところだが、……真田には恩がある」
 それこそ大恩だ。小十郎だけではない、成実はじめ伊達家に仕える者には政宗は誰にも代えがたい主君だ。
「それ故、あの時政宗様を無事にお戻しし、浚われた家臣と六爪を取り戻すことが出来た。そのこと御歴々はご周知のことと」
「ああ」
「あの男は、街道でこう申しました。情けではない、傷が癒えた時こそ勝負すると。――それを撤回してでも妹を助けたい。日の本一の兵、甲斐の若虎、紅蓮の鬼とまで言われた男の誇りも建前もかなぐり捨てたその願いを無碍に出来よう筈もない」
 小十郎は客人らを見回し、そして一度目を伏せた。
「だが軍師としては真田が散り、姫様を直接見るまで迷っておりました」
「見た後は?」
「綱元殿に相談しました。姫様は申し分ない御方に見えましたが、情に流されてこの私の目の色が狂っているやもしれぬ。だから冷静に姫様を見れる方のご意見が欲しかったのです」
「其方らしいな」
「私は見てみたかったのですよ純粋に。小十郎を悩ませそこまで言わせる娘とはどのような女子かと」
「こちらも其方らしいな」
 綱元の柔和の中にある怜悧さを思い出して政景は息を吐くように呟き、交代するように綱元は口を開いた。
「我らが奏上するべくもなく政宗様はお助けになったわけですが、私が暗躍したのはその後です」
「と言うと?」
「小十郎は助命の後は家臣に下賜になるだろうと思っていたようでしたが、私は姫様が気に入りましてね。菊亭晴季様の外孫にあたられると耳にしたときは思わず頬が緩みましたよ。すぐに武田の生き残りに確認をとりまして、政宗様に姫様のご素性を進言したのです。どう致されますかと申し上げたら、出家させる気は元よりない、他家には出せぬ、だが菊亭家に帰すにも惜しい、と仰られまして」
「正室発言はそこからか!」
「政宗様はことに真田殿の言葉を気にかけておられた。出家させる気はないとの仰せがその最たるもの。それならばお傍に上がるほうが良いのではないかと。小十郎は眉を吊り上げて止めてきましたが」
 区切れば、虫の鳴き声が包む。綱元は空になった皆の杯に酒を注いだ。
「私も引きませんでしたよ、真田殿の躯を前にしても我ら伊達には涙を見せなかったあの芯の強さ、何にも勝る代えがたいものです」
「綱元殿は存外酷いことを申された。もし正室として駄目なら白石に引き取り庵を結ばせれば良いなどど。それならば元よりご養女か下賜が良いと申し上げたまで」
「手のひら返し怖いっす綱元殿」
「戦場にて政宗様の背を守るのは貴殿らの役目、なれば内を守るのは我らの役目。非道も甘んじて受けるのは皆々同じはず」
「左様」
「私は外堀は固めましたが正室にすると口にされたのは政宗様です。政宗様の意を受けて私はすぐに京の菊亭家に遣いを出し、国許の政景様に文を送りました」
「それからは儂の出番よ。家人や伝をつかって噂を流しておいた」
「それで」
「あとは評定を通すだけ、それからは政宗様と姫様次第。――だが噂は恐ろしいな、良いものも悪いものも実しやかに流れてゆく。御側室に使われたときはあられたと思ったものよ」
 片倉家で漬けた梅干を頬張り、政景は少し眉をひそめる。綱元も静かにニ、三口程粗菜を突き、小十郎は正座をしたまま何か感慨に耽っている様子だ。成実は文を左馬之助に手渡し言った。
「よく分かったことがあるよ」
「何でしょう?」
「中年は性格が悪いって」
「ぬっ」
「ぶっ」
「小十郎、最早諦めよ。其方も片足突っ込んでおるわ。左馬之助も笑うでない」
「は、」
「結局、裏でこそこそやっていたのは綱元と叔父上ってことか」
「口に出さなかっただけでも小十郎は大任を果たしたと思いませぬか?」
「確かに、小言大王だもんね」
「ぐっ」
「ぶふっ」
 後で覚えていろ、竜の右目は物騒にもそう考えながら左馬之助を睨め付ける。対する左馬之助は唾が飛び散らぬようにそっと文を閉じていた。
「成実殿、小十郎だけでなく我らも真田殿には恩を感じております。家臣としての思惑はあったにせよ、それ故の行いであったことお忘れ下さいますな」
「俺だって恩は感じているよ」
「筆頭に伸されるのを承知でずけずけ言ってたっすもんね」
 政宗とのこと、とかく夫婦のことは家臣の垣根を越えてはどうしても言えぬ事だ。言える人材というのは実のところ成実ぐらいしかいなかった。成実が苦言し、それが険悪になりそうであるなら左馬之助が場を和ませる。この二人は実にうまく機能していた。
「存じております」
「文のこと、御歴々におかれては他言無用に願います。政宗様こそ、街道の件には一方ならぬ想いがあられたはず。ですが国主であるならばそれに目をつぶり推し進めねばならぬこともある。この真田の文にしても、政宗様を恨む文言はひとかけらもなかった。国主として、将として二人はただ刃を交えたのです」
 幸村があの時見逃さねば亡国となっていたのは奥州であったろう。国を窮状に導いた責が自らにあると主君と国への背信に心悩ませ、その罪に妹は巻き込めぬと藁にも縋る想いでこの文をしたためたのかも知れない。すべては推測のこと、彼は語らずに散っていった。
 この乱世、生き残るには政宗のような狡猾さも、そして人の心を掴むには真田幸村のような高潔さも必要だ。政宗は後悔はしないだろう。いや、後悔しようと止まることはない。なんと言われようと彼自身で踏み込んだ道であるのだから。その上で天下を目指し、を愛していくのだ。
 後年、がこのことを知る機会があるかもしれない。でも彼女はあの眸に涙を溜めて微笑むだろう。兄はそういう人だと言って。そうして孤高になる政宗の心を救い上げるのもまた彼女なのだ。小十郎には確信に近い想いがあった。

 五人は誰ともなく再度杯を手にした。主君夫妻の幸せと、真田幸村に敬意を表して。

- end -

2012-02-18

本編全五十八話、最後までご高覧頂きましてありがとうございました。最後にちょっとした後書を設けました。ご興味のある方はどうぞご覧下さいませ。
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