桐始結花(三)

 同僚らと共に、主君とその正室の傍に控えていると思いがけぬものが出てきた。正室に宛てられた亡き真田幸村の文。自身その存在を知らなかったようで酷く驚き、そして涙した。
 同僚らはその内容に興味をそそられたようだがそれを聞くには憚られる。綱元と二人、例のごとく成実と左馬之助を引きずって御前を辞したのは二刻程前のことだ。
 小十郎は拝領した屋敷の居室で寛ぎながらふと息を漏らし、今日はご機嫌がようございますね、という言葉と共に妻が置いていった茶を啜った。妻は大分年下だがよく出来た女で、常時眉間に皺が寄りがちな自分の気色を瞬時に見分ける。そして何があっても聞かず出しゃばらない。それが過ぎて逆に自分から話すことがあるくらいだ。結婚すれば変わるとはよく言ったものだ。己然り、主君政宗然り。
「あなた」
「どうした?」
「お客様がお見えにございます」 
 気づけば奥向きの指示の為に下がっていたはずの妻がすぐ横に控え、少し離れた客間からは聞き知った声がする。
「ああ悪い。肴、すぐに用意出来るか?」
「諸事万端お任せくださりませ」
「大きく出やがったな」
「はい」
 妻は婚前小十郎が愛したそのままの笑顔で答えると、すっきりとした身のこなしで立ち上がり厨の方へ向かい、小十郎もまた我が身が礼を失しないなりであるのを確認すると客人の待つ客間へと足を運ぶ。
 そこには予想通りの人と、そうでない人が居て小十郎を驚かせた。
「これはまた、政景様まで」
「すまないね、邪魔しているよ」
「どうぞ、大したおもてなしも出来ませんが」
「気にするな、大勢で突然押しかけたのはこちらだ」
「小十郎様、今日は酒も沢山持って来たっすよ!」
「……左馬之助、てめえそりゃ軍神が政宗様にと贈ってきたやつじゃねえか!」
「大丈夫! くすねたのは綱元と叔父上だから!」
「内緒だと言ったではありませんか」
「えーあー毒見っす! みんなで! ついでに元信殿も共謀っす」
「俺は急に金蔵の警備が心配になってきたぜ」
 小十郎は聊か大げさに頭を抱えてみせ、そして笑った。当然のことながら、小十郎ら家臣団もしばしば内輪の宴はする。前もって準備する場合もあればこのように突然訪れて飲み明かすのだ。前回は甲斐攻略の後綱元の屋敷で行ったであろうか。その後は戦後処理と主君夫妻のこと、そして織田襲撃に追われて久しくしていなかった気がする。
 だが今日は皆その気になったのだろう。致し方ない、あのような場面に出くわしては。あの場に居なかったのは政景だけであったがきっと綱元から話がいったのだろう。
「元信もてっきり来るかと思ってたのに」
「彼奴は何やら、新しく金子の使い道を組むのに忙しいようですよ」
「それはまた。はて、だがすぐに出陣するようなことは政宗様は仰っておられぬと思うが。備えは重要ではあるがな」
「いえ政景様、そうではないのです。あれはどうやら姫様の御化粧料の増額に余念がないようで」
 小十郎が円座に腰掛ける間、成実、政景、綱元がそんな話をし出した。当のは増額されたところで使い道に困るであろうが。
 あいつは姫様贔屓だからな、と昨年の夏から部下達がよく言う”ぱんちの効いた”髪型になった執政奉行の顔を思い浮かべれば苦笑せざるを得ない。
「御側室に割かれていた分がなくなったっすからその分を回せばよろしいのでは?」
「外聞があるからな、そうは簡単にいかぬであろうよ」
 つい先日、残っていた側室二人から暇乞いが出された。二人とも望み薄ととったのだろうか。一人は病を理由に、もう一人に至っては姉が石女であった故、自身も石女であるかもしれぬと実家から引き下がらせたいと申し出があったのだ。
 そこまで捨て鉢になってでも下がりたかったのだろうか。特に石女などという理由は若い女なら今後にも関わることである。彼女らは本当に政宗を愛していたのかもしれない。仲睦まじい二人を直視できず去りたかったのではなかろうか。
 現実は厳しく残酷だ。結ばれる者もあれば当然、破れる者も居る。もし愛すれば必ず相愛になるのなら人の世はとても生き易いのかもしれない。だが結ばれたのはであり破れたのは側室らだ。生きている以上人はすべてが綺麗に生きられる訳ではない。は愛を得たが図らずも恨みを買ったかもしれず、側室は愛は得れなかったが憎を得たかも知れない。を守るのも、側室の憎を晴らすのも政宗の今後だ。
 いずれにせよ、しばらくすれば政宗から良縁が組まれるであろう。望む望まずに関わらず。
「あの二人も美人ちゃんだったんだけどねー」
姫様への嫌がらせに加担なさらねば政宗様も暇願いをご了承するまではなさらなかったでしょうが」
「仕方あるまい。政宗様は女子の謀をいたくお嫌いになる。その御腹に奥州筆頭の後継を宿されるかも知れぬようなお立場の方が簡単に靡くようでは奥方の器にも御世継ぎの母の器にもならぬ」
「叔父上も手厳しいね」
 黒脛巾組の報告では最初に辞した側室に半ば脅された形で加担した部分もあったようだが、だからこそ加担してはならなかったのだ。本当に力なく脅されるまま従うしかなかった付きの侍女とは立場が違う。実家の大小はあれ同格の側室という立場にあるのなら、やはり突っぱねる程の強さもなければ政宗としても子を託す訳にはいかない。喜多が以前、側室達では奥が纏まらない、と言ったのはこの個々の弱さを指摘するものでもあったのだ。
 皆が想を練り始めたところ、程よく家人が杯と肴を運んできた。小十郎が趣味で育てた多数の粗菜をはじめ真菜も並び、遅れてきた妻が汁物と姫飯(ひめいい)をよそうと綱元が感嘆の声を漏らした。
「これはまた、豪勢だね。ありがたく頂くよ」
「あ、鮭じゃん、時鮭いいねー」
 客人達は満足げに舌鼓を打ち、対して小十郎は味噌汁に口をつけ目を見開いた。
 この味噌汁、大豆味噌だ。普段なら糠味噌を食す片倉家には高価な大豆味噌などあまり馴染みがない。真菜の時鮭にしてもそうだ。いつの間にこんな用意をしていたのか。片倉家は伊達家より一城を預かる身ではあるが家長の小十郎は元来粗食で豪勢なものは食さないし家人もそうだ。
 妻は相変わらず酌に忙しく、客人の前で問う訳にもいかない。
「美味しいよ、片倉家ではいつもこんな美味しいご飯を食べている訳?」
「成実殿、お人が悪い」
 皆、小十郎の粗食は知っている筈。からかわれているのは分かっている。妻は後ろで、喜んで頂けますなら嬉しゅう御座います、と笑顔を振りまくばかりだ。だがそのうち小十郎の視線に気づいたのか少し神妙になってこう告げた。
「種明かしを致しますと旦那様が戻られる前に義姉から大豆味噌が届きまして、それから戻られた旦那様のご機嫌が宜しかったのできっと御めでたいことがあったのかと……」
「なるほど、それで膳の用意をしておいたという訳だね」
「左様に御座います」
「やだなー、城でもここでも新婚の気に中てられるなんて」
「成実殿も早よう嫁取りをなされば宜しいのです」
 途端、ばつの悪そうな顔をする成実に酒にありついていた左馬之助も目を逸らす。この中で未婚はこの二人だけだ。
 やっと反撃の機会を得た小十郎であったが、政景の笑顔に伏されることになる。
「はは、片倉の女子の連携も凄まじいことよ。小十郎、大変だね」

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2012-02-11

小十郎には十歳くらい離れた幼な妻っハァハァ
奥様はきっと夢主と同じくらいか少し上。がイイ!
……ゴメンナサイ。

大豆味噌はなかなか手に入らないのは文中に書いたと思います。
でも大名や上級武士もそうなのか心配になったのですが、井伊直政と大久保忠世の逸話や、某権現はンコ漏らし事件の時もこれは糠味噌だ!と言い張ったとあるので大名クラスでも糠味噌に馴染みがあったのかなと思った次第です。