「今日から梵のこと馬鹿梵って呼ぶね」
御披露目の儀も終わり御小書院に戻った政宗に、年下の従弟はそう言った。
「An?」
「俺今日は大叔父さんとして話すからね」
政宗の一睨みもどこ吹く風で、いつになくじとーっとした眼と反抗的な気を隠そうともしない。子供の頃ならいざ知らず彼がこんな顔をすることは滅多にない。それだけで珍しく彼が本気で怒っていると察するには十分だ。成実は彼の父の血からみれば政宗の大叔父で、母の血から見れば政宗の従弟だ。普段は大叔父と言われるのは堅苦しいと嫌う彼がわざわざこう言うのは怒りの表れなのだろう。
成実が礼儀をわきまえず何かするときは大抵窘める小十郎も今日は溜息をつくばかりだった。
「何を言いたいか知らねぇが、お前、主君の婚礼の夜に出歯亀たぁいい度胸だな」
「気付いてた? って違う。梵がわざわざ匕首返そうとしてるって話聞いて慌てて行ったんだよ。――行ってみれば梵はわざわざ姫を挑発するようなこと言ってるし、錯乱した姫が暴挙に出ないように見張ったの」
「俺が遅れを取るとでも思うのかよ」
「それはないけどね、彼女が本当に刃を構えるなら最悪切り捨てないとって思ってたよ。梵に正妻を斬らせる訳にはいかないでしょ」
成実はこういう男だ。物腰の柔らかさと口調で皆気付かぬことも多々あるが戦場では猛将であったし、一門の中でも政宗第一で自分の手を汚すことは厭わなかった、女子供でも切り捨てる気概も持っていた。だから信頼もしたし重用もしたが、彼にそれをさせるのは政宗の本意ではない。
「成実」
「ハァ、本当はねあの場で梵に”ちょっぷ”ってのかましてやりたかったよ。あんなこと言うも愚かなのは勿論、泣いてる姫なんで抱きしめてやらないの? 起きてたんでしょ何で放置なの? 何も言わずに衾の中にいれてあげなよ、それが粋な大人の男ってもんでしょーが」
「行こうとしたが、アイツは俺が嫌で離れて泣いてたんだぞ。泣き顔見られたくないんだろうよ。最後は結局戻ってきたじゃねーか」
「逃げ出せるわけないからでしょ。可哀想に、どんな気持ちで戻ってきたんだか」
「……」
昨夜、話を一方的に打ち切りを衾に入れた後、自身も横になったが政宗も寝付いてはいなかった。背を向けてはいたものの本当に斬られては話にならない。様子を伺っていれば身を起こすのが分かった。何をしでかすかと一瞬身構えたが、彼女は自分の衾を持って隣の間の襖の後ろに逃げてしまった。泣いているのはすぐに分かった。自分と同じ褥の中で泣かなかったのは彼女なりの強がりなのだろう。
『私のせいで、死んっだ……、なのに今更っ……』
搾り出すような声にこれ以上ないくらいの居心地の悪さを感じたのは事実だ。考えあぐねるうちに彼女は戻ってきて、自分に背を向けて横になったが時折震えていることにも気付いた。
結局、そのまま朝を向かえ泣き腫らした目の彼女と挨拶と朝餉を済ませ御披露目の儀に向かい、会話らしい会話はひとつも出来なかった。
努めて端然と振舞う自分、その後ろで目許の潤んだが嫋やかな所作で付き従えば、何も知らぬ外野の目には似合いの夫婦だと映ったらしい。昨夜はうまくいったのだと邪推する者達の声も聞こえた。の耳にも入ったようで当惑する彼女の気配に苛ついて声の方を思いきり睨み付けもした。
それは国主が新妻を庇う姿にも見えたかも知れないが完全な八つ当たりだった。実際はうまくいっていないし、元々うまくいかせる気もなかった。だが人間言われると腹が立つのだ。
「言っとくけどね? 姫がああなのは梵のせいだよ。最初に梵が先制ぱんちかますもんだから姫萎縮しちゃってるし自分のことを責め続けてるんだよ? それを物騒な言葉で突付いてさぁ」
政宗がいつの頃か教えた異国語を交えながら懇々と言い含める成実と、難しい顔をして、だが一言も発せぬ小十郎に昨夜とは違った気まずさを感じながら掻い膝を組み悪態をついた。
「なんだお前ら? 今まで他の女を如何こうしようが何も言わなかったじゃねーか」
「そうだけど姫はダメ」
「なんでだよ」
「わかんないなら言わない。自分で気付いて。てかなんでわざわざ予防線張るようなことするんだよ」
「予防線?」
「自覚ないの? ハァ……」
「……俺を恨んだ方が楽じゃねえか」
不思議と、成実に言うよりに言った気分になった。正室にして俗世に留め置いたのは自分だ。彼女の兄を、主君を、国を奪ったのも自分だ。ならせめて、自分を恨むことで生きる糧を持てたほうが楽なのではないか、そう思ったのだが。
「あの子はね、静かに暮らすことで心に折り合いをつけようとしてるんじゃないの?」
あれこれと思案する政宗の様子に何度目かの溜息を付きながら成実は言う。
「梵、梵が聞きたくないだろう事をあえて言うけど、あの娘は義姫様じゃないんだよ。真田の妹だけど真田みたいに熱くもないんだよ」
「どうだかな」
「――姫とうまくいこうがいくまいが梵は彼女の生殺与奪を握ってるんだ。今のままじゃ居た堪れなさに姫雁字搦めだよ。死なさないだけが真田との遺言なの? そう思ってるんだったらさっさと小十郎にでもやっちゃいな。じゃなきゃあの娘生きながら死ぬよ」
「成実殿!」
「まあ、これは俺言いすぎ。ごめん」
「そんくらいでキレるくらいならお前と長くつるまねぇよ」
「あんがと。で、要はさ、必要以上に身構えないで優しくしてやれってこと」
「優しくねぇ……」
そう言いつつも政宗はそれ以降反論しなかった。手酷く扱うつもりはないが、確かに優しくするつもりもなかった。今まで女のことに口出しするのは小十郎、綱元ぐらいで、成実は一言も言わなかった。彼にそこまで言わせたのは見るに見かねる部分が大きかったのだろう。
自分の目の届く所に居れば何も期待するつもりもない女だ。しかし折角助けた命だ、殊更締め付けるのは本意ではないし、昨夜のようにあんな声で泣かれるのも耐え難い。成実の言うとおりにするのは癪だが少しだけ対応を変えてみるのも良いかもしれない。政宗は手元の煙管を弄びながらそう考えた。
「取り合えず馬鹿梵だけはやめろ。殺すぞ」
一通り演説を終えた成実を待っていたのはその科白と主君が得意とする技の一発だった。尤も、威力は鍛錬の時の何分の一かで大怪我を負うほどではなかったが見事庭に吹っ飛んだ。腹に響く轟音を聞きつけた伊達軍の荒くれ達が何事かと駆けつけたが、甘噛みされちゃった、と彼は笑った。
「成実殿、大事ありませんか」
「うん、あれは梵の照れ隠しだよ。正直大きなお世話ってキレられるかと思ったけど」
小十郎に差し出された手を取り、よっと立ち上がると政宗によく似た切れ長の目を向ける。
「俺が言うのはここまでね、後は様子見、じゃないと次はほんとに六爪出てきそう」
「否定は出来ないな」
「行こうとしたねぇ……ふふーん」
庭に飛ばされたのにどこか上機嫌で成実は軽快に歩いていった。
あれは心配半分、いや四分の一程度であとは楽しんでいるな……と、小十郎はまた溜息をついた。
- continue -
2011-06-28
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