寒蝉鳴(一)

 婚礼の夜から一月、政宗がの許を訪れることはなく、また呼ばれることもなかった。喜多や侍女頭は気を揉んでいたがあのやり取りがあった今となっては、自身はその方が気が楽だった。
 加えて政宗の来訪に気を揉む以前に奥御殿の主として覚えることが多々あった。決まり事や管理、人事の采配など奥州筆頭伊達家の奥となるとそれなりに忙しく、余計なことを考えなくて済んだといったほうが正しいかもしれない。
 程なく仕事に慣れた頃には栽松院から贈られた品々が心を慰め、また喜多の気遣いから伊達家の書庫を自由に行き来することが出来るよう政宗から許可を取り付け、手持ち無沙汰になることも無くなっていた。
 それでも毎夜一人寝をする時は我に返り、その暗さに比例して心も沈み眠れない夜を繰り返した。そうなってもは誰の前でも一言も愚痴も弱音も吐かないようにしていた。意地を張っている、その自覚はあった。
 時折、政宗の遣いとして訪れるのは例の四人で、筝、花道、茶道、歌道、裁縫などに一定の才を示すに専ら、政宗様もお喜びです。良い姫御前となられましたと誉めそやし、
ただ喜多と侍女頭だけが一人になればふらりと兄の仏前に佇み、日に日に食が細くなっていくの身を憂い一層世話を焼いていた。

 八月、梅雨が明けたかと思えば一月ばかりの真夏日が続き、九月には緩やかに秋が顔を覗かせるという。
 今日、の許には政宗の遣いとして大量の反物やすでに仕上がった打掛を持参した小十郎が来ている。ぽかんとするに竜の右目と呼ばれる男は至極真面目な顔で言うのだ。
姫様、奥州の夏は短うございます。早いと思われましょうが有るに越したことはありません。これは政宗様からのお心遣いにございます」
 見れば冬の御衣裳だという。白地の打掛に蔦や雪輪文様をあしらったものや、蝶をあしらった華やかなもの、季節に合わせ菊を配したものなど様々だった。
姫様にと政宗様お手ずからお選びになったお品です。どうぞお納めくださいますよう」
 こんなにいらない、とが言うのを見越しての牽制だろうか。政宗の名前を出されては断るに断れない。
 それにしても、とは思案する。政宗が選んだというのは本当だろうか、あの人が自分に時間を割くことが信じれなかった。並べられた品々は華美ではあるが嫌味のない柄
が揃う。そういえば政宗自身が纏う小袖や胴服も趣味の良いものばかりであった。あれも彼自身が選んでいるのであろうか。彼が打掛を選ぶ姿が像を結ぶと思わず手を口に当てた。
「何か、お気に入りはございましたか?」
「どれも綺麗で……衣装負けしてしまいそうです」
 本当に目が眩んでしまいそうだった。色といいその生地といい見事な刺繍に着こなせるかどうか本気で心配になる。小十郎は珍しく目を細めて微笑み、姉である喜多と示し合わせると穏やかな口調で勧めてきた。
「きっとお似合いになりましょう、ご謙遜なされますな」
「なにか合わせて見られますか」
 が最初にいらないと言わなかったことが嬉しかったのか喜多も身を進めてくる。気落ちしがちな自身を気遣う二人の顔を曇らせるも忍びないと思い、は遠慮なく頂戴することにした。
「では、雪輪文様のこれを、秋口にはこれを着させて頂きます」
姫様は雪紋がお好きにございますか?」
「ええ、好きですし、雪は豊年の象徴ですから稲の収穫の時に着ておこうかと。験を担ぎですけど」
「まあ姫様」
 武士も下々の者も米がなければ生活が成り立たない。攻め込まれれば国力を削ぐ目的として一番に田畑が荒らされた。故に、上田では兄は田畑の保護には細心の注意を払い、収穫時期には戦もそして日頃の鍛錬すらやめて領内を見回っていた。お忍びで出かける事もあったが、表立って城の外に出してもらえない女達はこういった験を担いで豊作を祈ったものだ。にとっては普通のことだったが、小十郎も喜多も一頻り感心して見つめてくるのでとてもこそばゆい気持ちになってしまう。
「年明けにはそちらの雪持笹を――あら?」
 次に手にした打掛は笹に雪が積もったいわゆる雪持笹文と言われるものだった。緑が殆どなくなる冬の時期に茂らせる常緑樹は命の象徴であり豊年を兆す瑞祥として愛されている。その年の豊作を願い纏うならこれ以上にない文様なのだが。
「雀?」
 は思わず首を傾げる。その雪持笹文には雪と笹を傍に雀が配されていた。雀は難を啄ばみ、子孫繁栄の吉鳥だ。だが田畑を考えれば害虫を食べてくれるが稲も食べる。気をつけなければ稲を食い尽くされることだってあるのだ。そう考えると手放しに吉祥文様だとは言えない気がする、が。
「――雀が食べる分があるほど豊作になるようにということなのかしら。政宗公がこれを選ばれたのなら尚の事これは年明けに着させて頂きますね」
 雀を目に留めて心持ち固まっていた風な小十郎と喜多もその科白に勢いよく頷いた。
「さあさ姫様、こちらの打掛も一等華やかにございますよ。合わせてご覧下さいませ」
 気を取り直すように喜多はそう言って菊を花車に乗せた文様の打掛を肩に合わせてきた。その言葉通り、御所車に乗せられた菊の柄は美しく華やかだ。
「よくお似合いでございます」
「そうでしょう小十郎、姫様が御衣裳に負けるなんてありえませんわ。花のように可憐であらせられます。女子は華やかで美しいのが一番。うらやましゅうございますわ」
「ありがとう、でも」
「でも?」
「花とは殿方のことだと思います」
「まあ何故にございますか?」
「殿方は戦場で咲き散りゆく、徒花……と申しますでしょう? 女子は涙を雨土に変え、その花冠を受けて根を張って大樹になり若木を芽吹かせねばなりません」
 滅んでいった家、国を持つ女達は皆そんな思いをしていたのだろうか。彼女達のように自分は大樹になれるだろうか。言いながらは悲しくなった。
 幸村の勇名を聞くたびに、兄が己が力と本質を発揮できる場所は戦場なのだろうと思った。強い兄は誇らしかったが、虎の若子と、紅蓮の鬼と、名が通れば通るほど遠くに行くように感じたものだ。徒花どころか花火のようにいつか居なくなるのではないかと怯えた日々は現実となってしまったが。
「片倉殿」
「はっ」
「真田幸村はあの戦で花を咲かせることが出来たのでしょうか」
「その名に恥じぬ、紅い大輪の花を咲かせられた。この小十郎も日ノ本一の兵の闘いぶり目に焼き付けております」
「ありがとう。――つまらないことを言いました。……ごめんなさい」
 せっかく和やかに話せていたのに、は心に湧き上がる万感の思いをとうとう止めることが出来なかった。知らず知らずのうちに婚礼の夜、政宗に返されたあの匕首に手を添えて目を伏せる。
「お気になさいませんよう、お気持ちはご尤もでございます」
 そう言いながら小十郎は居住まいを正し、そうして真っ直ぐにを見つめた。
「この小十郎が望むのは、姫様のお気持ちを政宗様にかけて差し上げていただきたく」
 喜多も口を噤み視線を合わせてくる。
「今すぐではなくてもいずれお互いに」
「片倉殿……」

 小十郎が辞した後、衣桁に掛けられた新しい打掛の前に立ちは独り言つ。
「どうしたらいいの……」
 政宗がこんなに気にかけてくれるのは兄に対する敬意と義務感からだ。決して自分に対する情愛からではない。竜の右目もわかっているはずなのに。今のままで良いのに、ただひたすら残った罪を償うだけでいいのに。あの夜のように仇とみて殺せと言うのなら、そう思っているのならこんなことをしないで欲しい。見当違いの期待を抱かせて突き落とさないで。

 政宗の一挙手一投足が恐ろしくて、の中で婚礼の夜の彼の言葉が何度も反芻した。

- continue -

2011-07-02

雪持笹文に雀が配された帯が実際にあるようです。
ネットで得た知識しかない管理人なので細かいことは知らない子なのであんまり突っ込まないで下さい。
そういえば大河(独眼竜)での愛姫の打掛にも雪持笹が配されてました。人気柄だったんでしょうか。