寒蝉鳴(二)

 政宗が小十郎を介して正室に西陣や辻が花の気を尽くした打掛を贈ったという話は数日も立たないうちに奥御殿に広がったようで、奥のそれぞれの役職の者達からの扱いがにわかに柔らかいものになっていた。不当な扱いは受けてはいなかったが、古参の側室がいるところに他国から後ろ盾のない正室が来て、政宗の渡りもなく加えて左右を喜多と侍女頭に守られ殆ど外に出ない相手に、実情が掴めぬ彼女達も扱いに困っていたのであろうが。
 付きの侍女達は浮き足立ち、奥への遣いにも心なしか笑顔でこなしている。一体誰が漏らしたのかと訝しむに侍女頭が笑いながら告げてきた。
「それはもう姫様、奥の者達は姫様の動向は気にかかるもの、誰彼分からずとも人の口をついて出るものですよ」
 それでは不特定多数に監視されているようなものだわ、と思いながらその言葉は喉の奥に収め、気取られぬよう香木を仕舞っていると広縁の方で喜多が座し畏まる。
姫様、鈴木元信様がおいでです」
「鈴木殿?」
「伊達家の重臣で優秀な能吏でいらっしゃいます。政務はもちろんですが財務などのやりくりが上手なお方です」
「そんな方が私になんの御用なのかしら」
 そう聞けば奥向きの用件だという。待たすのも礼を失すると招き入れると見るからに算盤を弾くのが似合いそうな男が入ってきた。彼がその鈴木元信なのだろう。挨拶もそこそこに元信は言う。
「季節の変わり目故、本日は商人達が奥御殿の方々の為に反物など誂えて来ております。どうぞ姫様もお好きなものをお選び下さい」
 は思わず喜多と侍女頭と顔を見合わせる。
「商人が来ることは存じておりますけど、私のものは先日政宗公より一通り揃えて頂いたばかりです。どれも見事でこれ以上は……」
「え、しかし姫様の御衣裳分の化粧料には手が付けられておりませぬが」
「え」
 図らずも今度は元信と顔を見合わせた。元信は一瞬何か考えた風だったがすぐ気を取り直して陳述する。
「出来ますればそれとは別に何かお買い求めくださいますよう。政宗様のご正室が何も買われないとなるとなればお方様付きの女中達も皆買い入れを遠慮してしまいます。また政宗様のお耳にはいりますれば商人に不手際でもあったかとお気になさいますでしょう。僭越ながら多少なりとも着飾られるのは正室としてのお勤めかと存じます。――すでに他のご側室方はお好きなほどお手にとられておりますし」
「わ、かりました。喜多殿、買い足すとしたら何がいいと思いますか?」
「そうでございますねぇ……。姫様は奥州の寒さはご存じないので白小袖や下小袖などは厚手のものを揃えておいたほうがいいかもしれませんね」
「ではそれを」
「あのう――僭越ながらそれではまだまだ……」
 まだまだ、購入しなければいけないらしい。甲斐や信濃への遠征で大量の金子が入用の筈なのにもっと買えと言う。家格に合う買い物をしろということなのだろうか。
 実家真田家は質実剛健を旨とし、贅沢とは無縁だった。絹を買うより駿馬を買い、金があるならより優秀な忍びを求める、そんな家だった。母の実家菊亭家に援助する程の余裕はあれど自らは体面を保つ程度で、家の中で一番金を使うであろうはずの女主人である母は公家育ちで雅なものにも詳しく趣味は良かったが、実家に比べれば今ある生活で十分とそれ程の贅沢はしなかった。
 それが当たり前であったから奥州に来て驚いた。の常識を覆すほど悉く贅沢なのだ。 伊達男と持て囃される夫の気概からか自分の元に贅沢な調度品や先日のように打掛が持ち込まれる度、どれ程の金があるのかと目を白黒させるしかない。
 武田と同じ有力大名だから当然といえば当然なのだが、奥州の豊かさは一等だった。海から得る利、金脈から得る利、広大な土地になる黄金の穂が奥州を大いに富ませていた。冬は雪が酷くて何も出来ないのです、と喜多は笑ったがそれを補っても余りある。
 甲州と信州のほとんどを統べた武田は他国が喉から手が出るほど欲しがった大きな金山もあり領地も広くは在ったが、山に囲まれた地形、海を得ることのなかった領土は奥州伊達から見れば石高で見劣りした。石高だけではない、四方を敵対勢力に囲まれた武田は、常に戦をしなければならなかった。連戦に疲弊し、有能な家臣が散ってゆく中で伊達と交戦する羽目になった。財はあっても動かす人手がない、思えば武田の滅亡は必然だったのかもしれない。

 気鬱な分析を頭を振るいながら隅に追いやり、何度も考えを巡らせたが欲しいものなど思いつかない、元々贅沢をするような環境下で育っていなかったから仕方がない。それに今は亡き国を思えばどんなに煌びやかな反物を目の当たりにしたところで伊達の金子で殊更贅沢をする気には毛頭なれなかった。
 それならばと一つ提案をすることにした。
「鈴木殿、どれ程私に割り当てられているか知らないのですが打掛一枚くらい買えますか?」
「一枚など言わず五でも十でもまだまだ」
 そんなに! と心中驚嘆しながら乱れ箱を横によけた後、端座して続ける。
「それではその金子で木綿や麻を買ってくれませんか?」
「木綿と麻でございますか?」
「正直に言うと本当に欲しいものがないのです。でも何か買わないと伊達の体面も呉服商人の体面もあるでしょう? なら必要な物に使えばいいと思うの。合戦するにものぼり旗に木綿が大量に必要でしょうし鉄砲の火縄にも使うと聞きます。兵が傷つけば治療に麻布もいるでしょうし」
「なるほど、それで木綿と麻なのですね」
「ええ、それから喜多殿から聞いたのだけど奥州の冬は酷く寒くて農村にお仕事がないのでしょう? なら布の仕立ては農村にお願いしたらいいと思うのです。そうしたら女中達の仕事は増えませんし、冬の農村にお金を出せるし……。それに木綿はこれから値段が上がると思うの。産地だった三河も駿河も――甲斐も滅んでしまったから」
 織田に抵抗をしていた徳川が滅ぼされたのはつい先日のこと、国内有数の綿花の産地であった三河の田畑は焼かれ焦土と化したと聞く。
 心に沸いた悄然を気取られまいと口元に月を描いて、どうでしょうか? と問いかけた。政務財務に明るいと評された能吏は一呼吸置いて、主君の正室と同じように口元に月を作った。
「いや驚きました。使わないだけでいらっしゃるならどうお諌めすべきかと思うておりましたが」
「それでは木綿と麻を買っていただけるのですね」
 は心底安堵した。これ以上買い物に頭を悩ませなくて済むのだから。必要な所に金子が回るのだ、小十郎や綱元からも物言いは来るまい。
「やりくりが某の腕の見せ所とはいえ、此度は嵩みました故軍備その他もろもろ如何しようかと思うておりました」
 笑顔の次に、ほんの少し悪戯の算段を相談するような表情を湛えて元信は言う。
姫様、木綿や麻を買うだけでなく、甲斐でもう一度育ててみるのはどうでしょう? ご協力頂けませんか?」
 喜多や侍女頭がまあ! と声を上げた。荒らされた木綿畑の復興に化粧料の何割かをそちらに回したいという申し出だと気付いたのだろう。喜多達には悪いが、身に余る贅沢から脱却したい身には好都合だった。
「どうぞ、鈴木殿の良いように差配してください」
「鈴木殿! 流石に厚かましゅうございますよ! それでは今後の姫様の御衣裳料は如何するのです」
 喜多の剣幕もどこ吹く風でのほほんと元信は答える。
「あ、いや、喜多殿、問題ありません。姫様の御衣裳料ならきっと政宗様がご自身の持分からお出しくださいますよ。というか出していただきます。最近某が財布の紐を締めておりました故十分にありますしね」
「あらまあ」
 あらまあじゃない! 予想外の展開には内心叫んだ。よりによってそこで政宗に話が振られるとは思いもよらなかった。夫とはいえ政宗はこの世で一番苦手な殿方だ。出来れば必要以上に接触したくない。ましてやこれ以上彼の負担の中に自分の比重が増えるのは苦手云々の前に気が差して堪らない。
「それならば問題ありませんわねえ。お話の種が出来てよろしいかもしれません」
「でしょう?」
 至極のん気に話す喜多と元信に対しは酷く狼狽した。二人はにこにこと話を進め、そのままに話が纏まってしまった。あわあわ、という表現が似合うのは今だわ、と最後には半ば諦め半ば投げやりで上機嫌に退出する元信を見送った。
 庭から入る風に晒されは深く深く溜息を付く。綱元以上の食わせ物がいたのだと思い知る一日となった。

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2011-07-06

 石高というのは秀吉の太閤検地以降の単位なので正確にはちょっと違います。
けどゲーム中で長曾我部軍は百万石かけてカラクリつくったっていう科白がありましたしイイヨネ!
 史実からみて、葦名を滅ぼした時点での政宗の最大石高は約150万石。それに金山などの収益もあったとするとえらいことに。BASARA世界でいつき領も治めてるとなるともっとエロいことになりそうです。ゲーム中で天下統一の地図を見るたびに政宗の領土は最大版図時と同じくらいの石高を持ってる気がするので伊達領150万石とみて話を書いています。
 一方武田は最大版図だと約130万石だそうです。史実だと駿河や三河、美濃の一部等をいれてそれですから、BASARA世界だと甲斐20万石、信濃で40万石の二国(といっても川中島の決着がついてなさそうなのでそれより少ないかも?)……あれ?国力差結構すごいですか!?

 打掛についてですが、安土桃山時代の上位の侍女やお姫様の打掛は現在の値段に換算すると1枚100万〜200万くらいするというのを何かの番組で見たことがあり、それを許にしています。

 鈴木元信さんのイメージはご○はんですよの人。アレしか思いつかない。