寒蝉鳴(三)

 政宗が政務を一段落させ寛いでいると、何時になく浮き足立った元信が来て突然、政宗様の御駄賃は削減させて頂きます。などと言って来たものだから、戦の前に削減されてこれ以上何を削るのかと、思わず元信の口に松風を突っ込んだ。
 茶を啜りながらどういう了見か聞けば、元信は口に押し込められた京の銘菓を噛み砕きながら先程あったというとのやりとりを話してきた。
 政宗は、殊更驚くのは伊達男の気概に反する気がして表情を変えず聞いていたが、内心相当面食らったのは言うまでもなかった。綱元などは自身の姉がその案に賛成したと知るや流石に表情を強張らせていた。
 とはいえ、と政宗は思う。
 元々、自分が自由になる金子は、兎角姦しい側室達の気を逸らす為に与えたり、京の茶器や流行の物を取り寄せる為に割いていた。後者は暗に京より遠く離れた地にあっても嗜みや情報に精通し奥州には財、国力があると見せ付ける為でもあった。
 正室を迎えた今、今までのように側室があれこれでしゃばる場を作る気はないし、武田を落としたことによって京にも諸国にも奥州と伊達男の名は広がっている。道具類も一通り揃えたところであったので減額されても差し当たり困ることもない。
 にしても贅沢を好む性質ではないようだし、先日贈った打掛の選び方や意図の汲み取る機転もあることから彼女の衣裳代を自身の金で賄うというのはそれ程悪い気はしなかった。家臣にそれとなく渡す報奨や、秘密裏に動く者達に渡す資金などを差し引いてと分けても十分足りるだろう。
 そこまで思い至ると政宗は二つ返事で了承した。元信は欣喜雀躍し、自身が取り寄せた茶器を政宗に差し出してきた。元信は個人的に京の商家や教養人と通じ情報収集に事欠かない。先述の道具類の入手もすべて元信に任せており、政宗の書院には元信珠玉の品々が溢れている。政務、財務だけでなく審美眼を備える元信は貴重な人材だ。
 茶器を手に取りながら政宗はこれだけは聞いておかねばと問うた。
「ところで元信、俺の金を使うってのは誰が言い出したんだ? アイツが言い出したんなら案外相当なタマだな」
姫様な訳がありません。私です」
「……」
 数秒後、綱元は雷に包まれ宙を舞う元信を見た。

 それから数日、若干ちりぢりになった髪の元信は通常政務を続けていたが、伊達軍の荒くれからイケてると好評でどこでやったのかと彼らに纏わりつかれていた。政宗はこれが結果all rightって奴か、と思いながら生暖かく見守ることにした。
 政務が一通り終わり、いつもどおりに書院に戻ると喜多が目通りを願っているという。傳役を離れて以来表立っては気安さはなくなり、話があれば他の家臣と同じように目通りを願い、礼節にこだわる喜多に内心寂しく思いながらも、それが政宗は新参の片倉家だけを重用しているわけではないということが周囲に見えるようにという彼女なりの節度であり配慮なのだということも知っている。
 尤も、会えば辛辣な苦言やぐうの音も出ないくらいの小言を多々言うのだが。
 側に控える成実、小十郎、綱元の三人は心なしか戦々恐々として喜多を迎えた。挨拶もそこそこにやはり小言が始まる。
「本当に、可愛らしい姫君でようございました。正直ご側室達をみて見ておりましたら政宗様のご趣味は最悪でしたもの」
 成実、小十郎ですら思ってても言わない事をこの女人は易々と言ってのける。趣味云々以前に女に執着のない政宗は単純に欲の捌け口と、家臣との繋がりをもてる女を勧められるままに側室にしただけだったのだが。
「おい喜多」
「私はかつて政宗様の乳母と傳役を勤めた身、言いづらいことも言わせて頂きますよ。ご側室達では奥はまとまりませぬ。もう少し人選されてからお迎えになられればよろしかったのに」
「姉上! お控えなされ!」
「お黙り! 政宗様も貴方がたも着飾ることと互いを牽制することしかしないご側室達に奥をまとめる器量があるとお思いですか?」
 そんな器量なんて求めていなかった、などとは言えない。言えばさらに小言が増すことくらい目に見えている。
「お耳が痛いお話でしょうけどお聞きになられて下さいませ。……それともご側室達のように私もおべっかばかり遣い政宗様のおっしゃることをただはいはい聞く方がよろしゅうございますか?」
「I give up. 喜多はそのままでいてくれ」
 両手を挙げて、素直に降参した。はいはい言うだけの喜多なんて考えるだけで恐ろしい。その腹に収めたものが爆発したときなどは目も当てられない有様になるだろう。
「では続けます。姫様をみたとき政宗様のご趣味も宜しくなったと本当に安堵しておりましたのに」
 にわかに握った手を震わせる喜多になんだか雲行きが怪しくなってくる。ちらりとみれば成実などは疾うに逃げの体制に入っている。主君を置いて逃げるな馬鹿者、政宗は心中彼を睨め付ける。
「何故にあのように捨て置かれます!」
「おいおい趣味のことはいいが、夫婦のことに乳母が口出しするなよ」
「まあ! こちらの若様はひねくれて御可愛らしくないことこの上ない! 私は政宗様と姫様の博役でありますのよ!」
「やれやれ、もう俺の博役じゃねえだろ?」
「姉上……」
 小十郎は頭を抱えた。成実はあーあと言いたげな表情だったが状況を打破する為に一手を踏み出してみる。
「喜多、すごく姫のことべた褒めだよね。そんな風に思う逸話でもあるの?」
「ええそれはも……」
 一瞬止まってそっぽを向くと喜多は至極不機嫌そうに続けた。
「教えて差し上げません。気に留められるなら政宗様達が様子を見られて直接姫様にお声を掛けて差し上げればよろしいでしょう、黒脛巾組なんて使わずに!」
「ぐっ」
「!!」
「ちょ」
「っ!」
 やはり喜多は恐ろしいと思う。小十郎が甲斐で自刃しないようにとつけた伊達家の忍隊黒脛巾組は、奥州に着いてからもそのままの護衛と日々の様子を政宗に伝える為に付けられていた。小十郎は格別喜多に忍びを付けている事は伝えていなかったし、付けた忍びも相当の手練でおいそれと存在を気付かせるような者でもなかったのだが。
「え! 俺達も!?」
「政宗様をお諌めしない貴方達も同罪です! 綱元殿、小十郎! 特に貴方がたがお諌めしなくてどうするのです!」
 もう三十に差し掛かろうかという小十郎と、その三十路の半分を超えた綱元が殊更小さくなっている。二人の様子に救援が来ないと分かると政宗は脇息に肩肘をついて凭れかかる。成実は成実で、いや喜多……二人は超頑張ってるヨ……と思うが言えるはずも無い。
「まったく、御衣裳の雪持笹に雀を配すぐらい独占欲を表されるならもっとお会いになればよろしいでしょう。鴛鴦を配さずに雀にする所がまた政宗様のお可愛らしくない所ですわ」
「雪持笹に、」
「雀?」
「喜多!」
 成実と綱元は素っ頓狂な声を上げて、政宗は心なしか罰の悪そうに若干強めに制した。
「勘違いすんな喜多、に対しては俺の正室というより未だ真田の娘だという認識が強え。警戒してる奴らも多い。だからはもう伊達の者だという意味合いも込めて贈っただけだ。ちったぁ教養のある奴ならあの柄を見れば後ろに俺が控えてるって牽制にもなるだろ。変な手出しもされない為だ」
 雪持笹には竹と笹、雪が配されている。それに雀が付けば否応なしに伊達家の家紋である『竹に雀』を連想させる。
 全くもって苦しい言い訳だ。政宗が選んだそれをが着込む姿は、誰の目から見ても政宗がコイツは俺のもんだと独占欲剥き出しにしているようにしか見えないだろう。現に喜多もそれから今話を聞いた成実、綱元もそう思い至ったし、打掛を預かり届けた小十郎は言わずもがなだ。
「それならばなおのこと伊達鴛鴦紋にでもなされば宜しいでしょう? 貴方様の御正室なのですから! 遠ざけたいのかお傍に置きたいのかどちらですか! まったく御可愛らしくない! よろしゅうございます! 素直におなりにならないのなら私どもが姫様を独占いたします。一番御可愛らしい咲き掛けた花のようなお年頃ですもの、みすみす政宗様に手折られるのも悔しゅうございますものね」
 伊達家には家紋が多々ある。その一つが伊達鴛鴦紋だ。喜多の中では甲斐にはためいた竹に雀より、夫婦仲の良さを表す鴛鴦を配したほうがまだ良いと思ったのだろう。
 喜多は踏ん反り返って勢いよく一度立ち上がるが、はたと何かを思い出したように座りなおした。
「小言が過ぎて忘れるところでした。政宗様、姫様より先日のお礼を預かって参りました」
 打って変わって落ち着いた声音になりきびきびとした所作で広蓋を差し出す。中には正絹で縦糸と横糸で織りあげてられた平たい紐が鎮座していた。袋織りで蒼と黒と白で織り上げられた紐は政宗の好む色合いだった。
「紐? いや狭織(さのはた)か」
「武具などにどうぞと、政宗様がお手ずから衣装を選んで頂いたとお聞きになったので姫様もご自分で織り上げになったのですよ」
「Um――うまいもんだな」
 そういいながらそれを手に取り引っ張ってみる。
「丈夫だ、ありがたく使わせてもらうと言っておいてくれ」
「畏まりましてございます」
 その返しには満足したらしく、それ以上は何も言わず政宗から辞した。去る姿を確認した後、一同は顔を見合わせ安堵の息を漏らした。

 喜多が去った後、鬼の居ぬ間に命の洗濯とばかりに四人は駄弁りはじめる。
「いやあ、喜多があそこまで姫気に入るとはねぇ、綱元達には悪いけど喜多がいれば魑魅魍魎も逃げ出しそうだ」
「I agree」(同感だ)
「姉に代わりましてお詫び申し上げます」
「そんなんで謝ってたらキリがねえぞ、相手は喜多だ」 
「梵、喜多に便乗して聞くけどさ、本当にこのまま姫には手を出さないつもりなの?」
「真田の遺言で保護した娘だぞ、それを利用しちまったし手を出さねぇと言った手前もあるしな……それを今更、――手を出すのも気が引ける」
 正直、と政宗は思う。
 最初ほど距離を置こうとは思わなくなったし動向は気になる女だ。しかしながら、女というものがどこか信用できない、今はこうだがこちらの対応が変わればあの側室たちのようになるのかもしれない、などと思うとこれ以上深入りする気持ちが失せるのだ。
「取り合えずこの紐、刀にでも付けとくか」
 解散だ、と政宗が紐を持って書院から出て行くと、残された三人はそれを見送りながら身体は硬直したままだった。姿が見えなくなって、はっとした小十郎が二人を突付いて全員がやっと我に返った。
 信じられない、とばかりに目を泳がせる成実。
「あの梵が、女と見れば躊躇なく抱いてポイ捨ての鬼畜梵が」
「手を出すのも」
「気が引けると……」
 順に成実、小十郎、綱元。三人は自身の口から出る言葉にすら懐疑的で確かめるように互いを見合わせた。
 近習が換えの茶を持ってくるまで三人はその体制のままだった。

- continue -

2011-07-10

筆頭の機密費と所謂真田紐。
ここでは狭織り(さおり)ではなく狭織(さのはた)と読む説を取ります。