(四十)

 さてこういう時、主君の毛色を見逃さないのは佐助である。
「ここでは反物広げられないね、大きなものは俺様が移動しておくから隣の四之間で皆で選んだら?」
「まあ佐助様」
「長、良いのですか?」
「うんうん、折角の贈り物だからね、早く受け取っちゃいなよ」
「佐助の心遣いに甘えましょう? ありがとう佐助」
「はいはーい、皆さんいってらっしゃーい」
 愛想の良い顔で手をひらひらと振り、そうして三之間に在るのはたゆたう彼女らの残り香と紅蓮の鬼。くるりと後ろを向けば察したとおり複雑な色を帯びていた。
「えーあー、旦那」
「なんだ?」
「非常に言いにくいんだけど、竜の旦那から旦那宛に文があるんだよね」
「寄越せ」
「あーうん」
 うわっぱり、と気疎いことこの上ない空気に若干戦慄きつつ懐から書状を一つ取り出す。主君は無表情かつぶっきらぼうに手にしたが、紙を傷めることもなくゆっくりとそれを開いた。其処には――

 ――『まだまだてめえの色には染まらせねえぞ、ざまあああ!!』

「うわー駄目! 旦那見ないで!!」
「もう見た」

 ――『独占欲剥き出しみてえだがな、牡丹ばかり着せてるようじゃresearch不足だぜ。HAHAHAHAHA!! アイツの好きなものお前知ってんのか?』

「……佐助、今から牡丹柄は除けておけ」
「う、うん」
「ふ、政宗殿ものこととなると存外諦めが悪うておられる」
 表情も声音も変えぬまま、静かに文を折りたたむ幸村であるがその手の力加減が先程とは雲泥の差であるのは誰の目にも明らかだった。アンタもね、との言葉を喉の奥に押し込めて佐助は次に伝えるべき文言を引き出した。
「あのね旦那」
「次は何だ」
「そのー、右目の旦那からも届いてるんだよねぇ……」
「貸せ」
 パシリと奪うように幸村の手に渡る片倉小十郎からの文、もう佐助には嫌な予感しかしなかった。開かれた文、遠目でも分かるくらい大きく太くそして達筆にこう書かれていた――

 ――『極殺』

「わー! ちょい待ちちょい待ち! 旦那もう閉じて!!」
「――……閉じても見たものは変わらぬがな」
「だだだ、旦那、冷静にね? 思い余って兵挙げたり姫ちゃんに無体なことしちゃ駄目だからね!」
「お前が落ち着け。硯を」
「ああうん、はいすぐ準備するね」
 槍を握るか多少なりとも激昂するかと思っていた分何処までも静かな幸村の態度に面食らいなお一層の懸念が渦巻くまま少し離れた部屋から文机と文箱を持ってくる。すぐ近くにも文机と文箱はあるのだが、それはのもので当然政宗が選んで寄越したものだ。そんなものを持って火に油を注ぐような手抜かりをする佐助ではない。ごくりと生唾を飲み込みながら擦り終えた墨を湛えた硯を文机に置き終わると一言も発せぬ主君から距離を置いて様子を伺った。
 主君の返答はこうだ。

 ――『への沢山のお心遣い痛み入る。某相手にずっと初陣だなんて照れくさいと申しておりました。あれから仲睦まじう暮らしております。近頃では雛菊や花梨がよう似合うようになりました。家中一同そろそろややをと話をしておりまする』

「……しっかり応戦するんだね」
 をまだまだ可愛い妹と思う政宗には痛烈な文言だ。だが後半は婚姻して十余年、子の居らぬ義兄夫妻に対する趣味の悪い嫌味にもなりかねず、佐助は頭を抱えながら諫言した。
「旦那その文言はちょっとはずしたほうがいい、あっちの御前さんを傷つけるよ」
「む、それは本意ではないな。なにか良いものは……」
「あー、姫ちゃんが色っぽくなったとかそれ系で」
「うむ」
 その後の新たな火種になることは承知の上だが、このまま幸村を悶々とさせるとどこで爆発するか分からない。新しい御料紙を敷き、最後の一文を除いて紅蓮の鬼の筆はまた躍り――

――『十も下故、まだまだ若いと言うとはあれこれと考えて行動します。家中のことであったり所作であったり、それでまた暫くすると某には少しは大人になりましたかと聞いてきます。その直向さが可愛くてついまだまだと言うてしまうのです。余に素直な彼女を見ていると政宗殿と御内儀の慈育の賜物と偲ばれてなりませぬ』

「わー……」
 カタリ、と筆を置く幸村の所作と気配が今は寒々しい。否、寒いのは自分の周囲だけで眼前の主君は煌々と燃え盛り始めていると見るのが妥当かもしれない。
「佐助よ」
「な、何?」
「このようなことを書き散らしては政宗殿は大層お荒れになられるであろうな? 本当にそうなのか見に来られるやもしれぬ」
「そ、そだね」
「文と現実が違えるようでは宜しくない。そうであろう?」
「あ、ああうん、そうだけど」
にはしっかりと仕込まねばなるまい」
「……」
 うわあああ姫ちゃん逃げてえぇぇ! てかごめぇええぇえんん!! 佐助のその渾身の叫びを知る者は誰一人居ない。あろう事か火の粉が飛び散った正室の今後が危ぶまれ、引きついた笑顔を貼り付けたまま彼は硬直した。
「ああそうだ、にもよう文を書くように言わねばならぬ」
「二段攻撃……わー……」
 くるりと振り返った主君の笑顔はやはり限りなく黒かった。 


 ――奥州。
 最上領への戦後処理も終わり、妹への心遣いという名の幸村への嫌がらせも終えて政宗は上機嫌であった。調度品を選ぶ際は止める妻や従弟には骨が折れたがその先に待つ義弟の顔を想像すればそれほど苦ではない。多少なりとも幸村からの意趣返しもあるだろうがそれくらいは予想の範疇のうちである。さてどういう反撃が来るか、政宗は楽しそうに笑う日々だ。
「梵ー、上田から文が来たよー」
「Okay. 寄越しな」
「うわぁ悪い笑顔」
「うるせーぞ、俺の楽しみだ」
 姿勢を正したまま無言の竜の右目の傍を通り抜けた従弟から帯箱を受け取り御料紙を開けば萩の花びらが添えられ、女らしくなった妹が誇らしくあり寂しくもある。黒々とした墨をなぞれば懐かしい妹の手蹟だ。心配をかけたとの侘びと荷への礼、それから其方に変わりはないかという文面、それから――

 ――『兄さまには勝ち戦を収めよとのことですが、いつも惨敗です。どうすれば勝てますか? 何時になれば勝てるのでしょう?』

「...Hum」
「こっちが真田からの文ね」
 成実が依然帯箱に入ったままの書状を指差し、政宗は心持ち釈然としないままそれを手に取る。開いて暫くそれを眺めていたが、眉間に深く刻まれる皺に成実は引き腰になった。
「幸村は単純だな」
 そう答えるのにこの従兄の声が若干ぶれているように感じられるのは何故だろうか。書状を成実や小十郎の前に放り立て膝に頬杖をつく政宗を怪訝に思いながら二人は書状へと目をやった。内容は上田で幸村が書いたそれである。
「……わー」
「……政宗様」
「Ah?」
「殴り込みですか?」
「こ、小十郎ちょっと冷静になろうね」
 政宗以上に眉間に皺を寄せ臨戦態勢とばかりに愛刀を立てた小十郎は毛穴と言う毛穴から怒気を噴出するように見えて、成実ばかりでなく離れて控えていた近自習らも生唾を飲み込む程だ。
「止せ小十郎、んな挑発にのんな」
「……はっ」
「そーそー、真田と仲睦まじい姫見たら小十郎なんて頭から血噴いて死んじゃうって」
「あぁぁアァあ!?」
「Haaaaaaaannnn!?」

 しまったー!
 何時もの調子で和まそうと口から出た言葉はどうやら二人の逆鱗に触れてしまったらしい。し、成実様ー! と近自習が青くなり当の成実は固まった。そうだ、本当にイラついたときの政宗は暫く無口になるのだということを今更のように思い出して自身の失態を嘆かずにはいられない。
「わー! もうごめんなさい落ち着いてー!」
 険しい眉間にはらりと前髪が落ちる右目に生命の危機を感じ、目の色が明らかに変わった竜に魂の消滅を感じる。
「成、俺ァ堪えてんだよ」
「分かってる分かってるごめんね! 俺が悪かったよ!」
「真田の奴ァこれで俺が慌てて上田に行くのを狙ってんだ。との仲を見せ付ける為に」
「うん、うん。そうだね絶対そうだね!」
「妹のことで切羽詰るなんざ独眼竜の名が廃るだろ You see!?」
「あっ、アイシー!! てかちょっかいかけなきゃいいのにー!!」
「Noisy!(うるさい) さっさと紙と筆持って来い!!」
「いえっさー!!」

 駆け出した従弟はその期待に応え、ものの数十秒で用意された筆を握り政宗の手は動く。横に控える小十郎と共に背後に燃え盛る炎は最早幻覚には見えない。

 ――『お前が好きな菓子だが今年の分を京で抑えたので送る。多めに送るから旦那の口に放り込め。それから女に重要なのは色気だ。そうすりゃ勝てる。  どの』
 ――『阿吽の呼吸にゃ程遠いな。の好みを知ってるか? てめえが俺に勝とうなんざ百年早えんだよバーカ!   幸村へ』

「子供の喧嘩じゃん!!」
「成実殿は少しお黙りを。男たるもの負けることの出来ぬ戦はあるはず」
「なんか違うけど、小十郎、それちらつかせるのやめてくれる?」
 鍔を上げハバキの先に光る銀が室内に反射し皆の恐怖を煽る。皆への対応を小十郎に任せた政宗はくるくると書状を畳み近自習の一人へ渡すと大きく息を吐き、勢いよく飾り障子を開いた。
 風が薫りその先に広がる庭には桔梗の花が咲いている。異国には赤い桔梗もあるのだと西海の鬼が言っていたのをふと思い出した。次に会うときあの妹はまだ見ぬ赤い桔梗の如く、虎の若子の色に染まっているのだろうか。まあそうなんだろな、と思いながら政宗はほくそ笑み鼻を鳴らすのだった。

 返信を受け取ったが殿方って皆そうなの? と佐助に問い、一方で幸村が青筋を立て立ち上がりしばしば奥州と上田の間で筆戦が行われるのはまた別の話。

- end -

2014-03-29

本編全四十話、最後までご高覧頂きましてありがとうございました。後書→