(三十六)

 視界に入る景色総てが夜陰に包まれてどれだけ経ったか、今は只灯明と月明かりだけが頼りだ。室内に用意された膳を粋ではないと言い、広縁に置かせて政宗は手にある盃を眺めている。相変わらずの美丈夫である彼の切れ長の目には妙に色気がありその姿が何とも様になる。先程まで給仕に来ていた侍女たちは頬を染めて皆恥ずかしそうに去って行った。
「夜桜はねぇが、夜躑躅も乙なもんだ」
 そんなことも気にも留めない政宗の横で、端近に出て暗殺の標的にでもなったらどうするの、と成実は呆れ気味だ。
「言うな、俺も今はなんか興を見つけねぇと流石にやべえ」
「俺もだよ。可愛い従妹が嫁ぐってこんなに破壊力があるもんなのかと思い知ってるところ」
「奥州に帰るより真田の傍がイイんだとよ」
「うん。俺と左馬之助なんて気づいたら振られてたし」
「ざまみろ」
「このお兄さん大人気ない!」
「とはいえ、だ――小十郎、連れてこなくて正解だったな」
「う、うん。それはほんとそう思う」
 脳裏に過ぎるのは政宗の腹心片倉小十郎だ。政宗との父伊達輝宗はが幼少のときにこの世を去り、政宗以上に小十郎は父代わりさながらを可愛がり大切に大切に育ててきた。小十郎を取り立てたのは亡き輝宗であるから、恩義も相まって及ばずながら大殿の代わりにとを愛おしんでいたのかもしれない。
 なんにせよ、政宗と成実に分かることはあの場にもし竜の右目が居らばの涙を見たが最後、彼は髪を振り乱し躊躇なく刃を抜いて真田幸村に斬りかかったであろうことだ。
「あはー俺様もそんな気がしてたー」
「相変わらずknockもなしかよ」
「毎度おなじみでごめんねー」
 その言葉と共に天井裏からひょっこり顔を出すのはやはり猿飛佐助で、彼の神出鬼没振りに政宗も成実も動じることはない。顔を合わせた当初こそはその忍びとしての手腕に警戒したものだし隙も見せまいともしたものだ。しかし同盟をして数年、家臣を信じるのも君主としての度量の一部だと考える政宗は自分たちには黒脛巾組が居て、いざとなれば佐助に牙を剥いてくれる。今そうしないのは敵対心がないからだと思い至るようになった。肩の力を抜けば見えなかった佐助の気配や癖を知りもした。万が一にも遅れを取ることもないのだ。
「何の用だ。の前にアンタが付いていながらあれはどういうことだ」
「あ、あはー、それについては申し訳ない限りだよ。俺様もさ其れなりに諌言したんだよ、これでも。うん」
「過程はいい、結果が総てだ」
「手厳しいね。まあ正論だから仕方ないか。なんというかあれで旦那、姫ちゃんのこと好きで好きでたまらないんだよね」
「好きな子ほど苛めてえってか。餓鬼かよ」
「まあこれからは安心して欲しいな。旦那多分これから側室作ることもないと思うよ」
「これ以上が泣く目にゃ遭わすなよ」
「頑張るよ。大事なお方様だもの」
「どうだか」
 その忠義もあくまでが幸村の妻でいる限りの話だ。主君に負けぬくらいの忠義心をその内に秘める佐助は幸村の為にならぬと思えば非情な取捨選択も平気で行える。其れが年若い女子であろうと年端も行かぬ幼子であろうとそれは変わらないのだ。
 鼻を鳴らす政宗に佐助は言った。
「大丈夫、そもそも旦那が手放したりしないから」
 それは確信だ。あからさまに眉を顰める政宗に佐助は声高に続ける。
「あーそうそう、もうすぐ旦那が来るよ。だから膳一個追加すんねー」
 奥州側の反応を待たずそう言い、佐助が手を鳴らすと遠くから侍女数名が膳と酒を運んでくる。そんな彼らに政宗はおい、と一言言った。
「あ、やっぱ駄目? 出来ればお手柔らかにね」
「そうじゃねえ。膳もう一つ追加だ」
「あら、足らなかった?」
「違えよ、アンタの分だ。たまには付き合え」

 なんの廻り合わせか図らずも義兄弟の関係になった二人が席を共にしている。当人同士もその従弟も腹心もとんでもない居た堪れなさが押し寄せる。しかしながら幸村も政宗も見事なまでに感情を直隠し形式的な受け答えをした後は盃を煽った。その様に、こわ……と外野二人が震え上がっていたのは想像に固くない。
「おい真田」
「何でござろうか」
 低い通る声が皆の耳を突きそれに応じる声もピンと糸を張るようだ。俺様やっぱり逃げれば良かったかもと佐助が思うのは詮無きことだ。
「まずはうちの鬼姫さんのことだ。手間を掛けた」
「なに、大切な御母堂にござる。城に移られてからは静かにご滞在であられた。ご心配無きよう」
「書状の通り、最上はもう押さえたがあの気性じゃ伊達には戻らねえだろうな。最上領のどこかに居をかまえるだろ。程良いときに送り出してくれ」
「お会いになられぬのか」
「ま、あちらさんは会いたかねえだろうな」
 くいと一飲みすれば空になる器に侍女が次を注ごうとすると政宗はそれを制して彼女らに下がるように目配せし、侍女が幸村を見ると彼は小さく頷いたので皆頭を下げて離れて行った。衣擦れの音が遠のくにつれ自分の生唾を飲む音が回りに聞こえるのではないかと成実は思い、佐助は来たかと一層逃げたしたい気分に苛まれる。
「でだ、幸村」
「は」
「俺は最大限の譲歩をしたつもりだ」
「それは心得て」
「分かってんだろうな? に子が出来る前に側女でも置いてみろ。てめえの家督相続も甲斐も知ったこっちゃねえ、即座に連れ帰る」
 政宗の左目がギロリと光った気がした。
「無論。迎えの日に言うた言葉に偽りはござらぬ」
「抜かせ。てめえのその面の皮の下に隠してる厄介なもんを俺が知らねえとでも思うのかよ」
「某それほど奥州の竜を舐めてはおらぬ」
「どうだかな、なんにせよだ。こっちはその気になりゃいつでもをどうにか出来るってこった」
「望むところ」
 竜と虎の間で火花が散っているのはきっと気のせいではない。次に何か弾けたらこれは乱闘どころでは済まないのは自明の理。外野はとうとう耐え切れなくなった。
「やめてー、竜の旦那やめてー。奥州が火の海になるー」
「ア? てめえは誰に物言ってんだ。火の海は甲斐信濃のほうだ」
「もうやめてー、真田も顔が怖いー。俺らの繊細な心臓が持たなーい」
「生まれつきにござれば」
「退かないー二人共退かないーどうしよー」
「俺様たち今子羊の気分」
「俺らそんなに怖えかよ」
「とっても!!」
 最後の言葉が図らずも重なると政宗は笑い出した。その表情は心の其処から愉快そうで少なからずの嫌味も乱闘も覚悟していた幸村も、寄り添うように息を呑んでいた佐助と成実もはあ、と息を吐いた。
「三者三様面白れえくらい予想通りの顔するじゃねーか」
「おからかいか」
「いつちゃん呼ぼうかと思ったじゃん!」
「はーもーやめてよ、寿命縮まったし」
「狐にいっぱい食らわせたか、俺もなかなかだな」
「あーあの仮面もう忘れたい」
「まあ、もう少ししたらも度胸が付いて本性出すだろうよ。てめえこそそんとき吠え面かくなよ」
の本性?」
「尻に敷かれてろってこった」
 そう言って盃を飲み干した政宗は一層人の悪い笑みを浮かべて、その従弟伊達成実も微妙な顔をする。幸村より佐助のほうが、まだ何かあんの? と戦々恐々だったのは本人しか知らないことだった。

- continue -

2014-03-01

**