三条の方は余程を気に入っているらしくそれから日が高いうちはずっとを傍に置いた。香木であったり、美しい反物であったりを広げてはどれがに似合うかなど、どれを誂えようかと侍女らと見合わせては頷いていた。そのあまりの量に恐縮するも三条の方はどこ吹く風で幸村経由で信玄に奏上するも豪快に笑うだけだったという。
それから数日、達は上田城に戻る帰路についていた。道中の木々にはまだ雪化粧があり、寒さも遠のくには程遠い。一人では寒かろうと幸村がの手を取り自分の馬に同乗させると、旦那が女の子と馬に乗るなんて、と佐助が目頭を押さえていたのが印象的だった。
「冷えるな」
「はい」
「俺が火焔車でも撃てば暖こうなるかな」
「やめて下さい、雪化粧も何もなくなってしまいます」
「冗談ぞ」
幸村は喉の奥で笑ったが、には幸村の言葉のどれが冗談でどれが本当か図りかねている。幸村はそれを知ってかよくからかってきて、はそれがまた悔しい。いつも掌で踊らされている感覚に囚われるのだ。
「頬を膨らませるな」
「してません」
「しておるぞ」
「……」
どうしたものかとジッと見上げても幸村は悠然と笑むばかりで底が見えない。の勝利は当分期待出来そうになかった。ふと、そういえばと思い起こしたは控えめに問うてみた。
「此度は内藤さまにお会いできてようございました。どのような御方かと思っておったのです」
「それはよかった。思慮深い御方故俺も見習うところが多々ある。上田に来られた暁には大切に持成して差し上げてくれ」
「心得ました。あの」
「ん?」
「此処のところ幸村さまはとてもお忙しそうですが、此度躑躅ヶ崎館においでになったのはそのことでなのですか?」
「ああそうだな」
「戦でも、始まるのでございますか?」
「いや、そうならぬ為の策、としか言えぬな」
幸村の表情に少しだけ翳りが見えた。聞いてくれるな、と語っている。上田でも佐助が知らせを持って来ればわざわざ席を外していた幸村を思い出してははたとする。思慮の足りない質問だった。
「あ……ごめんなさい」
「は汲み取ってくれる故助かる。すまぬな俺だけのことではないのでな」
「いえ」
本当は話して欲しいとも思う。だが聞いたところでにはどう出来るものでもない。それに根掘り葉掘り聞くなど慎みのない嫁だと思われるだろう。見上げれば幸村は申し訳なさそうに眉を下げていた。驚いて、気にしないでと口を開いた時だった――
「旦那!!」
佐助の切羽詰った声が響いたと同時にカキンと弾く金属音が轟く。耳に不快なそれに一体何が起こったのかと把握する前に達が乗る馬は嘶いて仰け反りる。幸村は咄嗟にと手綱をしっかり握り、は抱きしめられたまま後ろを盗み見た。するとそれまで少し離れた場所を歩いていた佐助が前に出て手裏剣を構え、佐助が弾いたであろうものは街道の木々に刺さり無残な様を晒していた。襲撃を受けた、と理解するには十分だった。
「無事!?」
「大事無い」
「ごめん旦那、迂闊だった」
「かまわぬ、俺もやる」
「姫ちゃんを馬で」
「いや、手練れに追いつかれれば少人数では逆に危ない」
「縫! 紬!」
「はっ!」
幸村は素早くを抱いて降り、縫と紬に渡して背に背負ったニ槍を構える。幸村の目は険しく槍には彼の気迫を表すが如く凄まじい炎が燃ゆ。
「幸村さまっ」
縫と紬はの手を取って素早く後方に下がらせ、香と祥はを覆うかのように前に出て千代女も懐に手を入れ周囲を警戒している。忙しなく幸村配下の武士達が刃を抜いて次の一手に備えた。
「そこか!」
「っ!」
佐助が街道の茂みに手裏剣と苦無を投げ付けると同時にザッと多数の黒装束が躍り出てくる。数は二十ばかり、忍びだ。覆われた頭巾の為表情が分からぬのがまた恐ろしい。彼らもまた苦無を構え佐助や幸村らと距離を取り合っている。
「一つ聞くけど、真田の旦那とその御正室の一行だってことは分かってるんだよね?」
佐助がそう言うと返答の変わりに苦無が飛んできた。佐助は事も無げに弾くと少しだけ声が低くなった。
「じゃあ手加減要らないね?」
その言葉が合図だった。互いが一斉に飛び掛る。幸村も槍を振るい炎が踊った。一人また一人と倒してゆくその鮮烈な緋には思わず目を見張る。これが紅蓮の鬼、日ノ本一の兵の戦いかと。
「姫様っ!!」
祥の声がしたと振り返れば後ろに黒装束が数人襲い来る。庇い出る縫と紬が忍具を投げ付けるも黒装束は先程のお返しとばかりにいとも簡単に弾き小太刀を二人に向け飛び掛ってきた。いかにくの一と言えども男の力には適わない。は真っ青になって二人を呼んだ。
「縫っ! 紬っ!」
「お逃げを! っつぁ!」
「紬っ!」
力負けした紬の腕を黒装束の小太刀が掠め、怯んだ紬は横に蹴飛ばされた。縫、千代女が応戦しようも新たな忍びが割り込んで来てる。香と祥が懐刀を手に逃がそうとするも囲まれてしまっていた。
「下がれっ!」
彼らはそれでもを護ろうとする香と祥の首に一撃を入れ卒倒させると無遠慮に舐め回すように見つめてくる。
「っ!」
「美人揃いだな、勿体無きことよ」
「早く奥方を」
抑揚のない声が耳を突き目を見張った。狙いは幸村ではなく自分だというのか? の脳裏にまざまざと蘇るのは兄に言い含められた言葉の数々。伊達領を奪う為に自分が必要なのか、それとも幸村の家督相続阻止の為に自分が必要なのか。ゾクリとした。嫁いでも、嫁がなくても自分は様々な思惑に絡め取られたままなのだ。
そうして誰が? と疑問が脳を巡る最中、忍びの一人がに手を出してくる。思わず胸元で手をギュッと握り相手を睨み付けた。ここで恥を晒す訳にはいかないのだ。
「姫様っ!!」
千代女の悲鳴にも似た声が聞こえ忍びに手を掴まれる、そう覚悟した時だった。
「ハッ!」
「ぐわっ!」
ぐいっと我が身が後ろに引っ張られ、後ろに倒れそうになる瞬間視界に紅が映る。微かに香る沈香にそれが幸村の背だと気づいた。幸村はを庇い出るように間に入り、佐助がを支える。
「某の妻に何用か?」
「虎の……若子……っ!」
「に触れること許さぬ」
「ほざけっ!!」
――黒装束の忍びが飛び掛るが幸村は事無く一閃に伏す。肉の裂ける音がして途端、忍びの悲鳴が響き渡る。躊躇のないその為様には身を硬くし声を発することが出来なかった。
「幸村様っ姫様っ!」
一手遅れて残りの忍びを始末した千代女はじめ家臣達が駆けてくる。幸村は直ぐにの方を向いて優しく笑んで問いかけてきた。これが武将かと一瞬前の峻烈な様との落差に驚いたが幸村を見るのに精一杯だった。
「大事ないか」
「はい……でも紬が」
「大丈夫、直ぐに治療するからね」
を支えていた佐助がそっと幸村に手渡して例の軽い調子で答えた。見れば紬は腕から出血していたが自分の足で立ち頷いている。幸村はを馬へと誘導し自身の胸元の妻に何もなくて良かったと柔らかな眼差しを向けてきては内心ホッとした。ところがだ。
「佐助」
「はいよ」
「生き残った者がおるであろう。吐かせろ、どんな手を使ってもかまわぬ」
「了解」
「吐かなくば殺せ」
「っ!」
その氷のような夫の声音と科白に身が凍る。目をあわすことが出来なくて幸村の装束を握り締めた。
私は男というものを甘く見ていたのかもしれない。兄さまや成兄さまのように強くて優しくて保護してくれるだけが本質ではない。二人だって戦場に出れば人を屠るではないか。幸村さまもそうされただけ、そうされだだけなのだわ。
そう何度も言い聞かせて、だが震えながらは幸村のたくましい腕にしがみ付く。そうしていれば佐助達の声が耳を掠めてゆくのだ。
「千代女さん」
「ええ……甲斐の忍びのものではありませんね……、あ……」
「どうしたの」
「佐助殿、これは」
「……まさか」
「裏を取りましょう」
言葉の端々に不穏な空気を感じた。一瞬、佐助と目があった気がしたがそれどころではない。我が身を巡る危険と幸村の得体の知れなさにの心は千々に乱れて纏まらない。
「? 余程恐ろしかったか。俺がついておる故心配は要らぬ。だがこのようなことがまたないとも限らぬ。俺が許した者以外に近づくのはやめ、一人で行動してはならぬぞ」
漠然と漂う不安に彼の背中に手を回せば彼の後ろ髪がの手をそっと撫でてくる。その柔らかさが酷く不似合いで戸惑うことしか出来ずにいた。
- continue -
2013-07-27
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