(十四)

 絹更月(二月)になってに月のものが来た。嫁ぐ前後は心労からか遅れており結婚早々子が出来たかと気を揉んだがそれは杞憂だったようだ。
 流石にこの日ばかりは共寝は出来ぬとは恥ずかしながら千代女経由で幸村に伝え、それから五日ばかり自室で休むことを許されていた。その間心配した幸村からは何種類も薬が届けられることになるのだが、月のものの薬と腹痛の薬じゃ違うのにねぇ、ともっぱら苦笑しながら運んでくるのは佐助だった。
 幸村は相変わらず忙しいらしい。と会わない分、夜は遅くまで寝所に明かりがついて、佐助の配下の忍びが引っ切り無しに訪れているという。執務中は難しいこともある故近づいてはならぬ、といい含められていたは様子を見に行くことも出来ず、ただちゃんと休んでいるか心配で、一度千代女に夜食を運ばせたことがある。すると幸村は、其方こそちゃんと休まぬかと言いつけて笑い、明け方近くまで仕事をしていたという。
 婚前の幸村は失礼ながら実直であっても執務に精を出す人には見えなかったから意外だ。もう意外と言う言葉は使い古された陳腐なものになりつつある。にとって幸村はいつも”意外な人”だからだ。

 の身体を冷やすまいと千代女が炭櫃の火を強くし梅湯を差し出してくる。礼を言い受け取って静かに飲めば温かさが染み、その様を眺める千代女は心なしか楽しそうだ。
「どうしたの?」
「いえ実は、幸村様から月のものは終わったかと昨日まで矢の催促が御座いまして」
「まあ知らなかったわ」
「幸村様はせっかちに御座います」
 千代女の言葉にも思わず噴出してしまう。気恥ずかしいけれど待ち望んでくれるのは確かに嬉しいことだ。
「あちら様にはどうお伝えしましょう」
「そうね。もうよいと思うのだけど後二日ほど御寝所は別がいいわ。幸村さまには悪いけど、もしもがあったらいやだもの」
「左様にございますね。あちら様にはそのように」
「ええお願いね」
 そう言って梅湯をもう一口飲もうと口に含んだ時だった。
ーーーー!!」
「っ! ぅごほっ!!」
 大絶叫が遠くから聞こえた。余りに唐突な声には盛大に咽り、千代女は慌てての背を摩ろうと寄る。声は何度もと呼び近づいて来て、何事かと声の主が来るであろう広縁に続く障子に目をやれば人影が写る。と同時にスパーンと勢いよく障子が開いた。
 そこには頬を上気させた夫の姿。の見ると心なしか嬉しそうに一層大声で問うてきた。
「おおっ! 月のものは終わったか!!」
「!?」
「佐助に聞けばそろそろではないかと言われてな! やはり共寝を覚えると一人は寂しいものだ! っ今宵からは共に休もうぞ!」
「え、ぁ」
「やはり其方を掻き抱いて寝ねば満たされぬっ!」
 そこには諷喩も何もない、ただ直球がを射抜く。余りにも明け透けな物言いに口をパクパクさせるしかないに対し、幸村の声は音吐朗々と響き渡り外で仕事をしていた庭師が思わず鋏を止めるほどだ。庭師だけではないきっと周囲の局にいる者たちには耳を塞いでも聞こえているに違いない。
 は真っ赤になったが徐々に血の気が引いてゆき、芯まで冷えて頭がすっとなる。自分の目が据わってゆくのが分かった。
 掻き抱いてとか共寝とか確かに恥ずかしいがそんなことはどうでもいい。何故それを言うのか! これだけは、これだけは女子として黙っておいて欲しかった。
「如何した? 何故黙って震えておる」
「幸村さまの……」
「ん?」
「馬鹿ぁああぁぁぁぁあぁああああ!!」
「な、ぐおっ!」
 気づけば手元にあった脇息は宙を舞い、それは見事に小気味良い音を立てて幸村の顎に命中する。はそのまま踵を返して一番近くの塗籠に逃げ込んで閂をかけた。
「幸村さまなんて嫌いっ! あちらへいって!」
 顎を摩りながら追いかけてきた幸村にそう言い捨てて暫し沈黙を保った。途方に暮れる幸村に千代女とこうなるんじゃないかと予想して駆けつけた佐助が呆れ顔で言うのだ。
「幸村様が悪うございます……」
「旦那が悪いよね……うん」
 幸村は塗籠の扉の前で佐助に説教され、その日からまた七日ばかりは幸村と共寝はしなかった。
 
「なんやさん大変やったなぁ」
 久しぶりに再会した三条の方の開口一番の科白はこれだった。
 案の定、月のものの話の顛末は上田城内は勿論、離れた甲斐躑躅ヶ崎館の三条の方の耳にまで入っていた。三条の方は愉快そうに口元を押さえ笑いを堪えていたが、たまに思い出すのか数度噴出している。
「笑い事ではございません……」
「堪忍え、気ぃ悪うせんとって」
 そう言いながらも三条の方はまだ笑いが止まらないらしい。当事者のとしては泣いてしまいたいくらい恥ずかしいのだが主家の正室に抗議する訳にもいかない。
 今日は幸村に伴われて信玄の居館躑躅ヶ崎館に来ていた。内容は知らないが火急の用であったらしい。加えて、三条の方がに会いたがっているとのことでも同伴することになったのだが。これでは只の吊るし上げに晒されてる気がしないでもない。
「ほんにあの幸村さんがのう……武勇はあれど槍片手にうちのお館さんと殴り合いはするしそれ以外は興味も無いとばかりに女子のおの字も見当たらぬ故心配しておりましたが、うまくいってるようで嬉しゅう思しますえ」
 三条の方の言葉には小さく頷いた。そういえば、と沈潜する。あのように脇目もふらず駆けて来て叫ぶ幸村の姿を見るのは結婚以前のことだ。夫婦になってからというもの見るのは只大人でを翻弄する幸村ばかり。あの絶叫には恥ずかしさに脇息を投げ付けてしまったが、心の何処かでほんの少しほっとしたような、嬉しかったのも事実だ。
 未だ、こちらに来る時の幸村はそうなのだろうか。夜に見せるあの欠片は一片もないのだろうか?
「ああそう、内藤さんにはお会いにならしゃった?」
「はい、先程丁寧なご挨拶を頂きました。あのようなご立派な御方に頭を下げられて畏れ多うございました」
「それはよろしいこと。内藤さんが幸村さんの御簾中さんに頭を垂れる、武田の副将が幸村さんに従ういうことや。婚礼の迎え役に山県さん高坂さん馬場さんも従ったことやし武田四名臣すべてが幸村さんの家督相続を支持するという示しにもなる思します」
 を伴ったのはそういう側面があったのか、と心密かに納得すれば改めて幸村のおかれた立場を認識する。自分はちゃんと彼を支えられているのだろうか、不安はいつも拭い去れない。
「何も心配あらしまへん。さんはおするするとお過ごしになるがよろし。それが幸村さんにとっては一番やわ」
「はい、三条の方さま」
 流石は甲斐の虎の奥方と言うべきか、信玄公以上にどっしりと構えている。だがそうでなければ公家の生まれの姫があれほどの武将を支えることなど出来なかっただろう。
 あの虎にしてこの内儀あり、そう思いながらは微笑んだ。

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2013-07-20

ネットで検索しただけの公家言葉です。違っておりましたらお知らせ下さいませ。

内藤昌豊さんは武田の副将とまで言われた御方です。とても優秀な武将だと思うのですがドラマではあまり重要視されていない役回りが多いです。
中井信玄やコッペパーン大河ではまさかの出ていないという無視っぷりヒドイ。
戦死者を一人も出さず城を乗っ取ったり、高天神で小笠原長忠を封じたり、また北条との交渉など外交官としても優秀でした。
また勝頼が家督相続時に内藤さんの言うことに反抗しませんという宣誓文を送るほどの人です。これは、勝頼の勢力の弱さの露呈と甲斐の国人衆の立場がいかに強かったかを表わしますが、その中でも内藤さんが重要視されていたか分かると思います。