(十)

 結局、客人をほったらかして夜が更けるまで殴り愛は続き、聞きつけた武田側の一門、家臣らは明日の婚儀の前祝とばかりに酒を片手に眺めたらしく、御裏方まで響く轟音に業を煮やした三条の方にやかましおすえ! と一喝され終了したらしい。
 すべてらしいというのは伝聞だからだ。花嫁であるはその姿を晒してはならず侍女らからこの話を聞いたのだ。侍女らは上田から呼び寄せられた者で奥州の者らではない。結婚の儀が終われば小十郎らはじめ侍女はすぐに奥州に戻る。それゆえ結婚の儀の始まるつい先程、侍女の交代が行われたのだ。
 奥州の者らはの身支度を整えると別れを告げてもう此処にはいない。結婚最初の夜ぐらいまでは馴染みの侍女らに居て欲しかった。だが身の振る舞いには気をつけるようにといい含められた手前我侭は言えない。
 見知らぬ侍女らに広間に誘導され茵に座れば固めの儀が行われる。杯を口に運ぶ幸村を見れば、纏う緋色の直垂は彼そのものに見えるくらいよく似合って映える。時として海原のように冷静な兄政宗とは対称的な燃え上がる緋に、我が身など食らい尽くされてしまいそうだ。
 結婚の儀は滞り無く進み武田側、そして奥州側の成実、小十郎、綱元も終始和やかに話をしている。大きな大名同士の婚姻は図らずとも体面からか重箱の隅を突くような物言いが出るもの。だが今はそのような気配は無い。この場の食事も、広間の調度の様も趣味の良いものばかりだ。酒などについてはよく分からないが、用意されたものは加賀の菊酒にはじまり南は博多練酒まで揃えられていたという。此度の結婚の儀は武田四名臣最後の一人内藤昌豊が饗応役を務め差配したものらしい。結婚の儀は一門親族のみで行われる為、昌豊なる人物に会うことはまだ適わないが彼の確かな手腕を感じるには十分だった。
 談笑する一門親族、当然信玄公の実子諏訪勝頼や、盲目故僧籍に入った海野信親などもいる。このなかのどれほどの人間が幸村を支持しているのか、もしくは叛意を抱いているのか、はいずれ見定めなければならない。少しだけ息を呑んでまた隣に座する幸村を盗み見た。見れば見るほど綺麗な顔をした殿御は、少しだけ緊張しているように見えた。彼が自分と同じように懸念を抱いているのかには分からない。歳の割に初心て熱血で猪突猛進だと言われている夫となる人、これから彼を数多の謀略がまっている。
 大丈夫だろうか? いいえ、しっかりお支えせねば。義姉が兄を支えたように! はゆっくりと顔を上げ居並ぶ武将の顔を頭に叩き込む。もう”独眼竜の姫”では居られない。虎の若子、紅蓮の鬼の伴侶となったのだから。

 結婚の儀は無事に終わり挨拶もそこそこに小十郎らとはここで別れとなった。寂しくはあったが仕方の無いことだ。帰りの無事を祈りつつ信玄が手配した支城に下がる彼らを見送った。
 感慨に浸る暇も無くには大仕事が待っている。お床入りの儀、所謂初夜というやつだ。何が起こるかなんて奥御殿にいれば口性無い侍女達の話をいやでも耳にして知っている。当初はかなり衝撃を受けたし、兄と義姉の間にもそれがあると知った時は二人の顔をまともに見れない時期もあった。
 でもだ、は落ち着いている。それこそ新参の侍女らが顔を見合わせて戸惑うくらいに。
 夫となった真田幸村をは小さい頃から知っていたし、本人の態度や皆の話から大変初心な男だと認識していた。二十も半ばを過ぎた方はこれではと御世継ぎの心配もあるにはあるがきっと無体はされまい。小十郎からはつい昨日、十も下の相手に家庭が築けるかと心配を口にしていたと聞いて殊更安心した。そんな殿方ならば手を出されても脅えれば止めて下さる。真田さまは煩いくらいに熱い御方だけど初心で御優しい、きっと今宵は大丈夫、何故かそう思っていた、確信していた。

――そう、そのはずだったのだが。

 ほんの暫く時を経った今、は途方に暮れている。背に褥と畳の存在を感じ、頭の中の言葉はすべてが結びつかず只々圧倒されて流されてゆく。
 何? なんなの、この状況は。何これ、全然違う。
 夜着姿になった幸村がの許に来て最初の挨拶で気がついたのだ。明かりが揺らめき映る幸村の顔は妖しく、なんというか男の色気がむき出しだった。破廉恥と叫ぶ彼の欠片すらなく艶やかに口の端を吊り上げ、二、三言葉を交わしたかと思えば近づいてきて、思考が追いつかぬうちに抱きすくめられて褥に押し倒された。奥州を発つ日に香った沈香の香りがして頭がくらくらする。
「さ、真田さま……っ」
「幸村だ」
「っ、あっ」
「片倉殿程ではないが俺も其方を肩に乗せて遊んだことがあったな。あの頃の幼子とは思えぬ。美しゅうなったもの。そしてその仕草がまた可愛らしい」
 槍を握る節榑立った長い指が頬を伝い親指の腹がの花唇の撫でる。脅える新妻とは対照的に夫はさらに口の端を吊り上げた。
「その片倉殿たちにももう邪魔はされぬ。さあ、思う存分啼いてみせよ」
 耳傍で囁かれてあれよあれよとことが進んでいった。嫌だと抵抗する前に翻弄される我が身と知らない幸村が恐ろしくて、でも離して欲しくなくて必死にしがみ付いた。破瓜の痛みと自分とは思えないような聲、未知の空間に落とされたような感覚に涙が出た。
 可愛いという相手にこんなことをするの? ああ酷い、などと思うも感覚にすべてが溶けてゆく。自分の番(つがい)は鬼だった。紅蓮の鬼なんていうのは飾りではなかったとすすり泣いて、そのうち幸村を受け入れたところに熱さを感じ、ことが終わったのだと知った。
 気が遠くなりそのまま寝入った翌朝、人の気配を感じて目を開けば幸村がを見ていた。昨夜と同じように今だ色香の漂う幸村が笑んでの髪を梳いている。それが本当に別人のようでこの幸村は狐が化けているのではないかとさえ思えた。ひょっとしたら朝になれば正気に返り真っ赤になっているかもと思ったがそんな気配は露ほども無い。
 悔しくて反発してやりたい気分にもなるのに、腰周りが痛くて痛くて動けない。悔しくて声も出なくて、そしてそれらを凌駕するほど相変わらずの幸村が怖くては震えていた。すると幸村は一層笑むのだ。
「愛らしいことよ」
 いっそ殴りたい。
 そう思った矢先、襖の先に人の気配を感じた。侍女が起こしに来たのだ。はたと気づいて肌蹴たままの夜着の前を揃えようともがくも手が思うように動かない。
「待て、まだの身が整っておらぬ」
「あ、も、申しわけっ……」
 真っ赤になっているであろう侍女の声がしても赤くなって固まった。何で言うの、と言う前に幸村はお構いなしにの夜着を合わせ帯もしっかりと留めた。してもらったのだからと抗議は押し留め、礼を言おうと身を動かせば、股下を伝うぬるりとした感触が花嫁を襲う。
「――っ……」
 どうしようもなくて息を呑む。覗くなんてとても出来ない。でも分かる。そこにあるのは幸村を受け入れたしるしと彼の劣情。とて伊達の姫だ。侍女に身体を見られるのは慣れている。だがこれは流石に躊躇した。知らない侍女達に囲まれてこれの処理をするなど。
「如何した?」
 もう泣きそうだった。幸村はその様子にああと頷いての手に触れた。
「恥じ入ることはない、皆心得ておる」
 それはまさに大人の余裕。そうして幸村により侍女たちが数人入ってきて、やめてと言う間も無く綺麗に整えられて、の心は羞恥で虫の息だ。侍女たちと目を合わせたくなくて視線を泳がせれば、そこに映るのは自身の鍛えられた上半身を拭き清める幸村の姿。昨夜は灯台の明かりのみで気づかなかった。自分はあの腕の中に居たのだと思えばもう見ることなんて出来ない。
「まあ姫様」
 年配の侍女が愛でるような表情でそう言えば他の侍女の顔も緩む。もう本当に恥ずかしくて心の臓は早鐘を打って顔は緋色に染まりそうだ。そうこうしているうちに身支度は終わり、時が過ぎる。誰とも目が合わせられないに笑いかけて、幸村は一度退出し自分の居室へ向かった。御披露目の儀に合わせて直垂に着替えなければならないからだ。
 その後、もまた一層艶やかな打掛を纏わされ侍女に促されるまま御披露目の儀に向かう。あれの後だ。きっと皆ニヤニヤしてるに違いない。本当は出たくないが主役が出ないわけには行かない。なんて羞恥、そうだ政宗の言葉を借りるなら羞恥プレイだ。
 憂鬱な想いと腰周りの痛みに耐えながら静々と歩いていると予期せぬことがを襲う。股下をぬるりとまたあれが伝ったのだ。
 思わず足が止まる。
 嘘、さっき始末したではないか。まだ出るなんて知らない。動いたらまた伝いそうだ。どうしたらいいの? 動かなければどうにかなるだろうか、ああ、こんなことなら月帯(けがれおび)でも用意させるのだった。腹心の侍女は居ない、言うことなんて出来ない。ああ喜多助けて。
 の唯一の救いは昨日までと違い色のついた衣裳なことだけだ。白でなければ目立ちはすまい、が。
「御方様?」
 ふと、怪訝そうに歳若い侍女が話しかけてくる。そうか真田さまの妻だから御方様なのか、と脳裏に浮かびながら先程まで感じなかった心細さが急激に増してくる。いっそ、奥州を発つ日の如く引き返してしまいたかったがあの時とは違う。また花嫁の気まぐれで遅れると思われるなら幸村の評判も落としてしまう。
「……?」
「っ……ゆ、き……」
 どうしたら、と途方に暮れるの耳に救いの声が振る。少し先に、なかなか合流しない新妻の様子を見に来たらしい幸村が訝しげな顔をして立っていたのだ。途端に安堵が漏れて、の眸は助けてと懇願した。
「また、伝ってき、て……うご……」
「ああ」
 幸村はすぐにを抱き上げ、彼の香りに酷く安心してしまって首にしがみ付いた。不安が嘘のように霧散して安堵が止め処なく広がってゆく。
 泪が止まらない。もう真田さまなんて呼べない。幸村さま幸村さま。
「其方ら、奥州側は今回の婚儀に格別の配慮をしわざわざ腹心の侍女をつけずを嫁がせたのだぞ。心細いの機微に気づかなくて如何する」
「あ、これはっ申し訳ございませぬっ」
 侍女らが頭を下げるのもそこそこに彼の足はの部屋へと進む。低く笑いながら彼は言う。
「愛らしすぎて適わぬな、侍女に言えぬ様もその涙目も」
 からかわれてると、悔しいと思うのにもう聲も出ない。
「其方は俺のものだ、離さぬぞ。覚悟致せ」
 もう完全白旗だった。本能で悟ってしまった。この男からは逃げられないと、身体にも心にも刻まれた気がする。侍女が道具を整えて来るまでの間、熱烈に口付けをされながらは完全に屈服していた。

 なんてこと、初心だったのは私のほう。

- continue -

2013-06-08

男の方を甘くみちゃいけません。