(五)

 それからは何もかもがあれよあれよという間に運んでいった。婚礼は年内に決まり、師走にも差しかかろうかという十一月末に奥州を出立することになった。順当にいけば半年、一年をかけて準備するものであったが、前々から婚礼調度は揃えられていたし奥州側はいつでも嫁がせる用意があった。甲斐側からも花嫁の居室やら受け入れの支度は出来ているとの返答があり直ぐにでもという話になったらしい。
 二ヶ月で準備は急だという意見もあったが急ぐには理由がある。の婚礼というのは図らずも国内外から注目されておりよからぬ横槍が入らないとも限らない。を欲しがる諸国や、真田に武田を継がせまいとする勢力がそれだ。
 婚礼行列への妨害も考えられた。順当にいくなら婚礼は雪も解けた春先、彼らはそれに合わせて準備を整えてくるに違いない。だがそうなる前にを真田家へやってしまおうというのが政宗と信玄双方の意向であるという。
 実際、相手が決まったとなった時は大変であったらしい。長曾我部、徳川らからは盛大な祝いが届いた。前田はなぜか上杉から祝いを贈ってきて、毛利に至っては”もらってやってもよかったに。”などという文が添えられていた。ここまでは微笑ましいものであったが、政宗、の実母の実家最上家からは怒髪天を衝くが如く怒りに満ちた文が届き政宗が破り捨てたという。彼らからすればが生まれた時分から最上家へという話をしていたのにというのが理由らしいが、現在伊達、最上の仲は最悪であり、政宗からすれば無視して然るべきことだ。
 加えての身辺には更に厳戒態勢をしかれた。驚いて聞けばの従兄はこう言った。
「これはねちゃんをもらって子供を伊達の養子にとか、真田の家督相続を妨害する勢力ばかりじゃないんだよ。織田、豊臣、北条辺りも穏やかじゃないよ。武田伊達が組む、それは武田の戦に伊達が介入する可能性が出るということだよ。竹中辺りならちゃんを浚って伊達と武田の首根っこを掴む、それぐらいはやってのけるかもしれない。真田は猪突猛進で通ってるから、頭に血が上ったところを突けば簡単討ち取れると思ってるだろうさ」
 それを聞いては眩暈を覚えた。自分の身はそこまで大層で、結婚はそこまで大事であったのかと。これでは婿やこれからを思案する前に心が参ってしまいそうだ。こういうのを兄は何と言っていたか、そう”まりっじぶるー”だ。
どの?」
 いつの間にか針をする手を止めて物思いに耽っていたらしい。義姉が顔を覗き込んでくる。
「あ……」
「不安でしょうね。嫁ぐということは女子にとっての初陣のようなものですもの」
「いえ、……はい」
 愛姫は静かに頷いて自分の刺繍をそっと喜多に渡した。話を聞いてくれるということなのだろう。聞けなかった素朴な疑問を聞くのも良いかもしれない。
「あの愛義姉さま」
「はい」
「お家のことも心配ですけど、私根本的なことが心配なんです」
「根本的なこと?」
「あの、真田さまはその、女性の御し方というのをご存知なのでしょうか?」
「えっ」
「だってあの方、女子が傍に来たら破廉恥でござるーって」
「あっ、ああ」
「私毎回絶叫されては……」
 の知る幸村は、茶を渡す手が触れれば破廉恥でござる、夏の暑い日、足袋を脱いで水に足を浸けていれば破廉恥でござる。あまりに破廉恥破廉恥言うものだから一時期はこっそり破廉恥さまと呼んでいたくらいだ。兄は噴出し、小十郎に怒られて止めはしたが。
「ま、まあ真田さまももう二十も半ばを越えられておりますし……」
 あの穏やかな義姉が珍しく動揺している。どう言ったものか、彼女の目にはその色が浮かびは目を丸くした。すると喜多が進み出てこう言うのだ。
「姫様、大丈夫にございますよ、そういう殿御でしたら姫様がドンと構えられて閨でも手綱を握られれば宜しいのです。姫様はしっかりしておられますからきっと」
「えっ閨? 手綱って……」
「これっ!」
「ふ、深い意味はございません」
「二人とも何故焦っているの?」
 結局二人はそれに関しては答えず、何事も真田様のお導きのままになされませ、と喜多に丸め込まれての疑問は何も解決せぬままに終了してしまうのだった。

 ――信州、上田城。
 築城時は尼ヶ淵城とも言われたこの城は甲斐、信濃を治める武田信玄の勢力圏にある。城の南は千曲川に接し、北と西に矢出沢川を引込み総曲輪とし、唯一の攻め口である東側にも蛭沢川と湿地帯が広がっている。梯郭式平城でありながら天然の要害に囲まれたこの城は至極攻めにくく名だたる将が落とせなかった城として名を馳せていた。
 近い将来の夫となる真田幸村はこの城を預かり、これまで様々な戦に参陣し城に負けぬほどの勇名を轟かせている。甲斐の若虎、紅蓮の鬼、日本一の兵。その猛将ぶりにあらゆる賛辞がついて回る。の兄伊達政宗はこの猛将を生涯の好敵手とし戦場で数度、そして休戦後は使者として出向いてきた彼に手合わせと称して刃を交えていた。の知る限り決着はついていないようだ。
「だーんな」
 主君武田信玄より拝領したニ槍、炎鳳を構え幸村は鍛錬に励む。朱色の槍は彼を象徴するに相応しいものだが、これは誰しもが持てる物ではない。朱槍を持つには単に武勇に優れるだけでは駄目だ。勇猛果敢であり、朱槍を持つに相応しい血筋であり、そして何よりその御家に何代仕えているかなど様々な条件がある。真田家は武田家に仕え三代目にして漸くそれが認められたのだ。
 真田忍隊長猿飛佐助は主君を眼に映しながら想いを馳せる。九年程前であったか、奥州の独眼竜伊達政宗と初めて対峙した時の幼さは消え失せ、今や精悍な武将の顔だ。あの頃より更に身体は締まり余分な贅肉などない。整った顔立ちは女共が放っては置かぬ程で、これまで独り身であったのが奇跡的だった。女に溺れることなく己を律する主君、よくも此処まで育ったもの、お館様武田信玄の采配によるところが大きいだろう。
「佐助か」
「そそ、只今奥州から戻ってきたよ」
 幸村が振り返りもせずそう言うと、橙色の髪を持つ忍びは飄々とした態で後ろに控えていた。
「ご苦労、如何であった?」
「今のところ万事滞りなくといったところかな。竜の旦那はものすごく警戒してるね。姫ちゃんの局の傍には三傑の誰かが常にいるし姫ちゃん自身もチラッと見たけど部屋から一歩も出さない感じだったよ」
「さもあろう」
「婚礼は春頃って噂を流してはいるけど油断は出来ないね」
「婚礼行列は無事であろうな、豊臣の軍師辺りは見抜いておるやもしれぬ」
「まったく同じことを三傑の一人も言ってたよ」
「そうか」
「いやぁ! 旦那にお嫁さんなんて俺様大感激ー! しっかりお仕事して守るから心配しないで!」
「うむ」
 幸村はニ槍を振るのを止め、言葉少なに返事をすれば佐助は訝しがって彼の顔を見た。
「気が乗らないの? 姫ちゃん苦手?」
「いや、そうではない。したが殿といえば幼子の時しか知らぬ故な。幼子に手出しするようでどうも」
 幸村とが最後に会ったのは五年前、幸村二十一、は十一の時だ。甲斐でも、出先の奥州でも女子に追い掛け回されるのに辟易していた幸村は政宗と手合わせが終わるとこの幼い姫とよく話をした。主家の姫であるから女子達も乱入は出来ず、自身も男女のことなど分からない故純粋で、幸村は気安く思惑とも関係なくただ楽しい話をすることが出来たのだ。
 一度、政宗から手出しはするなと凄い形相で釘を刺され、出す訳ないでござる、と返したことがあったが、今は政宗からその妹を貰い受けるというなんとも奇妙なことになっている。
「安心しなよ、姫ちゃんももう十六だよ。ほーんと綺麗になっちゃってもー」
「ああ」
「旦那分かってる? この婚姻は武田にも真田にも、旦那自身にも超重要だよ。これで武田の内や対外関係が変わっちゃうんだよ?」
「心得ておる」
「それにあの竜の旦那が目の中に入れても痛くないくらいの可愛がってたお姫ちゃんをくれるって言うんだからすんごいことだと思うよ。旦那を認めてるってことでしょ」
「ああ、それは嬉しくもあるが」
「が、じゃないよ。さあさあ! お式で失敗しないためにも作法に詳しい人呼んでおいたからさ、鍛錬やめて書院に入ってよ」
「ぬっいつの間にっ」
「旦那がいつまでたっても覚えようとしないから強制的にお勉強してもらうからね! 才蔵、旦那の足持って」
「さ、佐助ぇぇえっ」
 木々の間に隠れていた忍びがさっと出てきて言葉通り幸村の足を掴みあげる。途端平衡が取れなくなった幸村の両腕を佐助が掴むと二人はそのまま主君を書院へと連行するのであった。

- continue -

2013-05-04

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