稲刈りも始まったというのに庭の木々はまだ青々と茂り、風に撫でられ涼やかな音を響かせている。相変わらず端近にさえ寄ることが出来ぬにはそれすら遠く、せめてもの慰めに香を焚き、筝をかき鳴らす始末だった。
物憂げなの様が、菊と紅葉をあしらった打掛の華やかさに一層映えて本人の思惑とは別に図らずも儚げな印象を周囲に与えて、皆、身の細る思いにも似た憂いを抱えていた。
「姫様、お元気がありませんね」
「ああ喜多。流石にね、こうも続くと」
「面倒で御座いますわね。心中お察し申し上げます」
そう言うと喜多と呼ばれた侍女はあれこれと世話を焼いてくる。兄、義姉、そして自分の傳役を勤め上げたこの侍女は声も姿も歳若で凛として美しい。人はこんな歳のとり方を出来るのかとは彼女を見るたびに思う。不思議と兄、義姉には言えない愚痴も実母よりも年上の彼女にはぽろりと出てしまう。それは彼女の人となりか、それとも年齢がなせる業なのか。
「早く決まれば良いと思ったり、決まるのが怖いと思ったり、いろいろよ」
「さもありましょう。姫様を大事にしてくれる良い殿御と添い遂げれるようお祈りします」
「ありがとう」
そう答えるとなにやら外から跫音がする。喜多が心持身構えてそちらを見た。
「姫様」
「どなたですか、いきなり」
「左馬之助です。筆頭からの火急のお呼び出しっす」
「ああ、これは失礼を」
「いえ喜多殿、ご苦労さまっす」
居室の広縁に一人の男が控えていた。左馬之助と呼ばれたその男は政宗の腹心の一人で彼の生家原田家は伊達家初代から仕える宿老の家格である。与えられた領地も家臣の中では多く、が家中に嫁ぐとすれば成実ら一門の次に名前が挙がるであろう男だった。尤も、彼もも互いがそういう対象であると見たことはなかったが。
「兄さまが? 何かしら」
「とうとう決まったようっすよ」
「え、やだ」
「と言われましても」
左馬之助は政宗より二つ程年上であったが歳の割に童顔で一度として歳相応に見えたことがない。困った顔は彼を更に若く見せた。
聞くのが怖いわ、と呟けば左馬之助も喜多も目尻を下げてを優しく誘導するのだった。
兄の前に座すといよいよと心の臓は早鐘を打ち我知らず生唾を飲む。不遜な顔をしてるだろうと兄を見上げれば意外にも例の笑みはその顔にはなかった。それは彼が政の時に見せる顔であると気づくとはますます不安になった。
「んな顔するな」
察したのか政宗がそう言い、僅かに彼の表情は柔らかくなる。
「お前の嫁ぎ先が決まった」
ああ、やはりきたのだ。
「兄さまの仰せとあらば」
「Hum...殊勝だな。だが俺としても知らねえ男に可愛いお前を嫁がすのは忍びねえ。だからお前の知る男にやることにした。当ててみろ」
「? そう……ですねぇ、兄さま達からあまり離れたくないのが本音です。成兄さまのお嫁にならなりたいです」
「よせ、成実の変態playに晒されるお前なんざ見たかねえ」
「梵! 誤解を招くようなこと言わないで!」
「成兄さまがお相手じゃないんですか? 残念です」
「ハァ、お前まだまだ餓鬼だなぁ」
「いいじゃない、あまり離れたくないなんて年頃の娘はなかなか言わないよ、”お父上”」
「ったく」
政宗は頭を掻き下座に控える成実は苦笑し、その笑みはその横に控える小十郎、綱元も同じだった。
「嫁ぎ先だがな」
「はい」
「おまえを甲斐の真田にやることにした」
「えっ」
「覚えてるだろ? あの紅蓮の鬼だ」
「真田さまって、あの真田さま? 破廉恥でござるーの真田さま?」
「そうだ」
「嘘」
「嘘ついてどうすんだよ」
「……」
「どうした、真田じゃ不満か?」
「いえ、あの」
「An?」
「想像がつかない……」
「……だろうな。成実笑うな」
「だって梵」
の表情と真田幸村の人となりを知る成実はついつい噴出していた。政宗は掻い膝から胡坐に組み直し肘を突いた。
「兄さま、真田さまに押し付けたんじゃありませんか? だってあの方……」
「ちげぇ。真田は今、武田の家督を継ぐって話が出ててな」
「えっ」
「だから虎のおっさんは親族連中から真田を助ける強い家から嫁が欲しい、ってことでお前に白羽の矢を立ててきたんだよ。お前はおっさんの養女として真田に嫁ぐことになる」
「養女……。信玄公は伊達が甲斐を狙わないと踏んでらっしゃるんですか。兄さまは独眼竜と言われるほどのお方でしょう?」
「Haha! そうだな、逆に武田が奥州を狙うかもしれねえって危惧もあるな。まあ俺としちゃ甲斐は欲しい領地でもねえし、甲斐の虎だって飛び地の北国に領地があっても統治し切れねえだろうな。おっさんは真田の後ろにゃ伊達がいるぞって牽制があればそれでいいんだろうよ」
「……」
「なんにせよ、甲斐の虎肝煎りの婚礼だ。親族連中は反対も出来ねえしお前を粗略に扱いもしねえだろう。だが、身の振る舞いには気をつけろよ。まずはなんの企みにも関わらない人間だと思われることが重要だ。それが一番お前の身を守る。思惑からも疑念からもすべてな」
とんでもない処に嫁ぐのかもしれない。先日、小十郎らが感じたようにの心にももまた不安が過ぎる。奥州では駄目なのですか、そう胸に手を当て政宗を見上げた。政宗は何もかも達観したように手招きした。
「家督に関しては俺が手出しすりゃ揉めるだろうから静観のつもりだ。だが真田との仲についちゃ別だ。奴に気に入らねえことがあったらすぐ言え。全力で取り戻してやる」
「はい、兄さま」
そう言われ頭を撫でられれば心に沸いた黒い染みは霧散する。
大丈夫、何も怖くない、は何度も言い聞かせて頷くのだった。
- continue -
2013-04-27
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