(三)

 あれから二月程巡り、外に奏でる楽士は力強い蝉から控えめな鈴虫へと変わった。田は黄金に染め上がり、豊作を願う為の芋の名月が済めばそれを待っていたかのように稲刈りがはじまる。
 領内の田畑の視察を終え戻ってきた伊達成実は政宗に似た切れ長の目を柔らかく湾曲させて報告した。
「開墾がやっと実を結んできたね。今年は倍の年貢が期待できそうだ」
「やってみるもんだな」
「まったくだね」
「それまでに掛けた金があと何年で消化出来るかだな」
「数年は財布の紐を締めていただきますぞ」
「わかってるさ」
 政宗もこの従弟の報告に上機嫌だ。重臣の一人、鬼庭綱元が釘を刺すのを適当にあしらって並べられた文書に目を通す。紙の上に載る墨が示す数値に少しだけ目を細めながら政宗の頭は次へと働いている。
「これが安定すりゃいいんだがな、不作になったら目もあてられねえ」
「誠に」
「Hum...米のいくらかを金、木材、布に変えておくか。不作になりゃ食うだけで精一杯でそれ以外がおろそかになっちまうからな。蔵に空きはあるか? なけりゃ新しく造っとけ」
「御意に御座います」
 一つ一つ慎重に差配していると広縁を渡る聞きなれた音がする。きびきびとした歩調に腰に掛けた刀と、纏う衣の擦れ奏でるそれに政宗は少し顔を上げた。
「小十郎か」
「はっ」
「お前、最近クマがすげえぞ」
「は……」
 小脇に抱えた書の山を置いて膝を突き頭を垂れる腹心に政宗がそう言えば成実などは、梵は意地悪だね、と溜息混じりに首を振り綱元は困ったように苦笑した。
「粗方選定は終わったか?」
「は、終わりはしましたが……」
「なんだお前にしては珍しく歯切れが悪ぃな」
「なんとお答えしたものやら、この小十郎にも聊か分からず」
「Hum...まあいい見せてみろ」
 洗練された手つきで小十郎から文書を一つ受け取ると政宗はさっと広げた。人目を憚らず広げるということは自分達も見ても構わぬのだろうと、成実と綱元もそれに目を遣った。ややあって、成実と綱元は互いの顔を見合わせ小十郎を見る。そうしてゆっくりと主君を盗み見れば眉間に皺を寄せた姿にかち当たった。
「正気か小十郎」
「ですから、なんとお答えしたものやらと申し上げました」
「お前、自信がねえもんを薦めんなよ」
「とは申せ政宗様、各々個人的にお知り合い故、思うところがあられましょうが、皆他国領主等から見れば喉から手が出るほど欲しい婿がねでございます」
 そう、小十郎が差し出した文書の中身、それはの嫁ぎ先の選定に関するものだ。政宗から任されて二月、各地に忍びを遣り相手の評判や交友関係、国力に至るまで情報を集め寝る間も惜しんで調べ上げた。だが、調べれば調べる程、当然といえば当然で、そして好ましくないといえば好ましくない人物の名が挙がってきたのだ。そしてそれはすべて政宗の知る男達の名だった。
 記された候補者が余程心外なのか政宗の顔は依然険しく、小十郎は内心さもありなんと呟く。とはいえ、これ以上の男が見当たらないのもまた事実であるのだから報告しない訳にもいかなかった。
「ならお前はこの中の誰に嫁がせるんだよ」
「は、……むぅ」
「ほらみろ」
「まあ、これはそうだねぇ……う〜ん。じゃあさ客観的に見てみようよ。小十郎の言うとおり俺達なまじ知ってるから偏見で見てるのかもしれないよ」
「左様です、政宗様。小十郎とて自分の考えだけで選出したのではありますまい。黒脛巾組の報告や各国の評判を得てのことかと……」
「Hum...」
「三人寄れば文殊の知恵って言うでしょ! さあさあ一人ずつ冷静に詮議しよう、そうしよう! ね、小十郎、残りの文書には何が書いてあるの?」
「は、候補の者の評判や国力、実績などを纏めたものに御座います」
「一人一冊か、集めたものだね小十郎」
 小十郎の心中を知ってか知らずか、成実と綱元は文書を手に取る。相変わらず釈然としないのは政宗と当の小十郎である。
「ええと、長曾我部元親、徳川家康、真田幸村、前田慶次、毛利元就……」
 うわぁ、改めて名を読み上げれば思わずそう声が漏れる。成実が気まずくなってそっと横を見れば、それ見たことかと主君の眼光はきつくなる。やばい、内心冷や汗を垂らしながら忙しく文書を捲った。
「うーん、やっぱり西海の鬼は貿易関係で名を上げてるね、からくり造りも一段落したようだし四国も豊かだ。家臣も良く付いて来る人柄も評されてる」
「家臣に慕われるなら徳川殿も負けておられません。温厚な人柄は家中を明るくします」
「人柄だけなら前田慶次も良いかもね。今はふらふらしてるけど女の子には優しいし、上杉島津北条にも独自の縁を持ってる。家を継げば前田も結構な勢力になるだろうね。前田利家も嫁を持てば落ち着くんじゃないかって嫁探ししてるみたいだ」
「言っておいてなんでございますが、徳川殿、前田殿はお優しくありますが、立地面から言えば常に戦に巻き込まれかねませぬ。そう考えれば中国一帯を治める毛利殿もあながち捨てたものではないかと」
「えっ毛利!? 怖すぎでしょ!!」
「ですが以前滞在された時分、姫様を頭の良い姫だと仰っておられましたよ」
「嘘ッ気に入ってんの!?」
「Jesus...マジかよ」
 それから暫く各々意見を出しはしたが話せば話すほど野壺に嵌る。陰鬱な気が充満し始めた頃、近習らがそっと茶菓を差し出してきた。彼らなりの気遣いであるらしいそれに、政宗は僅かに気を変えて礼をいうと湯呑みをゆっくり回し一口呷った。ほのかに広がる芳醇な香りは確かに心を落ち着ける。
「まあ確かに不満ばかりを言っても始まらねえな。Hum...」
 パチリと蝙幅扇を鳴らし、もう一度候補者の名前を見ながら静かに息を吐いた。
「一番気が合うのは西海の鬼だが年中海に出られちゃが寂しいだろ。前田の風来坊はあの歳でふらふらしてるなんぞ論外だ。嫁ぎ先の安定を考えるなら中国の毛利だがいかんせん遠いし自分すらを駒と言い切る男だ。まで駒にされてはたまんねえ。家康は考えてもいいかと思った時期もあったが、あいつは意外とたらしだった」
「わー……」
「と考えると仕方ねえ。こいつにするか」
 蝙幅扇で一人の名前を指し示せば成実が目を剥いた。成実だけではない、小十郎は眉を吊り上げ、穏やかさと柔和を売りにする綱元に至っては茶を噴きそうになっていた。
「は!? 梵、俺達の話聞いてた!? 甲斐なんて一番大変そうな立地でしょうよ! てか俺一番に外すかと思って避けてたのに! 猪突猛進で周りのことみえなさそーじゃんこの人! 梵こそ正気!?」
「だから仕方ねえっつったろ! 正気っておまえ、もうこいつしか居ねえじゃねーか!」
「もうさ、そういう”れべる”で選定するなら他国にやらないで左馬之助にでもやっちゃいなよ! そしたら手元に置けるでしょ! そしたら心配ないでしょ!」
「断る」
「なんでさ! 原田家は代々伊達に仕える重臣だし左馬之助とちゃん仲良いじゃん!」
「だからだろ!」
「はっ!?」
「考えてもみろ! あの仲の良さだぞ、一月もしねえうちに手ぇ付けられちまう! おまけに近けえからが顔を出すこともあんだろ、左馬之助に女にされたあいつと顔を会わせるなんざ俺には耐えられん! お前俺を殺す気か! そうだな! 家督ならとっととやるぞ! 持って行け!」
「違うし要らないししっかりして欲しいしっ! 夫婦ってそういうもんでしょうが! 大体嫁に出す時点で諦めなよ! てか気づいたけどなんでみんなちゃんより十以上、上の奴ばっかなの? いっそ同じ年の頃の子息に選定変えたら!?」
「分かってねえな成実」
「なにが」
「目ぼしい国の領主で一番若けえのが今の五人だ。それより若いのは小国の領主だ。この群雄割拠、小国が伸し上がるにゃ戦しかねえ。小競り合いから大国相手の無謀な戦までな。今の五人の誰かに嫁ぐより命の危険が高けえぞ」
「うん、まあそうだね」
「それに」
「それに?」
「幼な妻は男の夢だろうが!」
「―― 一瞬でも梵ちゃん超考えてるって思った俺が馬鹿だったよ!」
「俺はその間を見逃さねえぞ! お前納得しかけてたろ!」
「……落ち着いてください。お二人とも」
 独眼竜もcoolの欠片もない主君とその従弟に見兼ねた綱元が頭を抱えながら止めに入れば、政宗は視線を外し蝙蝠扇を広げた。対して成実は若干引き気味呆れ気味の態で膝を崩した。
「――まあ成実の言うとおり、左馬之助も悪かねえ。だがな奥州に置けば最上が狙ってくるかもしれねえ。現に再三嫁に寄越せと文を送ってくるだろ」
「あー……、そういや」
「だがあの男なら腕っ節は折り紙付きだ。傍に控える忍隊もな。それに人が思うほど猪突猛進な男でもねえ。考えても見ろ、あの甲斐の虎が槍持って只叫んでるだけの男に家督を譲ろうとするか?」
「え、家督相続の噂はマジなの? 虎には血縁とか娘婿が居るんじゃないの?」
「ああ、嫡男は死んでるが実子もいる。だからおっさんの姫と結婚しても同じような奴等が多いから小競り合いになっちまう。だったらいっそのこと伊達っていう外部勢力の後ろ盾がある娘を娶らせたいんだろ」
「娶らせたいとは……政宗様っ」
「実は昨日だ、虎直々内々に打診があってな。をおっさんの養女として貰い受け真田の嫁としたい、だそうだ」
 綱元は驚き、成実も顔色が変わる。小十郎に至っては更に難しい顔になった。
「随分思い切りますな。甲斐の虎も」
「それだけの価値がある男だと見てるんだろう。俺の見た限り猪突猛進ってのも上辺だけだな。戦の度の計略見りゃわかる、表面に出さないだけで相当な腹黒野郎だと踏んでるんだがな」
「ちょ、腹黒野郎でも問題じゃん! ちゃんが苦労するでしょうが」
「十も下の嫁を虐げるような男なら問答無用で連れ戻すつもりだ。悪ぃな小十郎、お前の選定でヤツ以上の男が見つかれば、と思っていたんだが」
「お気遣いなく。姫様のお輿入れとなれば最善を尽くすのが当然のことにございます。しかし政宗様、甲斐に姫様を嫁がせるということは、武田の家督相続の争いに伊達が介入するということです。そのこと、他国に要らぬ警戒をされるかもしれません」
「まあそこはおっさんと俺の采配次第だな」
 政宗は姿勢を正して茶を飲みきると成実らを見た。
「ってことだ、You see?」
「真田幸村ねぇ……」
 武田の猛将の人となりを思い出し、健全な家庭を築ける男なのか、成実、綱元、小十郎は単純に一抹の不安を覚える。それ以上に、大変難しい時期に嫁がせるのではないかとの身を危ぶまざるを得ない。だがこの猛将を好敵手とし、の幸せを一番に願う政宗が不敵に笑むのを見て、自分たちにはない確信があるのだろうと思い至ると三人は静かに頭を垂れるのだった。

- continue -

2013-04-13

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