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蓋を開けてみれば東軍と西軍の関ヶ原での衝突は東軍の大勝だったと聞く。誤解から徳川と仲違いをしていた長曾我部、そして言葉巧みに西軍に引き寄せられていた伊予河野軍の女巫など四国の勢力が事実を知り東軍へ組したのが大きかったようだ。西軍は真田幸村率いる武田軍を待ちわびたようだが北で伊達と激突したまま動かず当ては大きく外れ、その中で毛利配下の小早川秀秋の裏切りなども相まって、混乱の中毛利はいち早く戦線を離脱、大谷吉継は自刃、石田三成もまた捕らえられ六条河原にて斬首されその首は三条河原に晒されたという。
私にとってはただ恐ろしいばかりの人たちであったが、その最期を聞けば心苦しい限りだった。ことにあの石田三成という人は量りかねるばかりで、鋭利で残酷でだが真白のように感じられてただ只管胸を掻き毟られ手を合わすのだった。
家康は関ヶ原の後すぐに旧領を手にし各方面に城を造っているようだ。多忙であるらしく合戦後、再会することになったのは城の一つが出来上がった後だった。と言ってもその城は本丸や御殿は出来はしたものの、天守や二の丸三の丸はまだまだ造営中で、私が目的地を知らされぬまま移送された時は、普請奉行が忙しく指示を出し、沢山の人夫が働いていた。
木槌が柱を叩く音を聞きながら此処はどこのなのかと忙しく周りを見た。とてもとても懐かしい気がするのだ。
本丸御殿は大きくそして美しい。御殿の中奥が家康の居室であるのだがやはり例の如く私も其処へ押し込まれた。何もなかった浜松の城の部屋とは違い細かな細工の欄間や当代随一の絵師が描いたであろう襖絵、そんな豪華な調度品が私を取り囲んでも、何も心に響かなかった。多分、浜松に居る間にそういう執着が持てない心になっているんだろう。只々今更何を、としか思えなかった。
執着が消えていったのはもう少し理由がある。石田方での体験だ。命を懸して護ろうとした子供は我が子ではなかった。掴んだと思った温かさは只のぬか喜び。どんなに想っても、私が我が子をこの手に抱くことはきっともうないのだ。
本当の三番目の子は表向き豊臣の養子であったことから徳川を継げず、他家へまた養子へ出されると聞いた。命を護られてもあの子もまた家康に翻弄され生涯を終えるのだろう。徳川を継ぐのは四番目に生まれた三男だそうだ。その子は今江戸に居て、二番目に生まれた女児には幼いながらもう嫁ぎ先も決まっている。その姿を見送ることもなく私はここで家康が来るのを待つのだろう。半蔵がこさえたであろう例の”ほぞ”に隠された臍の緒を見ても最早涙すら出なくなっていた。
城に着いたその日の夕方には忙しく身支度を整えられて私は座していた。今日纏わされたこの打掛は草花の細かな刺繍と金糸を惜しげもなく使った上等なものだ。今川の配下に居た頃は家康も家臣たちも金策に苦労していた。家康の矜持を傷付けないよう密かに金蔵を預かる者らにの家の金をいくらか回したこともある。浜松に移っても家康は倹約家で私を着飾らすことはあっても贅沢には見向きもしなかった。でも今は、天下を手にした彼は城の隅々まで飾り立てるようになったのだ。それがただの権威付けなのかもう本当に彼が変わってしまったのか。
そんな思いに浸っていると部屋の外がなにやら騒がしくなりそれが家康の来訪だと伝わる。予想通り顔を見せた彼は一層精悍に、そして美丈夫になった気がする。
「良かった、無事で安心した」
「……」
何も答えぬ私の唇を一撫でして家康は私を柔らかく抱き寄せる。言葉もなく抵抗もしない私はまるで人形のようで我ながら自嘲せざるを得ない。胸元に寄り添えば香る懐かしい匂いがする。お日様のようなこの匂いだけは変わらない。家康は私の手を取って手首にそっと口付けた。
「この前は手荒なことをしてすまなかった。跡が残らなくてよかった」
「……」
私が欲しいのはそんな言葉ではないのだがきっと彼には伝わらないだろう。
「そういえば、お市殿に会ったよ」
「お市……」
「本能寺のときから行方が分からなくなっていた彼女がふらりと東軍の陣に現れて、が何処の城にいるか教えてくれたんだ。闇色さんのお城、とか言われて最初は分からなかったよ」
その名が誰か、私の中で直ぐに像を結ぶ。頼りなげで美しい、だが夢境の住人のようなあの女性だ。
「元々掴みどころのない女性だったが、長政殿を亡くされ記憶を失って、織田の残党共の傀儡にされて哀れだった。それでもかすかに残る長政殿の残影を探していたよ」
織田の残党、彼女は織田の人間だったのか。そういえば大谷吉継が彼女のことを第五天を呼んでいた。義元様を討った織田信長は第六天魔王と名乗っていた。ああそうか、彼女はあの魔王の妹なのだ。そして話に出てきた長政殿とは北近江の浅井長政殿、魔王の妹が彼に嫁ぎ、そして暫く後に織田に浅井が攻め滅ぼされ彼女は寡婦となったと聞いたことがあった。それだけでも哀れな身の上なのに、また織田も滅び、あの女人は正気を失っただろうか。
盛衰を知る私にはそれを哀れとも思い、滅びた織田に然もあらんとも思う。複雑な感情に身を捩り家康に背を向けると、家康はまた後ろから抱き竦め重力に逆らわぬ私の髪に顔を埋めて首筋に吸い付いてくるのだ。
「ああ……ワシを亡くしたらも悲しんでくれるか? 記憶を失くしてなお俺を求めてくれるか?」
「あ、あ、家康っ……」
「こうやって、お前にワシを刻めば心の何処かに留め置いてくれるか?」
「ひ、ぁ」
身を震わせる私の顔を後ろに少し向けさせたかと思えば彼の唇が貪ってくる。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、五感の全てが家康に染まって、でも心だけが伴わなくて苦しくて悲しくて仕方がない。
私の世界に貴方しか置かないようにしたくせに、貴方はまだ私を信じずそんなことを言うのね。どうして、私は只寄り添って普通の夫婦で居たかったのに。あの頃より貴方は美丈夫になって、洗練されて、一層皆に慕われて、これ以上の男はそうはいないって分かってる。
でもね家康、私は芋っこい貴方でも構わなかったの。昔みたいに楽しくて、ちょっとずれた発言をしたらからかいながら窘めて、冗談も沢山言って、最後は互いに笑いあって。
乱世はとても過酷だけどそうやって二人で国を護って白髪の生えるまで共に居て穏やかに余生を過ごしてそんな将来を夢見てた。
……貴方はそれが嫌だったの? 支配出来ない私は嫌だった?
家康の言葉にも、自身の問いかけにも、翻弄される私は答えようもない。宵闇に響くのは吐息と嬌声、いつも以上に攻め立てる家康は、ひょっとして答えを聞くのが怖いのかもしれない。
ああまた、こうやって朝を迎えるんだ。
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