13


 葵の紋がはためく陣中に送り届けられた後、徳川長曾我部両軍は移動を開始した。先頃まで西軍に居たという長曾我部殿と馬を揃えて進むのは、それでも長曾我部殿を信用するという家康の心の現われなのだろう。
 私はあれから家康と話をしていない。半蔵から聞いた話によれば私が居た城は西軍の勢力圏内の城の一つで、大坂城に程近い場所だったそうだ。長曾我部殿の協力で西軍の目を掻い潜り必死の行軍だったという。
 本隊は美濃の城のいくつかを押さえ西軍と睨み合いを続けている。決戦は恐らく関ヶ原になるとのことで急ぎ美濃に戻らねばならぬそうだ。道中西軍が待ち構えている為、一行は迂回し伊勢から尾張へ抜け美濃を目指す。二人だけになれたのは強行軍で三日半、伊勢で待っていた長曾我部軍の船の中だった。
 静かに揺れる船内に用意された一室に改めて二人きりになると聞こうと思っていた言葉は消えて不安と焦りだけが身を掻き毟る。そもそも聞くなどということが出来るのだろうか。自分の意思でないとはいえ私は家康の望むとおり寺に居ることは出来ず、おめおめと敵の手に落ち、あまつさえ助けに来た彼を詰ってしまったのだから。そしてなおも嫉妬深い家康のこと、この身を誰ぞに許したのだろうと言われたら違うと証明する術もない。どんな目に合わされるのだろう、私は震え上がる想いで打掛の衿先を握り締める。

 その声に思いのほかびくりと身が跳ねて私は自分でも目を見開いた。家康もまた触れようとした手が止まった気配がする。
「怯えないでくれ」
 困惑したような家康に私は戸惑わざるを得ない。私を閉じ込め虐げた彼が何故このような態度を取るのだろう。彼の手は答えぬままの私の頬に触れてゆっくりと上へと導く。そうすれば否応なく家康と視線がかち合うのだ。
「一つずつ話す。一番聞きたいのはあの子供のことだろう?」
「……」
「あの時も言ったようにあの子はワシらの子ではない。半蔵配下の忍びだよ。子が生まれたときもう徳川は豊臣の配下に下るしかない状況だった。一人目は嫡男、二人目は女児、そして三人目の男児、この中で誰が人質に指名されると思う?」
 考えるまでもないことだ。豊臣にはまだ嫡男が居らずそれを理由に養子という名の人質を募っていた。嫡男はその家を継ぐ、女子はこの場合論外、とすればだ、家を継ぐ予定のない三番目の次男に白羽の矢が立つのは自明の理だ。
「豊臣は強大だったがその舵取りが危うく見えた。だからワシは生まれた子を直ぐに作左に預け隠した。そして半蔵配下にそれ相応の子が居ないかと探して三番目の子として迎えたんだ」
「それが、あの子……」
「ああ、ワシだってが産んだ子を危うい場所に遣りたくはない」
 首を振る家康に私は彼の心中を図りかねた。三番目の子の対応は仕方ないとしても、なら何故他の子まで取り上げたのか。手放しにはいそうですかなんてとても言えはしない。
「……でも」
「うん?」
「忍びだって言っても、あんな小さな子を身代わりに置いたの? それもあんまりだわ」
 私の腕の中にすっぽりと収まる子供だった。幾ら忍びで、人を殺す術を覚えていたとしても、何時殺されるとも限らない場所に家康は置いたのだ。
「なら、実子を此処に連れてきたほうが良かったか?」
 予想通りの質問だったが私は咄嗟に答えれなかった。瞼を閉じて心苦しく首を振るのが精一杯だった。家康もそうなのだろうか。
「あの子は優秀だ。あの歳で術数の総てを心得ている。生きて帰れると踏んだから指名した」
「……でも」
「でも?」
「あの子の母親はきっと泣いているわ」
 私が心苦しかったようにきっとあの子の母親も苦しかったに違いないのだ。子と呼べず子が何時殺されるとも知れない場所にやられ只管待つしかない。決して母のせいでも子のせいでもないのに。それが忍びの定めだと家臣の務めだと言われても割り切れるものか。
「分かっているの。家康の判断は、きっと正しいって」
「……」
 私は衿先を握り締めていた手の力を若干弱めてぽつりぽつりと言葉を零した。
「家康、あの」
「ん?」
「助けてくれて、ありがとう」
……!」
「っんっ」
 途端視界が家康だけになって、身体の均衡が崩れていく。家康に横抱きにされ膝に置かれたのだと思うより早く彼はひどく濃厚に口付けをして来た。本意ならずも彼を知るこの身は家康の思うさま反応してみせるのが悔しい。息が上がる私に家康はうわ言のように言った。
「何度この手に抱いても口を吸ってもは可愛らしいままだな。四人も子を産んでるというのに」
 それはきっと育てていないからだわ、そう思って悲しくなった。産みの苦痛は知っていても育てる苦労を私は知らない。
「こんなに愛らしいを攫ったあの忌々しいくの一を如何してくれよう」
「……っあの、ひとは」
「うん?」
「石田様に、殺され、て」
「ああ、そうか。三成は裏切りを許さないからな」
 しかし家康はその回答に頓着しない様子で私の細帯を解いていく。家康の不穏な口調も、間借りする船内でことに及ばれることも恐ろしくて、私は思わずやめて、と首を振ってしまった。すると家康の口が歪み、ゆっくりと解かれていた細帯を思い切り引っ張られた。
「拒むのは誰かに心を持っていかれたからか? その美しい姿を何人に晒した?」
「ちが、何も、されてなっ……」
「三成か、刑部か」
「いえや、ちがっ……! やっ!」
「お前ほどの女子が、敵将の妻が何もされぬものかっ」
 次の瞬間私の背は床板に縫い付けられ、両の手首は家康の左手に押さえられた。直ぐに細帯で結いとめられて身体を捻ることぐらいしか出来ない。
「こんな風に押さえつけられたら抵抗できないのは誰だ?」
「や、いや……っ」
「お前をワシ以外が組み敷くなど許容出来る筈もない。三成には負い目があるがもしお前を……っ」
「ちがうの、何も、されてないか、らっ……」
「――八つ裂きだ」
 私はがくがくと震えていた。私を押さえつける手の力は抗いようもないくらい乱暴なのに、頬に触れ、首に触れ、徐々に身体に触れる手は信じられないくらい優しい。それはその目も一緒だった。発せられる言葉は激情のまま、だけど彼の眸はどこか恍惚として私の言葉なんて届いていない。
「いいんだ、お前が汚れてもワシが総て綺麗にしてやるからな」
 覆いかぶさる家康が怖い。事の成し方も言動も、身体の重さも匂いも変わっていない。助けてくれてありがとうなんて言ったけど、嗚呼どちらに居たほうが私は幸せだったのだろうか。心伴わぬ私を蹂躙する家康の思いのままに抱かれるのは辛い、でも何より辛いのは。
「信じても、くれないっ……!」
 そう言葉にすれば一層悲しくて涙が止まらない。泣いても彼は止まらず圧し掛かる体重に、結局私は家康の一方的な独占欲の道具でしかないのだと再認識させられるだけなのだ。

 なんて切なく呼ぶの? そんなの、答えてなんてやるものか。



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