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 居室の周りを見張る者らの会話から大谷が四国へと旅立ったと聞いた。大きな策を巡らせており忙しく四国と此処を行き来しているのだという。半月で戻るだろうと漏れ聞いた話から私は必死にこの場がどこか計算していた。尤も忍びを使えば大幅な時間短縮となるのでそれはあまり意味を成さないが。
 その大谷の帰城を待たずして石田三成が兵を挙げた。どこぞが離反しただの口々に言っていた気がする。彼は出陣に際して私と子が逃げぬようにとの考えからか一箇所に留め置きさらに兵を増やした。それでも座敷牢のようなあの浜松の部屋からすればマシに思えた。少なくとも存在は隠されなかったから。
 子を抱きしめ身を固くする私に彼はフンと鳴らし、私は家康とは違う、と憎憎しげに言い踵を返し、出入口に控えたくの一が恭しく障子に手をかけた。
「貴様が逃げられるとは思わないが、やり残したことがある」
「何でございましょう……」
 何をされるのか恐ろしくて私はますます子を抱く手に力を込める。生唾を飲み様子を伺っていれば三成が動く。彼が刃に手を掛け一線を描いて納刀し終えたと思った瞬間だった。無数の紫色の刃の軌跡がくの一を貫いた。くの一から断末魔が響き、飛び散る血飛沫に私の歯はガチガチと鳴る。
「――下郎が。長く仕えた家を簡単に裏切るような者、信じるに値しない。裏切りこそ私の一番嫌悪するところだと知れ」
 そして表情一つ変えず、横たわるくの一の遺体を蹴り上げた姿はあの日の家康に重なって恐れ慄いた。
「――ぃ……っ」
 第一印象だけで見る家康と三成なら二人は対極のはずだ。だがこれはなんだ。本質は一緒なのではないか。反目は秀吉公を家康が討ったことだけでなくどこかに同属嫌悪があるのではないだろうか。
 三成は言い捨てたまま振り返ることなく部屋を後にした。呆然とするまま血飛沫の中に座していたが腕の中の子が身動ぎし私は確かめるように抱きしめた。呑まれている場合ではない。子に見えないように防げていただろうか、そうでないなら親失格だ。
 石田方の下女らが現れ私たちは別部屋と促される。あの部屋を後にしながら無表情のままくの一を運び出す彼女らに一層の薄ら寒さを感じざるを得なかった。


 変転の時はまだまだ終わらない。すでに世捨て人、否この世の存在することを消されたはずの私はなおも何かの舞台へと引きずり上げられていく。私は何時になったらこの濁流から開放されるのか。今川の縁戚に生まれ、三河の小さな竹千代に嫁いだだけであったのに。
 私を攫ったくの一が惨殺され、石田三成が発ったあの日より数日、この城は今戦火に包まれていた。
 無数の旗印が城を囲み外堀は見たこともない兵器から砲撃を受けているという。時折遠くから聞こえる炸裂音に城内いたるところから震え上がる声が聞こえる。早く逃げなくては、此処までされれば交渉材料に使われるのは時間の問題だ。しかしながら状況は不利で私たちは閂のかかった部屋に閉じ込められ、遥か頭上の格子窓からしか光と音を感じることが出来ない。
「どうしたら……っ」
 何かあってもこの子だけでも逃がさなくては。この板張りの戸を蹴破って逃げ出すことは出来ないのか。嗚呼何故自分は女子でこんなに非力なのだろう。何度壁を叩いてもびくともしない其れが口惜しくてたまらぬ。
「御方さま、わたしがおまもりいたします」
 その言葉がいじらしくて苦しいのだ。
 炸裂音は相変わらず続き、喊声に続いて叫換が響き渡る。そのうち近くの局に何かが落ちたらしく女子らの悲鳴が聞こえて辺りは混乱を極めていた。今なら逃げれるかも知れぬと気を張ったそのときだった。
 ガシャガシャと具足が擦れ合う音がして乱暴に戸は破壊される。その甲冑の色は恐らくこの城内の者のものだ。
「居たぞ!!」
「子供を連れて行け!!」
「女は後で構わん!」
 武士らは乱暴に踏み入り、私の腕の中にいる子供を引き離そうとする。全身で庇おうとする私になおも度し難い言葉が降り注ぐのだ。
「早うせい! 女子に手間取るな!」
「子供から磔じゃ! 奴らに目にものみせてくれる!!」
「なっ……!」
 男女の腕力の差というのは非情で必死の抵抗も虚しく子はすぐに私の腕から取り上げられてしまう。
「やめて……っ! その子を連れて行かないで!!」
「どけっ!」
「っ……!」
「急げ! あの男が来たらっ!!」
 必死に追い縋るもすぐに振り払われる。力の加減などされる訳もなく私は床に叩きつけられて、どんどん距離を離される子に手を伸ばして必死に名を呼んだ。
 誰か誰か! あの子を助けて!
 
「あの男ってなァどいつだい?」

 その科白に武士たちはヒ、と声を上げた。コツリコツリ、ジャラリジャラリ、跫音と鎖が触れ合うような音がして、その場に居た者総てが周囲の喊声が耳に入らなくなるほど息を呑んだ。
 何者だろうと声の方を目で追うと大きな碇のような槍を抱えた男が姿を現し、目の醒めるような銀髪と大きな躯体に纏った紅紫の衣が強烈な印象を与える。彼の声は静かで、だがひどく通る声だった。彼は私たちを見比べ首を振るった。
「女の手から無理矢理子供を取り上げるかァ、これがあの石田の配下とは情けねえな。ナァ?」
「ヒッ」
「くそおおおお!!」
 語調を強めた訳でもない、が圧倒的な威圧感が武士たちを包む。進退窮まったのか一人が狂ったように抜刀して銀髪の男に襲い掛かった。
「莫迦だねぇ」
 そう言うと肩に乗せた大きな碇状の槍を片手で持ち上げたかと思えば信じられない速さで振り払い武士を一一瞬の内に切り伏せてしまった。があああ! と苦悶を吐き絶命した仲間を見て残りの者らは震え上がったが逃げようもなくガチガチと歯を鳴らすのみだ。
「この期に及んで女子供を盾にする気じゃねぇだろうな? さっさと放しな」
「黙れええ!!」
 武士は太刀を落とし、何をするかと思えば小太刀を引き抜いて振り上げた。その切っ先は彼のもう片方の腕に囚われた我が子に向いている。
「やめてっ!!」
 私は悲鳴を上げ、槍を持った男は、どいつもこいつも下郎かよ、と舌打ちし先程より機敏な動きで槍を振るった。槍は炎の軌跡を描いて子に刃を振り上げた男の首筋を通り、その周囲で太刀を構える者らへと襲い掛かって彼らを薙ぎ倒すのだ。倒れる武士の腕から我が子を引き寄せて私はしかと抱きしめる。
 苛烈さを見せた男は私を見、肩に槍を抱えたままゆっくり歩み寄り私たちの目線まで膝を折って話しかけてきた。
「大丈夫か?」
「はい、ありがとう存じます」
「俺ァ長曾我部元親ってんだ。安心しな、ちゃんと俺らんとこで保護するからよ」
「……」
「あー、ちっとばかり教えて欲しいんだがよ、って人を探してんだ。あんたと同じように監禁されてると思うんだが」
「え……」
 私を探している? この目の前の長曾我部元親なる男とは面識がない。だが直ぐにはっとする。この名には覚えがあるのだ。私が尤も畏怖とする男の口から何度も聞いた。そう、家康の友の一人だ。我知らずごくりと喉が鳴ってしまうのは仕方のないことだ。
「長曾我部様、姫様はこちらの御方にございます」
「――っ」
「なに!?」
 止める間もなく腕の中の子がなんの警戒もなく告げて長曾我部元親の表情は見る見るうちに変わってゆくのを見て私は思わず顔を逸らした。ジャラリと彼の槍についた鎖が鳴り、衣擦れの音がして彼が立ち上がる気配がした。
「間違いねえか」
「はいっ」
「野郎共! お宝は見つけた! 全軍にそう伝令だ!」
「分かりやしたぜ! アニキー!!」
「それから急いでアイツ呼んできな」
「了解っす!」
 破られた戸の先には外が見えた。遠くの櫓から煙が上がり、入り口近くでは荒くれた男たちが各々武具を手に石田の兵らと戦っている。此処は城のどの辺りであろうか、あの櫓が三の丸としたらここは……。城の大きさは分からない、だがあの遠くから此処まで侵入を許しているのなら。

 多分この城はもうじき落ちる。



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