10
それから私は城内のある一室に押し込められた。格子がめぐらされ部屋の外には長刀を構えた女子ら、その先には物々しい武士、天井裏には手練の忍び、徳川に居ようが敵方に攫われようが、身の自由なく閉じ込められるのは私のさだめなのかもしれない。無駄に命を散らさせてしまった侍女達への申し訳なさに苛まれる心は陸の見えぬ湖を漂うようだ。
心の慰めは時折連れてこられるあの童だ。あなたはどなたですか? と聞く子に悲しいかな、私は徳川の縁者です、としか答えられなかった。子は満面の笑みで、家康の側室の名を語り、自分はその人の子だと言う。お母上はお優しい? と聞くとまた表情が彩られて彼は幸せそうに頷くのだ。心に去来する気持ちを総て押さえ込んで私は言った。
「お小さいのにこのような仕儀、何かあらば私の後ろにおいでなさい」
「いえ、そういう訳にはいきませぬ!」
「え」
「わたくしこそ、あなたさまをおまもりします!」
「まあ、そう。頼もしいわ」
泣きたかった。
子を見送ってまた一人になれば否応なく訪れるのは静寂だ。此処へ連れてこられて幾日過ぎたのか、あの包帯の武将は私を如何するつもりなのか、あのくの一は何時から叛心を抱いていたのだろうか。随分長く半蔵の下にいた気がするのだが。
其処まで考えて首を振った。東軍と西軍がどうなったか一つの情報もない。有事があらば子と私は悉く引き離されるか、まとめて殺されるか、二つに一つだ。あの子の部屋だけは突き止めて逃がしてやらねば。だから今は息を潜めてじっと待たなくてはいけない。
「息を潜めるのは、やはり何処に居ても同じなのね」
自嘲しか出てこないのはいつもの事だ。懐刀もない今何が武具となるか真剣に室内を見回していると、何処からともなく女の声がした。小さく漂うような、耳を済ませればそれが唄であると気付く。
なんだろうと障子近くまで近づくと、制止する声が聞こえたと思えば黒い何かが周囲を舞って皆が倒れる音がした。いよいよなのかと息を呑めば障子は開き、其処から現れたのは美しい女だった。
「見つけた」
其れこそ脳を突き抜けるような、それでも何かを漂うような声だった。
「貴女とっても不思議な色……」
「え……?」
「ふわふわして優しい色、市の母上の色」
「母……」
「でもその奥に悲しくて苦しい、でも、明るい、色……?」
その女性は子供のように微笑み、私の膝に頭をおいてきた。それは本当に無邪気な女童の仕草と変わらなかった。それはとてもつい先程外の皆を倒した者には見えず、何かの勘違いであろうかとさえ思える。
「ふふ、あったかい……、とても明るい色の傍にいるのに暗い、ふしぎ……」
「あ、の……」
「明るい、おひさま、ひかり……、光色?」
一人夢路を彷徨うような女性は私の声には応えずゆっくりとまた身を起こした。美しい顔が風に棚引く黒髪と相まって殊更侵し難い気配を放っている。彼女はにこりと笑って続けた。
「そう、貴女、光色さんのたからものね」
「光、色?」
「うん、光色さん」
「貴女はどちらの」
「市? うん、市はどこの人?」
「……」
其れはとても要領を得られる気がしなかった。如何したものかと途方に暮れていると戸の先に気配を感じゆっくりと目をやれば大谷の姿があった。彼は宙に浮く輿を自在に操り此方へやってくる。どのような法力でその様なことが出来るのか私には見当が付かないがこんなことが出来る相手が家康の敵なのだと思うと生唾を飲み込まざるを得ない。
「やれ第五天」
「? うん?」
「おいたが過ぎようぞ」
「ごめんなさい……市を怒らないで……」
「良い子にしておれば怒りはせぬ」
「本当?」
「おうともおうとも」
其れは異様だった。女童のよう、ではない。女童そのものと其れを手懐ける大人、そう表現するのが相応しかった。
「あちらに彼岸花が咲いておるぞ」
「緋い花……でも市、百合がいいの」
「百合、百合か。やれ困った、もう一月ばかり前ならば咲き誇っておったのだが」
「ないの?」
「花の季節は太閤でも変えられぬ故な、緋色の花で我慢してはくれぬか?」
「うん……うん……」
”市”と名乗ったその女人は微睡みの中を揺蕩うように立ち上がりまたふらふらと庭へ出て行ってしまった。後に残された私は只々あっけに取られていたが、広縁や庭先に倒れた人影を見るに付け、それはあっけなどではなく呑まれるばかりだったということに気付く。あの人は一体何者なのだろうか。
「やれ、無気力に生きる者は無気力に好かれるか」
不意に大谷がそう言い私は声の方を向いた。読めぬ表情のまま彼は悪い冗談でも言うように首を振って続けた。
「御方、ぬしはああはなるまいの?」
「……え……?」
「まあ、あのような者何人も居てはたまらぬがな」
「……」
「ヒヒッゆるりと休め。ぬしは賢い故大人しく出来よう? われの居ない間は三成しかおらぬ。粗相をすれば刀の錆にされようぞ」
それは暗に大谷がこの城を離れることを指していた。徳川方が知れば何らかの益になるはずだ。だがこの城が石田方の支城だということしか分からない私には其れを伝える術もない。意地の悪いことに大谷は其れを承知で言っているのだ。
私は何も答えず目を閉じた。衣食住が提供され、なおかつ組み敷かれないだけましだ。
「殊勝よな。徳川が手放さぬはず」
それ以上興味がないのか大谷が部屋を去る気配がした。私はゆっくり目を開けて思うのだ。
違うそれはただ、反抗する牙を抜かれただけなのだと。
******
お市は彼岸花を手に止め処なく歩いていた。この花は曼珠沙華とも呼ばれると教えてくれたのは誰だったか、彼女には思い出せない。しかしながら其れはどうでもよかった。そんなものより彼女には白い花のほうが価値があったからだ。
先程、城の外に大谷一行が出て行く姿が見えた。大人数を連れていたから戦にでも行くんだろうか。
「良い子にしてないと……」
あの包帯の奇人の言葉を反芻して彼女は、でも……と首をかしげた。
「市、あの白い花が欲しいな。白い、明るい、お日様……お日様?」
其処で一度足を止めて天高く存在する日輪に目をやった。
「白い……光色?」
誰だっけ、直接日輪を見ると目を傷めると怒った人は。彼岸花を持った手で光を遮りながら、彼女ははたと気付き楽しそうに笑った。
「そう、光色さんに会いに行こう……ねえ?」
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