変転の夏(八)

「あ」
「あ」
 互いに知った顔を目にすると姉妹は同じ言葉を口にした。此処は学び舎より徒歩10分程度にある最寄り駅。高級住宅街の傍ということもあってか、駅も大きく、ちょっとしたショッピングモールにもなっている。
 姉は改札から出て下の階にある本屋の前で、携帯電話を弄っていた。遅いぞ、と言わんばかりの姉の目が怖い。だがすぐに、の後ろにいる男二人の姿を目に留めると姉はその矛を収め、二三言葉を交わした後、笑顔で三成と大谷に対した。
「どうも、の姉です。妹がお世話になってます」
 いやなに、こちらこそ、と返すのは大谷で、三成は一礼しただけだった。フン、と一言言わなかっただけでも愛想が良い方だろう。
「あれが般若の姉か」
「シッ!!」
 大谷の耳打ちに命の危険を感じる。予感は当たり般若様の耳に届いていたようでチラリと見るとそこにジト目の姉が居た。
、アンタ私のことなんか言ったでしょ」
「いえ何にも! 無実です無実っ!」
 本当は有罪だが出頭するほどの殊勝さは持ち合わせては居ない。おのれ大谷、三年間痔に苦しむ呪いを掛けてやる、と恨めしく思いながらは引きつった笑顔を貼り付けた。
「っと、お父さん達まだっぽい?」
「うん、二人待ち合わせてくるとか言ってたけどお母さんだけになる可能性大」
「ですよねー」
「本屋もあるし、三十分は軽く待てるでしょ? その間着替えに行ってもいいし」
「うん」
「あ、私、あと一人待ち合わせがあるんだよ」
「誰かくるの?」
「うん、家庭教師してるとこの生徒さん。勉強熱心な子でね、問題集の数もう少し増やしたいってさ。ほら昨日アンタが作った回答と説明、アレ渡すの」
「ああ、あれ」
「アンタとは雲泥の差ね」
 そいつのせいで昨夜は馬車馬のように働かせられたのだ。全く余計なことをする奴だ。と内心首を振る。
「いいとこのお坊ちゃんだし、爽やかスポーツマンよー。月謝もお高いし言うことないわ」
「も、イイデス」
 脱力交じりにそう呟いてふと気付く。三成と大谷が去る気配が無い。もしや親と合流するまで居てくれる気なのだろうか。
「先輩、石田、此処までありがとう。姉と一緒だし多分大丈夫です」
「やれやはり分かっておらぬ、女子二人などナンパしてくれと言うておるようなもの」
「今までされたことないっす」
「寂しい人生よな」
「だまらっしゃい!」
 やはりか、本当にどんな嬉しいことがあったのだろう。此処まで自分に気を遣う心の余裕があるとは。がまじまじと三成と大谷を見ると、三成は視線が煩い、と言って睨みつけてきた。
「我らも駅で待ち合わせ故、多少はかまわぬ」
「そですか。じゃお言葉に甘えますね」
 姉はその様を見て何か含み笑いをしている。なんだよ、と思いながら当たり障りない話を交わし出した。五分かそこら経っただろうか、大谷が視線の先に何かを見つけたようでふと話を止めた。
「ふぬ、あれは」
「え?」
 釣られるままそちらに視線をやってみれば一人の男の姿が映る。様子を伺えば男はキョロキョロとして誰かを探しているようだった。
「げっ!!」
 目を凝らして姿を見とめた途端、はギョッとして大谷の後ろに隠れた。その行動に皆が目を見張る。
「やばい! あれやばい!」
「はぁ? アンタ何言ってんの」
 要領を得ない姉が怪訝な顔を向けてくる。はかまわず大谷の後ろにぴったりと隠れた。何事ぞ、と彼が呟いた気がしたが動かないでいてくれるのは助かった。男はこちらに目をやると声を張り上げた。
「あ、居た居た。先生ー!」

 は? 先生?

「ん? あ、家康君ー!」
 え? 家康君? 下の名前呼び? 何で姉がこいつを知っているのだ。は走馬灯のように駆け巡る思考を必死に繋ぎ合わせる。自分と同学年だという姉の生徒、いいとこのお坊ちゃん、爽やかスポーツマン……。其処まできて脳の線が一本煙を上げる。思考はそのままショートした。我が身が真っ白になっていくのがわかる。その間に男――、今最も会いたくない生き物徳川家康がこちらに駆けてくる。
「すみません、遅くなりました」
「部活でしょう? 私も妹と待ち合わせだしかまわないよ」
「よかった。 というか、三成と大谷まで、知り合いだったのか」
「いや、われらは」
「ん? !! ! お前っ……!」
「ひぃいぃ!!」
 ばれた! 思わず心臓が飛び出た。本屋にでも逃げ込めば良かったと思うのは後の祭りだ。は大谷のシャツをしかと握り締め、家康はかまわずあの人の良い笑顔を作って寄って来る。
「先生の妹ってお前だったのか! いやぁ姓が一緒だからもしやとは思ってたんだが」
「そっか、お互い見知った仲だったんだ」
「先生教えてくれれば良かったのに」
「いやー全然接点の無い子だったら教えてもへーぐらいでしょ、なんか寒いじゃん」
「相変わらずあっさりですね」
 姉よ騙されるな! そいつは危険です! と心中悪態をつくも和やかな様子にそれが無駄な叫びであることに気付く。
「待ち合わせってここのモールで買い物ですか?」
「んーん、今日は両親の結婚記念日だから娘達からイイトコで食事をプレゼントしにね」
「へー!」
「この子も頑張ったのよ。学校バイト禁止でしょ? 外資稼げないから私の手伝いしてお小遣い稼いだの。この回答と説明のノートもが書いたのよ」
が!?」
 視界が爆発した気がした。馬車馬の如く働かされて書いたものがまさかこの男の為だったとは。しかも、其処から得た賃金で親の結婚記念日を祝うなど。何の因果なのだ。神様、私何かお気に障ること致しましたでしょうか。もう神など信じない、これからは念仏に生きる。
 が一人、散り散りになりそうになるのを尻目に家康は更に笑顔になって寄って来る。すると大谷の背の前にもう一つ制服の陰が過ぎった。
、」
「近づくな」
 不意に制する声が聞こえ、えっ? っと全員が其方に目をやった。

- continue -

2011-11-23

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