変転の夏(七)

 社屋を後にしてから一時間弱、竹中半兵衛と豊臣秀吉は高級住宅街に程なく近い高校の門をくぐった。否応なしに目立つ高級車を来客用の駐車場に止めるのは面倒であったが、幸い夏休みの夕方ということもありその面倒はいくらか軽減された。
「よかった、間に合ったみたいだよ」
「何故分かるのだ」
「君が寝てる間に吉継君に電話しちゃった」
「ばれては意味が無いのではないか」
「サプライズに喜ぶのは三成君だよ。吉継君はそういうの嫌うからね」
「成る程」
 少し離れた生徒らの学び舎の昇降口の方へ足を向けるべく視線を送ると、彼はあ、と声を上げた。
「どうした半兵衛」
「秀吉見てご覧よ。三成君と吉継君が女の子と話しているよ」
「ほう、珍しいこともあるものだ」
「ちょっと隠れて見ていようよ」
 半兵衛は心躍らせ近くに手頃な潜伏場所を探した。ああ、大きめな木があると頷いたところ、友の困惑した声が耳を掠める。
「半兵衛よ」
「なんだい?」
「我が隠れる場所が無い」
「……木からはみ出してしまうね、秀吉」
 とはいえ自らが乗ってきた高級車の陰に隠れて不審者扱いされては堪らない。二人は平凡に校舎の脇に隠れることにした。人知れず、我は隠密行動に向かぬ……と社長が困り顔だったのを半兵衛は聞こえぬ振りをした。申し訳ないことだがそれだけ目の前の出来事に興味が沸いたからだ。

「あっと、今日は私も駅までご一緒しますよ」
「ほう、珍しいな」
「駅で姉と待ち合わせなのですよ」
「ぬしに姉が居たのか」
 半兵衛と秀吉の視線の先に、三成と大谷、そして親しげ話す女子生徒、――が居る。三成は会話にも混じらず二人の先をつかつかと歩いているようだが、その実、少しだけ合わせるような歩調であったことに半兵衛はほくそ笑んだ。
「しかしすぐに暗くなるぞ、女子二人で大丈夫なのか?」
「ああ、その後は両親とも合流するんでご心配なく。暗がりが危ないことぐらい私でも分かりますよ!」
「どうだか」
「まー……、メインの父が今日合流出来るかは疑問なんですけどね」
「メイン?」
「実は今日は両親の結婚記念日でして、ちょっとおリッチなレストランにご招待するサプライズ企画をしてるんですよ!」
「なに、ぬしはそれ程の孝行娘であったか?」
「先輩性格悪い」
 観客が居るとも知らずじと目で大谷を見つめる女子生徒に、ここでもサプライス、あそこでもサプライズだなと半兵衛は笑った。
「どんな店を選んだか見物よな? ほれ何処のレストランか言うてみよ」
「言ったら詰(なじ)る気だな!」
「ほんの興味、キョウミ」
「言わなきゃ付いてきそうですよね先輩。――あー、父の職場の近くなんですけど、クレール・ド・リュンヌっていう……」
「ああ、あそこは美味いな」
「ええっ! 行った事あるんですか!」
「ああ、よくな。三成もぞ」
「お金持ちだったのね! それなのにいたいけな乙女にお菓子を強請る鬼畜刑部め!」
「しかしあそこはそんな制服では入り辛かろうて」
「チッ! スルーしやがった! 着替えはしっかり持ってきてますよ。ほら」
 が先程大荷物だと評されたトートを見せると、大谷が少し笑って目を細めた気がした。対して半兵衛と秀吉は、これにはまた珍しいことがあるものだと目を丸くする。
「だがぬしによくそんな金があったな。いつも小遣いがないとヒーヒー言っておるのに。まさか犯罪に手を染めたか」
「先輩の中で私は一体なんなんすか。……今日まで涙ぐましい努力をしたんです! 外でバイトが出来ないから家庭内アルバイト! 姉のアシスタントをして日銭を稼ぎ……うぅっ」
「つまるところ肩たたきでもして姉に小遣いを貰ったと」
「この包帯野郎め! ちゃんと労働したんですよ! いちいちからかいやがってちくしょうめ」
「ヒヒッ」
「――まあ2ヶ月ぐらい私も頑張ったので今日のサプライズは成功させたいんですけどねぇ」
「父に問題があると?」
「そうなんですよ。根っからの仕事人間でねー、家族より何より仕事を優先しちゃう人なんです。家族の行事は何度か潰れてますし。まー母はそういう父が好きみたいですけど。仕事をする父の背中が好きで堪らないらしいです」
「ぬしらは寂しい想いをしたであろう」
「いやー母がああなんであんまり。仕事をする男は素敵だと教え込まれましたから。お陰で仕事人間と結婚しそうな人生観になりましたよ」
「てっきりぬしは仕事と私どっちが大事なのとか言うと思っておった」
「一生言いませんよ。だれですかそんな馬鹿女は」
「馬鹿女とまで言い切るか」
「そうですよ。仕事があってこそ家庭があるんですよ。そこまで言うなら自分で稼げと言いたいですねあてくしは!」
「先程は大分呆れたが、われはぬしを見直したぞ」
「さっきも同じようなこと言ったけど私をなんだと思ってんすか」
「さあなんであろうな?」
 若干脱力した様子のに大谷は飄々としたものだ。三成もまた話を聞いているのか聞いていないのか、はたまた関心が無いのか分からないが相変わらず前を向いたままだった。
「しかし、クレール・ド・リュンヌのあたりは大きな企業の本社や支店揃いであろう? 父御は随分いいところに勤めておるのだな。差し支えなければ教えよ」
「父御ってあーた。えっと確か……トヨトミホールディングス本社の第二営業部だったかな。何を売ってるとか取り扱ってるとかは知らないです。守秘義務があるからって仕事のことは一切教えてくれないんですよ。一応緊急時の連絡先として部署と電話番号だけ教えて貰ってる始末で。それもまた母は秘密を抱える男って素敵ってメロメロなんですよね……」
 は少しだけ呆れと憂鬱を含むように溜息をついた。だが、彼女の言動は図らずも聞き耳を立てていた者ら全員の脳を揺さぶっていた。三者三様ではあるがをからかっていた大谷、校舎の脇に隠れきっている半兵衛と隠れきっていない秀吉は目を見開く。そして――
「トヨトミホールディングスだと!?」
「ひぃい!」
 それまで我関せずを貫いていた三成が、襲い掛からんばかりの勢いで振り返りの真正面に顔を近づけてきた。
「なに石田! 君の心を擽る何かがあったの!?」
「質問に答えろ! トヨトミホールディングスで間違いないんだな!?」
「ちょ、脳が揺れるっ」
 三成はの両肩を持ちガクガクと振り、大谷は不気味に、……、……と呟いている。それが余りにも呪詛めいていて怖い。暫くして二人がそうか、と頷き心なし柔らかな表情になって、行くぞ、とを誘う。一体なんなのだと聞く間もなく二人は先に進むのだった。

「秀吉……」
「うむ」
「ここまで来て驚かせようと思ったけど当初の予定通り駅で合流するのはどうだろう」
「うむ、かまわぬ。興味はある」
「流石秀吉だ」
 遠目に起こる喧騒を後にして、半兵衛と秀吉は車に乗り込む。手馴れた様子でスマートフォンをカーナビのブルートゥースに繋ぎ、カーナビ画面の通話ボタンを押すと同時に車を発進させた。数回の呼び出し音が響き、応答がある。
「ああもしもし、僕だよ。ちょっと言伝があるんだけど……」
 バックミラー越しに後部座席に座る社長の顔を見ながら半兵衛は笑った。

- continue -

2011-11-16

半兵衛はスマホ派だと信じています。
クレール・ド・リュンヌは某ゲームに出てくるレストランのお名前から拝借。お分かりになられた方いらっしゃいますか?