空はもう斜陽の様相だ。窓越しに見えるビル群も真夏の日差しの色を一身に受けている。横目に見れば、近くのビルの窓に反射した光が目を襲い、形の良い眉を思わず顰めた。
毎日この時間に遭遇するこれには何時までたっても慣れない。景観もよく便利のいい部屋で気に入っているのだがこれだけがネックだ。あの方向だけはそろそろ意地を張らずブラインドで覆ってもいいかもしれない。こうなる頃にはもう終業時間も近いな、と時計に目をやれば十七時を回るところだった。
やはりそんな時間か、と竹中半兵衛はキーボードを叩く手を止めた。自分直属の秘書である女性社員を呼び止めて、事務的な内容を一言二言交わせば彼女は頬を染める。それが自分の容姿のなせる業だと知る半兵衛はこれを便利でもあり、時に邪魔なものだと思っている。中性的で整った顔は人を懐柔するのには役立つが、一人になりたいときでも女性が纏わり付いてくるのは聊か面倒なのだ。
秘書にもう帰ってよいと告げると、彼女は少しだけ残念そうな顔をした。誘われるとでも期待したのだろうか。無碍にあしらって仕事上ギクシャクするのは良くない。やれやれ、と内心溜息をついて作り笑いで送り出した。
不思議なもので、人が一人居なくなっただけで部屋の様相というのは変わる。秘書の衣擦れの音も、たまに足を組み替える所作で聞こえる椅子の音も無くなり、エアコンやパソコンの稼動音だけが其処にあった。
半兵衛は、傍にあった分厚い書類を取り上げて艶やかに笑みを作る。
「彼の頑張りのお陰で数日は早く終われそうだ。優秀な社員だよまったく」
手にあるのはとある大手企業との間に交わした契約書。自分より遥かに年上の営業部長が取ってきたその契約は、半兵衛が副社長を務めるこのトヨトミホールディングスを大きく躍進させる程のものだった。
さて、どんな形で報いてやればいいだろう。給料を上げるだけでは申し訳ない程の功績だ。もっと高いポストに? だがそうしてしまうと営業の第一線に居られなくなってしまうだろう。彼の好いところは仕事好き以上に社長である豊臣秀吉に心酔しているところだ。そんな彼ならば引き抜きの心配もない。思い切って中枢に置いてしまいたいのが本音だが。
「秀吉とゆっくり相談だな」
そう呟いて一拍、扉の先に人の気配とノックの音がする。どうぞといえば見知った顔が入ってきた。大きな体格と風格を備えた男だ。
「ああ秀吉、お疲れ様」
「うむ、おまえもな」
「社長自らのお運びとは勿体無いよ」
そう言えば、心持ち柔らかい顔になって彼は頷いた。
「今日の祝いの席、三成らとは駅で待ち合わせだったな」
「ああそうだよ。そうだ秀吉、少し時間があるしたまには学校まで迎えに行ってみないかい?」
「それは良い。学校ではどんな風に過ごしているのか見るのも良いやもしれぬ」
「決まりだね、ならすぐに出ようか。入れ違いになったら困るし」
「うむ」
一つの思い付きが、自分にとってそれはそれは楽しいことになるとは露知らず、半兵衛は立ち上がった。
茜色の空が広がり、時計は十八時に針を動かす。今日も今日とて、生徒会監査の仕事は長引いた。理由は各クラス、各部からの予算申請が滞った為だ。学校の一生徒のサークルからのお願い程度に思っているのか、決まりを守らぬ者らは多い。生徒会は目に見える利益を生む存在ではない、彼らはえらそうに何を言うのかと主張するのであろうか。だが自分達の時とてタダではない。自堕落な皺寄せなど迷惑この上ない話だ。締切を守れぬ者らには大谷が毛利を介してきっちり制裁をくれてやるであろう。は鞄に荷物を詰めながら溜息を付いた。
「二日連続の残業よねー……」
そんな予感はうっすらしていて、姉との待ち合わせを十八時半にしておいて正解だった。もし待たせたら、般若姉にどのような目に合わされるか分かったものではない。
「あーお腹すいたなぁ」
、三成、大谷の三人は、結局大谷らが持ってきたチョコレート菓子と紅茶が昼食となってしまった。甘いものは腹を膨らませ、昼食を取るのが億劫になってしまったのだ。だが減るのも早かった。きちんと食べるべきであったと個々に思っていたのは秘密である。
「さっさとしろ、鍵を閉めるぞ」
「あ、うん。ごめん」
パソコン等が置いてある為か、生徒会監査室は活動が終われば鍵を閉めるように言われている。昨日はが閉め、今日は三成が閉めるようだ。普段の鞄と一緒に別のトートを手にすると大谷がぽつりと言う。
「今日は大荷物よな、夏休み前にずぼらでもして置いて帰っておったか?」
「ちげーますよ。それなら何日か前から分けて持って帰りますよ。毎日来てるんですから」
「そうかそうか、相すまぬ」
「悪いって思ってないでしょ」
「何故ばれた」
「おい、いい加減にしろ」
「すいやせん、石田様」
が足早に出ると三成は乱暴に戸に手を掛け鍵を閉める。目つきが聊か怖い。何時も以上に据わっている気がした。
「私は先を急ぐのだ、手間を取らせるな」
「こわっ」
三成はそう言い捨てると早足で鍵の戻し場所である職員室の方向に向かう。その姿を大谷と見送りながらは半分独り言のように呟く。
「帰りはいつも慌しいなぁ」
「そうよな」
「先輩、石田と先輩は夕方から塾にでも行ってるんですか?」
「いや、そうではないがな。だが三成は真面目ゆえ」
「はぁ」
「だが今日はより急いておるのは確かぞ」
「ああお昼に言ってた良いことが関係してるんで?」
「まあそんなところよ」
大谷はそう言いながら昇降口の方へ歩を進めだした。目的地が一緒のもそれに従い付いて行く。すると階段の踊り場に差し掛かったところで大谷の携帯電話が音を立てた。着信音は無難な機械音、面白味がないといえばそれまでだが、彼がせっせと今時の着うたなどを設定するのも想像すればまた異様だ。
格段、聞き耳を立てる趣味もない。通話ボタンを押す彼に、先に行ってますねとジェスチャーをしてみせると、大谷は手招きをし、下をとんとんと指差した。ここに居ろ、ということなのだろうか。
「はい、まだ校舎内故、……相分かった」
所在無げにする間もなく大谷は通話を終えると、溜息交じりに苦言してきた。
「何に付き纏われておるか知らぬが、なればこそ一人になるでない。ぬしはそういうところが危うい」
「先輩……! 先輩が紳士!」
「昇降口で三成を待つか。校門を出るまでは気に留めてやろうぞ」
「なんすか先輩、私今日は先輩に感動の坩堝ですよ!」
「われは返す返すもぬしに呆れておる」
「えっ!?」
包帯を巻いた大谷の表情は相変わらず読めない。心持ち目を細めたようなそうでないような。それが何を意味するのかなど読心術の心得もないには分かるはずもない。やれ行くぞ、と階段を下りる大谷の後を付いて行きながらは首を傾げるのだった。
- continue -
2011-11-09
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