打って変わって、は非常に軽やかな足取りで監査室に向かっていた。手練れの孫市に護身術を習う。習得すれば我が身を脅かされることもない。もうあの筋肉の思い通りにはならない! 歓喜の余り完全勝利の雄叫びを上げたいくらいだ。
「失礼しまーす!」
「煩い」
「おお、。ご機嫌よな。そんなに菓子が嬉しいか」
「そんなとこでーす!」
「煩い、殺すぞ」
「座るが良いぞ」
「はーい!」
監査室の扉を開ければクーラーで作り出されて人工的な涼しさと何時も通りの反応が返ってくる。見れば例の年代物のソファーの前に鎮座するテーブルに、昨日幸村の腹の中に消えたチョコレート菓子が三袋もあり、その横にはなにやらカップとソーサーまでが置いてある。せいぜい小分けのチョコレートが二、三個程渡されるだけであろうと思っていたは驚いた。こりゃまた豪勢だ、と思う反面、我が身に降り注ぐ光明を祝っているかのようにも感じられて上機嫌でソファーに着く。
「てか刑部先輩、ほんとに中に何か仕込んでないでしょうね!?」
「なんという言い草、われは傷ついたぞ」
「普段の行いを鑑みやがって下さいね。先輩にそんな繊細な心があるとは思えません」
「ヒヒッ、あなかなしや。だが今日のわれは寛大故、茶も持て成してやろう」
「マジで!? 何があったの!」
「なにたまの気まぐれよ」
「まさか刑部先輩と優雅なティータイムをする時がこようとは思いませんでした。よく持って来ましたねそんなの。良い事でもあったんですか?」
「まあそのようなものだ、のう三成」
「ああ」
「へー! じゃあ私にも幸せの御裾分けしてくれた訳ですね。じゃあありがたく」
大谷は手際良く茶を淹れていく。良い香りが漂い口にすれば味も悪くない。どこぞの店で飲むかのようだ。傍にあるポットは見覚えのあるもので職員室から借りてきたのだろうと想像がついた。だが一体どんな顔で借りてきたのだろう、と考えるのはこの味の前には野暮というものだ。
同じように茶を出されても三成は、ああと言うだけで口には運ばない。両手は文化祭の予算資料とペンで埋まっている。手を休めろと言ってもきっと彼は聞かないだろう。
さあ食うてみよ、とチョコレート菓子を手渡されるまま口に運べはコンビニで売ってある菓子とは思えない美味さが広がる。
「あ、美味しい! 先輩ありがとうー!」
「なに、三成にも礼を言え。一人で買うのは恥ずかしかった故三成にレジに行って貰ったのでな。ふむ、安物のくせに悪くない」
「……意外にシャイボーイだったんすね先輩。石田もありがとー!」
「フン! 黙って食え!」
「はーい。てか一緒に食べようよ、分けるね」
も大谷も茶を口にするが、三成はやはり相変わらず。せっかくの淹れたての茶も美味しい菓子も手付かずのままだ。
「はい、アーン」
「は?」
「え? アーンだよアーン。だって石田仕事の手休めないじゃん。今だって両手に書類でしょ」
「……馬鹿か貴様!!」
「ひぃっ!」
「やれ三成、そんなに怒るな。、それならわれが貰ろうてやる。口を開ければよいか?」
「刑部先輩は手が空いてるじゃないですか。怠慢よくないよくない」
「ヒヒッ残念よな、だがのそれもどうかと思うがの」
三成は眉間に皺を寄せ青筋を立てながら、の手にあった菓子をパシリと奪い取り口に入れる。面倒くさそうに食す彼を眺めながら、以前は梃子でも口に入れなかったのに進歩したものだ、とも大谷も内心ほくそ笑む。
「素直じゃないですなぁ石田君」
「死にたいか」
「すいませんした」
「まったく、貴様といい長曾我部といい調子が狂う」
「長曾我部君、ああ……あの気風のいい。意外な人と友達なんだね」
「……」
お、とは思った。普段の彼ならば、友などではない! と否定するところなのだが。どうやら長曾我部氏のことを随分気に入っているようだ。三成はさして表情を変えるでもなくを真っ直ぐ見て口を開いた。
「人のことはいい。貴様、何があった?」
「えっ!?」
珍しいことがあるもの。他人のことに、いや自分のことすらも無関心この上なく、一体何に面白さや興味を持って生きているのか分からない三成が、何があったかと問うてきたのだから。
「職員室で騒いでいたではないか」
「見てやがったか! あああ思い出したくないことおぉおをを!!」
「落ち着け、耳障りだ」
「……心配するか突き放すかどっちかにして貰えませんかね」
「ふん」
「われも見ておったぞ、やれ言うてみよ」
「えーあー……、いやーちょっと身の危険といいますかなんというか。いや緊急性は無さげなんですけどね、うん。多分」
「其方を狙うなど結構な好き者よな」
「ほんとそうですよ! 返して私の平穏!」
「われの皮肉も効かんとは。ぬし相当追い詰められておるな」
が思わず傍にあったクッションを頭に被りソファーに身を埋めると、大谷は目を見開き、三成は眉間に皺を寄せた。三成は憮然として立ち上がり、乱暴にのクッションを取り払うと、驚いて起き上がる彼女に彼女の鞄を投げつけた。
「わっぷっ」
「携帯を寄越せ」
「えっ」
「早くしろ」
「あ、うん」
呑まれるように、言われるままに鞄から取り出した携帯電話を手渡すと三成は憮然とした表情のまま、手際よくボタンを何度か押し自身の携帯電話と向き合わせた。それが赤外線通信だと気づくとは思わず大谷を見る。大谷も先程よりも目を見開いて三成の手元を注視していた。
「アドレスと番号は入ってる、貴様のもこちらに登録した」
「ああ、うん」
「本当に危険なときは連絡を寄越せ。ワンギリでもかまわん」
「うっそ石田、心配してくれるの?」
「目覚めが悪いだけだ」
携帯電話をポイとの膝に抛りながらそう言うと、席に戻って書類を手に取った。余りのことに、呆然と見ていると大谷の声が耳を突いた。
「ぬしの携帯はデコレーションの一つもないのか。味気ないな」
「ぎょ、刑部先輩はそういう女が好みなんですね。ほうほう」
「という訳ではないがな。だがクラスの女子らは兎角光らせておるゆえ」
「あれ私理解できない。ああいうのって壊れた時タダで修理して貰えなくなるじゃないですか」
「携帯などどうせ二年ぐらいで買い替えではないか。使い捨てでかまわぬ」
「出たよ金持ち理論!」
「まあ、われにも貸せ。連絡先は多いほうが良かろうて」
「先輩まで今日はどうしたんですか?」
「なに、ぬしの不幸を傍で見てやろうと思うてな」
「にゃろう」
大谷もまた、受け取った携帯電話を操作して自身の携帯電話と赤外線通信を始め、手早く済ませるとに返してきた。どうも、と言って受け取り確認すると確かに二人の電話番号とメールアドレスが登録されていた。最近では無用心にも住所なども携帯電話に登録してる者が多いが二人はそのようなことはないようだ。登録していれば危機管理が足りませんよ! と一言言ってやろうと思っていたので聊か拍子抜けではある。
「しかし……私とアド交換した男が慶次に続いて石田と刑部先輩とは……。濃いな」
「なんだ、他に交換している男は居ないのか。ぬしならば交友関係は広いと見ておったに」
「なんですか人を尻軽みたいに! そりゃ女の子とは交換しますけどね! 私と交換するなんてレアですよ! ありがたく思いやがれですコンチクショウ!」
「何を言うか、情けで教えてやったに」
「くっ反論できない自分が悔しいっ!」
大谷は一層目を細めて笑う。そのうち三成が調子に乗るな早く仕事しろ、とばかりに書類の束の一つをの顔に投げ付けて、見事全弾食らったは赤い鼻のまま監査の仕事に勤しむことになった。
- continue -
2011-11-02
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