若木萌ゆ(五)

 結末は存外お粗末で、あっけないものだった。
 攻防は寺の鐘撞きが三度鳴るか鳴らないかの時であったろう。この忍び、諜報には長けていても実戦には向いていなかったらしい。小さな呻き声を上げて仰向きに倒れた男の骸に自分でも驚くほど冷たい声で佐助は呟いた。
「あんた、地雷を踏んだのさ。俺様は俺様の主君を馬鹿にされるのが嫌いでね」
 忍びはあらゆる感情を隠す。だが人を捨てた訳ではない。常に考えを巡らせ最良の策を得、命の限りを尽くす。だからこそそれに見合う才能と度量を持つ主君に飢えているのだ。どれだけ破格な銭を積まれても愚かな国主などに誰が命を掛すものか。佐助が昌幸亡き後も里に言われるまま上田に残ったのは幸村に少なからずその片鱗を見たからだ。あの老人や公家気触れなどよりは遥かに才覚を備えている。
「ひ、ア……し、死んだっ……」
「当たり前でしょ、これが俺様たちの世界だから」
 事も無げにそう返せば喜兵衛は依然腰を抜かしたまま、目を見開き噛み合わぬ歯をガチガチと鳴らせている。
「お馬鹿さんだね、職人は職人らしくお仕事してればよかったのに。こんなことに関わって命の危険に晒されちゃ世話ないでしょ」
「お、おれ、おれはっ」
「ん?」
「俺には、この国しか! 何もねぇからこの国しかねぇんだよっ! 大事な拠り所を守る為なら協力だって!」
「――」
「住みやすい気心しれた奴らばっかの国だったのに! 知らねぇ奴らがどんどん増えてっこ、この国の忍びから、他国の忍びが来ている、国を滅ぼす報を掴んで戻ろうとしているって言われりゃ!」
「……」
 大方、北条の忍びに情報を流し協力すれば今まで通りの国を維持できる助けになる、そう思ったのだろう。国を憂う、ただその一心で。哀れな男だ。彼の言う知らない奴と、北条の治安を脅かすであろう悪意を持つ者ら、それを気づかず国に入れているのは他ならぬ国主だというのに。哀れで滑稽、だが佐助の頭にはもう一人のあの恰幅の良い職人の言葉が思い出されてなんともいえない気持ちになった。
 ――立場が違うと同じ行動でも随分違うものになる。
 あの職人も喜兵衛も佐助と商売をした。一人は家族を守る為に、もう一人は国を守る為に。その根底に在ったのは、大切なものを守りたいという情動だ。
 佐助は頭を掻いて、コレ修理代ね、と銅銭を置くと靄に包まれて小屋から辞し木々を伝って行く。もう潮時だろう、今喜兵衛の家で屍となった忍びが単独で動いているとは考えがたい。素早く帰路に付かねば危険だ。佐助はどんどん速度を早めて人気のない林へと急いだ。

 幸い町中での戦闘はなかった。城下を離れ国境へ近づき山国甲斐へ急ぐ道すがら、人目を避けて木々を飛び移る彼は周囲に全神経を集中させる。此処まで追っ手がないのはおかしい。そろそろくるはずだ。情報を携えた鷹を飛ばし、囮に大凧を空に飛ばし、佐助は直走る。
 風の抵抗を感じ、木々が葉を震わせてザァッとざわめきが沸き出でる。慌てたように鳥が数羽飛び立った。
「チッ――」
 佐助は今居た枝から予定とは違う枝へ急ぎ飛び移った。カカッという音とともに間髪入れずそこには無数の苦内が刺さる。周囲には黒い羽が舞い咄嗟に上を見上げれば佐助の居る大木より更に高い場所で腕を組む男の姿があった。忍び頭巾の中の表情は見えないが無駄のない筋肉は確かに戦忍のもの。その姿を見たものは命はない、そして声を聞いたものすら居ないというこの眼前の男。
「――風魔、小太郎」
 佐助が名を呟き睨み据えれば小田原城と並び北条の要ともいえる伝説の忍びが動く。音もなく気を飛び降り、かと思えば空中で大きな手裏剣を構えてこちらに放ってくる。かわせばその先をとるであろう風魔に、受け止めれば簡単に身体も裂いてしまいそうな手裏剣の餌食になるのは必至だ。
 佐助は得意の分身を作り一人は飛び上がり一人は受け止め、もう一人はその場から素早く姿を晦ませる。木々の中で息を殺し、分身たちが風魔と大型手裏剣の餌食になるのを見ながら柳眉を顰めざるを得ない。ついてない、その一言に尽きた。よりによって忍びの中の忍びであるこの男と鉢合わせとは。
「!」
 何かが光ったと思った瞬間、風魔が佐助の左方から迫り来る。殺気も、それ以前に気配すら感じさせないその手腕は圧巻だった。また苦内で弾いて何とか距離を取る。里始まって以来の逸材と言われた自分が一瞬でも相手の気配を見失い防戦一方とはこれ如何に。
 背にある小太刀を両の手に引き抜いて風魔小太郎は間合いを詰めて来る。ほんの一太刀二太刀、刃を交えただけで分かる。数々の逸話を持つ忍び、まさかこれ程とは。
「噂通りだね。俺様が生まれる前からアンタの噂があるらしいけどアンタ一体いくつ?」
 佐助もまた、自慢の手裏剣を構えて牽制する。大木の枝の上、足場が定まらぬ場所で忍びたちは互いの命を削ろうと探り合う。
「違うな。風魔小太郎、アンタは何人居るんだろうね?」
「……」
 カキンッ――
 と、金属が激しく弾き合う音が響く。思いの他強い一撃に眉を顰め負けじと鍔迫り合う。
「はっ! 図星っ?」
 そう言いながら得意の分身を放ち、隙を突いて飛び退くと、影の一閃が風魔目掛けて煌く。一撃が確実に風魔の太腿を抉り、分身たちはそのまま彼を地上へ落とし砂煙が舞った。殺ったかと目を凝らすと砂煙が消えぬうちに其処からまた風魔が飛び出でて、手傷を負ったというのにその速度は変わらず佐助を蹴り上げお返しとばかりに地に落としてくる。
「って……」
 なおも敵は追撃の手を緩めない。土に背をつけた佐助に這い寄るように捕縛の術を放ち上空より止めを刺すべく降ってくる。心を落ち着け渾身の力で捕縛を弾き、風魔を退けまた飛び上がる、が――
「ぐあっ……!」
 左肩に強い衝撃と痛みが走る。視界に四散する紅いそれに、手痛い一振りを食らったと気づくには十分だった。それも満足でないのか風魔はなおも進み出て小太刀を構えている。
「アンタ、痛いとか苦しいとかないの?」
「……」
「俺達忍びだけどもうちょっと大切にしたほうがいいよ」
 肢を動かす度、風魔の忍び装束は赤黒さを増してくる。痛みを感じていないのか、それすらも必要ないとでも言うようなその姿に、それって寂しくないか、なんて言葉が心を掠めて佐助は眉を顰めざるを得ない。
 本来、風魔のように目的のみを遂行するような男は忍びの模範と言えるだろう。幸村の為なら自分もそうなる筈だ。殺し殺され、そんなの上等だ。だが、なんなのだろう、この胸に爆ぜる違和感は。
「……俺様はアンタと対極がいいみたい」
 本当は理由など当の昔に分かっている。温かいものを、覚えてしまったからだ。
 風魔の動きが一瞬止まる。動揺したようにもそうでないように見えた。佐助は不意に湧いた好機にここぞとばかり黒い靄を放って姿を闇に溶け込ませのだった。

- continue -

2012-08-04

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