若木萌ゆ(四)

 それからさらに二日、佐助は驚く速さで次々と情報を仕入れそれが確信へと変わった。各国に大っぴらにされてはいないが、北条と今川が手を組んだのは間違いなかった。間違いなかったというには理由がある。『勘合』のような札型を見つけたことと、船乗り達の証言で、今川領通過時に海賊から守ってもらったという話を聞いたこと、それから甲斐領にくる今川方の忍びらしき者らの姿を見つけたからだ。大店以外船にも忍び込んだが品物に危険なものは今のところない。だが、これからはどうなるか分からない。
 北条と今川、戦を好まぬこの二つがどうして手を組んだか、互いに領土の保全を求めただけか。しかし京からの海路を確保する分十二分に警戒せねばならない。海を制している、それだけで途方もなく可能性が広がる。貿易の為に奥州や九州、それどころか大陸にとて出られるのだから。北条や今川の当主がそこまで考えているかは分からないが、海を持たない甲斐武田氏からすれば喉から手が出るほど欲しいものだ。甲斐に、大将に海があれば、と一瞬でも苦々しく思うのは仕方がないことだった。
 さし当たって京との貿易ではあるが、京の立地を考えれば堺から鉄砲を仕入れることも可能だ。
「ん……?」
 まてよ、と佐助は目を細めた。客観的に見て失礼ながら北条と今川双方の国主はどんぐりの背比べだ。この二つがすんなりと同盟を組めたことがそもそもおかしい。能力が近しいからこそ互いを牽制するのが常。仲立ちをした者がいる、そう考えるのが妥当だろう。京、堺あたりに力が及ぶ勢力、それは――
「ああ、こりゃまた戻ってもすぐお出かけかなぁ」

「なんでぇ、急ぎの用でもあるのか?」
 独り言つ佐助に相変わらずぶっきらぼうにそう問うたのは愛想のないだが堅実な仕事をするあの職人だった。今日は品を受け取る期日の為佐助は再度彼の元を訪れている。
「んーん、お国に帰ってからのことをね」
「そうかい」
 そう言って口調と同じように不躾とも思える所作でずいっと椀を差し出してきた。佐助は何も言わずに受け取りそれを背負子に一つずつ納める。ゆっくり、ゆっくりと。
 椀の、木特有のカタカタと刷れる音が響き先日と同じように格子窓から光が零れ落ちる。そして、壁に不釣合いな日射が散乱した。
「――やめなよ」
「っ!」
 振り向かずそう言う佐助の背後には、息を呑み彫刻刀を掴み振り上げたままの喜兵衛が居た。
「無駄なことしないほうがいいと思うよ」
「お、おまえっ……! ぐあっ!!」
 間髪入れず無表情のまま掌中の椀を驚愕する職人の顔と戸板に投げつけた。戸板に当たった椀は欠けてコロコロとまわり、避け切れず眼球に食らった職人は無駄な肉のない顔を覆って悶絶する。
「やれやれ、間者するとすればあのお腹の出てるオジサンの方かと思ってたんだけど。金回りも良さそうだし子供見せ付けちゃってくれるからさ、当てが外れたよ。――まぁ出ておいでよ?」
 戸板を睨み付けるとそれまで鳴りを潜めていた気配が一気に滲み出てくる。舌打ちと共に聊か乱雑に開かれたその先から現れたのは、職人達を紹介したあの男だ。先日と違うのは小袖ではなく紺色の忍装束を纏っていることと、明らかな敵対意思の表れを持っていることだった。
「わっかいねぇお前。才気活発は結構だが目が曇っちゃ世話ないぜ」
 そういう男、――装束からして北条の忍びであろう男は忍頭巾に覆われた口元を鬱陶しそうに下げて唇を歪めた。
「その様子じゃ俺が忍びだと気付いてたくさいな」
「まーね」
「何処で気付いたよ?」
「それを俺様に聞いちゃう?」
「まあ後学の為に」
「後があるならねっ」
 苦内を投げつけ、相手が怯むその隙に本来の忍装束に身を包む。重ね着って辛いよねとおどけて見せれば忍びの口も歪んだ。
「理由はたくさんあるよ。一つは俺様に京訛りがあるって言ったこと。俺様が使ったのはほんの少しだけ。いちいち目敏く反応するもんじゃないね。もう一つは値段が高いって言った筈の反物、あれを買った後だ。あれは庶民の職人や商人が持つには高い物、それを粗雑に小脇に抱えたでしょ? 価値の分かる商家の雇われならそんなそんな扱いはしないよね。小さな店を構えてるとでも言えばよかったのに」
「へっ」
「最後はその匂い。俺達忍びは体臭なんてあったらまずい。香を焚いて何者にも化けれるようにしなきゃいけない。職業に合わせてね。でもあんた焚き染めすぎ、そんな爽やかな匂いのする雇われ商人なんているかよ」
「洒落た商人のつもりなんだよ」
「よく言うよ」
「やだねぇ、ちょうど薬売りに化けた後だったんだよ」
「言い訳聞くほど俺様優しくないよ」
 手にした甲賀手裏剣を上下に弄び相手との間合いを計る。作業場は工具や木材が多くおおよそ激しい戦闘をする場所ではない。敵方が天井裏にでもまだ潜んでいるかもしれない。外に出ても大丈夫か、慎重かつ冷静に見定めねばならない。
「で? 俺様のは何で分かったの?」
「猿飛佐助を知らねぇ忍びが居るのかい? 忍んだ方がいいぜぇお前。うちの長見習ってよ」
「ヤな皮肉」
「最初は風変わりな商人だ、くれぇだったがな。よく見りゃ売ってる反物の趣味が良すぎる。確かに柄は控えめ、領主の側女や侍大将の身内なんかが着るにゃ地味なもんだ。大方城勤めの女中にでも選ばせたんだろ。覚えておけ、庶民なら品がなくても派手なもん選ぶんだよ。でまぁそこでどこぞの大名の子飼いだと疑いだしたって訳だ。流石に猿飛だとは思わなかったけどな」
「あちゃー、女中さんの持ち物って庶民のお嬢さん達の憧れじゃないの?! ざーんねんいい勉強になったよ」
「今の世の中、教養を得るにゃあ難しい。分かる奴は少ねぇってことさ。そこまで心配りが出来るんなら商人になりゃ、お前大成するんじゃねぇのか?」
「生憎その学のない奴に頭を下げんのは性に合わなくてね」
「ほう? 今の主君は餓鬼だと聞いたがその価値あんのか?」
 明らかに小馬鹿にした視線、物言いに、自分でも驚く程風雪の様に心の臓に刺さる。脳が一気に冷めていくのを感じながら佐助は甲賀手裏剣を握りなおした。
「あんたにうちの旦那をとやかく言われたくはないね」
「へっ」
「もう一つ質問、猿飛佐助だと疑いながら随分泳がせてくれたじゃない? なんで?」
「調子に乗るな小僧、てめぇに教えることなんざこれ以上ねぇよ。と言いてぇところだが教えてやる。純粋な興味だ、噂の凄腕が何処までやるか見てみたくなってな。上に伝えりゃどうとでも出来る。ボロを出しゃハイそれまで」
 忍びに姿を変えた男はからからと笑う。格子窓から通る風が開いた戸板の先に抜けていく。
「興味が失せたらそこに転がってる喜兵衛、こいつに呼び出させて始末すりゃいいそう思った訳だ」
 見縊られたものだ、と鼻白みたくなるのを仮面の下に隠して佐助は頭を掻く仕草をして見せた。
「もう掴んでるんだろう? ぐずぐずしてたら甲斐はお仕舞いだ」
「どうだかね」
 北条と今川に同盟を結ばせた存在、それに中りをつけるのは存外簡単なことだ。端的言えば京近辺の物資に影響を及ばせることの出来る者、直接的には堺の町衆だ。自治都市と化す堺の町衆は商人にも関わらず大名同士の和平調停を行うなど政治面でも華々しい。近年、織田の上洛や豊臣の台頭でその自治こそ奪われはしたものの彼らの経済力は衰えてはいない。鉄砲製造と流通を背景に京に居を構えその采配を振るっている。大名も一目置く存在、彼らが言えば大大名とて動くことも十分有り得た。佐助が知り合った大店の船の持ち主の名は今井宗久といい彼もまた堺の豪商の一人である。
 そしてその堺の町衆の後ろで糸を引く者、今川と敵対する織田が大同盟を締結するとは考えがたい。だとすれば多大な軍備を増強し町衆に利を与える豊臣と考えるのが妥当だった。
 この男は、北条は、後ろに豊臣があることを知っているのだろうか。知った上で、甲斐近辺を滅ぼし、そのまま豊臣に付こうとしているのだろうか。莫迦な、と佐助は内心首を振る。危うくなるのは北条と今川、最後は使い捨てがオチだ、と。だがそれを教えてやるほどの義理は持ち合わせては居ない。
「ハハッ!」
「小僧、何を笑っていやがる」
 不快だったのか、相手は間髪入れず多数の苦内を投げてきた。軽々と交わせば避けた先に小太刀を構えた忍びと、震える手で彫刻刀を構えた喜兵衛が居る。佐助はますます口元を歪めた。
 カキンと手持ちの武器でそれを弾き、そのまま大型の手裏剣が作業場を弧を描くように暴れ回る。喜兵衛の頭上を掠めるそれに彼は腰を抜かしヒッと声を上げた。
「やっぱこうだよね。忍びは探り探られ、殺るか殺られるか。まあ俺様生き方を変えようなんて思わないけど。最近ぬるま湯に浸かってて忘れかけてたよ」
「あん?」
「まあ居心地よくで捨てる気はないんだけど。俺様早く帰りたいんだよね。退いてくれる?」
「小僧が駆け引きも分からねぇ餓鬼の許に帰りてぇってか! 心配か? 所詮は飯事だぜ」
「――」
 まただ。また忍びの科白が佐助の情動を揺さぶる。鋭い氷柱が刺さるようなそれに言霊かとさえ思えるのだ。
「手加減しないから」
 険しい表情のまま相手を見据えた佐助の周りに黒い靄が舞った。

- continue -

2012-07-28

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