若木萌ゆ(三)

 それからさらに十日程かけて佐助は情報収集に奔走した。大体のことは見えてきたが確信を得るまで此処に留まることにした。自分にしては時間を掛け過ぎな気がするが出陣までにはまだ時があるし、功を急いて誤情報でも掴まされてはことだ。大胆かつ慎重に、佐助はそう考える。
「おう、注文の品が大方揃ったぜ。その目でしっかり確認しな」
「はいよあんがと。……うん、綺麗だねぇ。上方でも遜色ないよ」
「あたりめぇだ」
「そりゃ失敬」
 先日、金への食い付きが悪く職人気質で堅実と佐助が評した男は鼻をふんと鳴らした。
「もう少し日にちが掛かると覚悟してたんだけど流石仕事が早い。助かるよ、宿代もタダじゃないからさ」
「在庫も少しあったからな。最近は多めに作っとかねぇと船で来る奴らの注文に応えれねぇんだよ」
 ”船で来る奴ら”はどうやら本当に京にある大店らしかった。京から伊賀を抜け伊勢、あるいは志摩から海路で荷を運んでくるそうだ。半年前までは数える程しかこなかったそれが今では頻繁に行き来している、これはどうやら今川が海路を開いて北条領との間を素通りさせているらしい。
「景気のいいことじゃない」
「そうだがなぁ」
 気難しいそうなこの男の名は喜兵衛と言う。喜兵衛は佐助の顔を見もせず椀を出来を確かめる。
「あんたみたいな行商人に言うのは悪いが船のせいで知らない奴が増えた。商売人以外の奴らもわんさか来てもう誰が誰やらだ。あんなに人入れて楽市でもする気なのかね」
「城下が活気付くのは俺たち商人にとっちゃいいことじゃない。というか余所者の俺様は助かるんだけど」
「まあそうだろうなぁ。だが俺ァ怖い。いろんな国の奴が来て此処を踏み荒らして、いつの間にか北条がなくなっちまいそうでな」
「……いい国なんだねぇ。ココは」
「住みやすいっちゃ住みやすいな。……もう二、三個仕上げが終わりゃぁ完成だ。三日後この時間でいいか?」
「うん」
「そうかい」
 器の歪みを確かめていた喜兵衛は手を止めて粗末な木格子窓から降り注ぐ光を見る。男の周りは静寂が漂いその場が侵しがたい彼だけの空間だった。去り際、手短に挨拶し背を向けながら観察していると、彼は溜息を一つ付き次の椀を手に取ったのだった。

 次に金に食い付きの良かった職人の許を訪れた。品はすでに出来上がっており、以前購入したとおり質も良かった。前述の喜兵衛との違いは、愛想の良い顔、恰幅の良い身体、そうして騒がしい工房だった。それもそのはず、お世辞にもいい笑顔とはいえない顔を向ける職人の周りを彼のやんちゃな子供たちが忙しく動き回っている。
「すいやせんねぇ」
「気にしないで」
「刃物もあるし危ねぇから入るなって言ってるんですけどね」
「親の言うことなんて聞かない年頃だもの」
 弁丸と呼ばれていた頃の主君とその父である先代を思い出して佐助の口元は少し綻ぶ。ほんの数年で上田は様変わりしたのだ。子供達に手招きして、道すがら寄った店で購入した干し豆を渡すと彼らは飾り気のない満面の笑みを浮かべて端に鎮座した。
「いやぁ重ね重ね」
「可愛いからいいよ」
「椀の出来はこんな感じです」
「うん、――うん文句ないよ」
「良かった、有難いことです」
 こちらの椀は仕上げまで済んでおり恰幅の良い職人は椀の一つ一つを重ねて平包(風呂敷)に包み込む。
「本当にたくさん買って頂いて、都じゃ大きなお店の方なんでしょうねぇ」
「俺様は奉公人だけどね」
「いやいやあれだけの銅銭やらを渡されて此処まで来るなんざ大したものでさぁ。はい、こちらです。背負子に入れやすか?」
「うん、手に持つより安心して運べそうだし」
「違いねぇ」
 言われた通り今度は佐助が持参した背負子の中へそっと置く。見た目とは裏腹に彼のものの扱いは繊細だ。繊細でなければ職人など務まらないのかも知れない。
「ああそうだ、礼と言っちゃなんですがね、ちょっと思いついたんで提案なんですが」
「なんだろ」
「京までお帰りになるんでしょ? それなら志摩辺りまで船に乗られちゃどうだい。港に停まってる一番でけぇ船、あの大店の上の人は大層気風のいい御仁でね、同郷の人なら乗せてくれますよ」
「わお! 願ってもないね楽が出来……あ、でも」
「どうなさったんで?」
「俺様のとこの旦那、売り歩きながら帰れって言ってたから乗れないんだよ」
「そいつは難儀だ」
「でもぶちゃけると大店とお近づきになりたいのが心情。いつまでも雇われってやだし。紹介だけして貰うことって出来る?」
「ハハッお安い御用でさぁ」
 願ってもないことだ。船の内部や荷を検分するには一番手っ取り早い方法である。正直なところ、通常ならば城に潜り書状の一つでも抑えればよいのだが、伝説の忍びがいるという小田原城に潜入するのはことだ。それよりも出入りする物の流れを押さえ、確信を得てから城に潜入するほうが得るものが大きい。
 城下に入って数日、小田原に物々しい気配はない。いきなり甲斐への塩の流通を止めたので何事かと躑躅ヶ崎館では緊張が走ったのだが相手はすぐに腰を上げるといった事はないようだ。だが、塩を止めるという行為は明らかな敵対意思の現れである。武田を挙兵を誘っているのか、背後に何があるのか、あらゆる観点から情報を得、甲斐に伝えればならない。その為にわざわざ忍隊の長である佐助に白羽の矢が立ったのだから。
 佐助は手にしたままだった干し豆の袋の紐をきゅっと絞った。
「こっちの人はみんな優しいよね。ここもお客さんが紹介してくれたし今だって船に口利きしてくれるって言うし。他の国じゃこうはいかなかったよ。戦続きで余所者はみんな警戒しててさ」
「成る程ねぇ……・幸いうちのお殿様は戦嫌いみたいで無理矢理連れ出されることもないんで手前共もこうしていられるんですよ。ま、少しは警戒してる奴らもいるみたいですけどねぇ」
「三軒隣の職人さんもそんなこと言ってたよ。知らない奴が増えて怖いって」
「ああ! 喜兵衛ですね、あいつは愛想はねぇがいい仕事するでしょう? 仕事も性格も潔癖な奴ですよ。あいつの言うことも尤もでしょうねぇ。だが手前も女房と餓鬼に食わせなきゃならねぇもんで、稼げるときに稼ぐ、得意先が増えるなら何処の国の御仁とも商いはするってのが実情でさぁ」
「俺様としちゃ大歓迎だけどね」
「へへ、でも手前みてぇな考えの奴が国を滅ぼすのかもしれませんな。国を大事に思う領民としちゃ下の下でしょうねぇ。でもおまんまの食いっぱぐれをさせない父親ってことでは恩賞ものだと思いてぇもんでさぁ」
 職人は頬を掻いて歯を見せた。綺麗とまではいかないがそこに卑しさはない。子供達も身奇麗だ。彼の言うとおり父親として十分に尽くしているようだった。
「もどかしいもんだね」
「へぇ、そう考えると立場が違うと同じ行動も随分違うものに見えるもんでございますね。まぁ誰彼かまわず愛想よく出来る世の中になりゃぁいいと思いますよ。手前みたいな単純にはそれが助かる」
「――」
 話が途切れたところで佐助の傍には小さな頭が二つ並んでいた。干し豆を食べ終えた子供らがもっと頂戴とせがんで来たのだ。職人は慌てたが佐助が愛想よく残りの干し豆を渡すと、子供らは親を尻目にまた端に座して上機嫌で干し豆を口に運ぶ。申し訳なさが手伝ったのか職人はさっと立ち上がって、じゃあ早速と、佐助を港へ連れ立ち件の大店に引き合わせるのだった。
 そこからは佐助の腕の見せ所だ。
 持って生まれた愛想の良さと口の良さでうまく話を合わせ大店の上役に気に入られた佐助は無条件とまでは行かなくとも、船の中を見て回る許可を得た。物珍しそうに見る振りをしながら荷や上役の部屋などに中りを付けてほくそ笑む。今日はここまでで十分だろう。怪しまれぬように職人と上役に挨拶をして船を降り周りを眺める。忙しく荷を検品する男、運ぶ男、慎重に帆の点検をする男に、櫂を漕ぎ疲れたのかぐったりと座る男。皆それぞれこの船にかかわる者たちだ。
「なるほど立場ってのは面白いね」
 職人達の顔を思い出しながら二人の言葉が反芻する。何故だか頭に残る言葉だった。

- continue -

2012-07-21

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