若木萌ゆ(二)

 ついてないな、と猿飛佐助は溜息混じりに被り笠に付いた滴を払う。才蔵の言葉通り支度を整えて上田を後にしたのは数刻前のこと。雨が降るとは分かっていたがあまりの大降りだ。背負子の中に目をやって絹が濡れていないのを確認するとやれやれと一息付いた。偵察を終えるまでの大切な商売道具、それなりに気遣いは必要だ。薬売りにでも化ければもう少し楽だったのだが、何せ相手はあの風魔小太郎を擁する北条、甲賀忍者が薬売りに化けることが多いという情報は掴んでいるだろう。それ故今回は京の絹を売る商人に扮したのだ。
「旦那の初陣の為だ。華々しくなるように整えてあげないとね」
 真田の今後をも左右する初陣、確かな武功と印象を国内外に叩きつける為に。そうさ、雨に腐ってなどいられない。上田ではあの放っておけない兄妹が待っている。さっさと済ませて戻らなくては。
「入れ込んだもんだねぇ」
 蒼天の忍びは可笑しそうに肩を震わせた。その日は夜通し雨が続き若い彼の身を冷ますのだった。

 それから十日程、佐助は関所も座も難無くやり過ごして予定通り商人の形(なり)で城下に潜り込んだ。北条領の印象は領民の表情も身形も良い、だ。無論農村の者は例に漏れず泥に塗れてはいたが、格段やせ細っているということもなかった。そういえばこの国は他国に比べて税率は安かったのだと思い出す。北条氏政は先代以前が残した広大な城と忍びに頼りきりで武将としてはそれ程の者ではない、が、為政者としては良いほうなのだろう。だが税率を安く出来るのも肥沃な土地と海があるからだ。山に囲まれ農地に乏しい甲斐などは苦しいのが実情である。
 数日を過ごし城下や村々を一通り見回して佐助は思う。以前来た時と違う、と。
「おまえさん、随分若いねぇ」
 前日に倣い織物を並び終えて思案に暮れていると緑風のような香りがして顔を上げれば、四十も半ばを過ぎたくらいの男が話しかけてきた。地味な小袖に裁着袴は平均的な庶民の格好と言える。
「でしょー。うちの大旦那が若いうちから高ぇもん取り扱わないと度胸がつかん、野党や野伏せりも叩きのめしてでも売って来いってさ、無茶苦茶でしょ?」
「ほんと無茶苦茶だ。おまえさんのとこはいつもそんな危ねぇ賭けみたいな商売してんのかい?」
「まさか! このご時勢そんなことしてたら店潰れちゃうよ。うちの店じゃね一人前になったか見定める為にさ適齢になると一度だけこうやって一人で行商に出されるの」
「へぇ〜! 手厳しいねぇ」
 そう言って顎に手を当てる彼の指先を見る。歳相応に節くれだった指、爪先は泥の汚れもなく比較的綺麗だ。だが芸事をする手ではない。商いをする商人か職人かそんなところかもしれない。
「そ、一人で近江と美濃、んで信濃越えて甲斐回ってきたんだけどほんとに夜盗は出るしもう最悪。此処で売り切らないと俺様も少し北に行かなきゃなんないのよ。おじさん買ってねー」
「えらく遠くから来たもんだ! 美濃やら甲斐やらじゃ売れなかったのかい? あそこも人多いだろうに」
「仰山いてたけどねぇ、美濃は競合相手が多くてさ特に近江商人には歯が立たなくてねぇ。甲斐は京から奥方様貰ってるでしょ? 御用商人が幅利かせて売るに売れなくてさぁ」
「なるほどなぁ。……ああ、洒落てると思ったがこりゃ京の織物かい?」
「そう、西陣だよ。おじさんよく分かったね。といってもお武家様に納めるほどのもんじゃないから気楽に見てよ。晴着にいいでしょ? 西陣の中でも安いほうだよ」
「うーん」
「あれ? 安くない?」
「半年前なら安いって値なんだがねぇ」
「ええーっ、まじ!?」
「最近頻繁に京の品を扱った船が伊勢から来るんだよ。そこから洒落たもんが出回ってなぁ」
「ええーっ」
「嘘だと思うならほらあっちだ船着場の方、見てくるといいよ。船が沢山来てるから」
「あちゃーっ、俺様東海道のほうは通んなかったから全然知らなかったよー。……はぁ」
 そういえば来る客の食い付きが悪かった。売れてはいたが買った者等の身形はおおよそ富裕層だったろう。成る程な、と得心する。
「腐るな腐るな、品物はほんと良いものみたいだから見させてくれよ」
「お、おじさんお目が高い! 見て見て! 人助けだと思ってさ!」
 男は品を手にし頷きながら細部まで見る。ただの商人だろうか、職人だろうか、観察する様は真剣だった。
「少し京訛りがあるが品物と同じく京の出かい?」
「……いんやー、元々は山奥の田舎。戦で焼け出されてね大旦那に拾ってもらったの。田舎者ってばれないように言葉真似てるんだけどなかなかね」
「上方の奴らはお高く留まってるから苦労も多いだろ」
「まーね」
「……と、うん。これがいい、これをおくれ」
「はいおおきにー。意外に可愛い柄選ぶんだね。あ、おじさんここらで売り物になりそうな名産ってない? 目ぼしいもん買い付けて来いって言われてさぁ」
「余計なお世話だよ。そうさな、京みたいな雅なもんはねえが……当然持って帰れるもんだよな。美味ぇが干物流石になぁ」
 男は今しがた購入した反物を小脇に抱えて顎に手を当て、佐助は商人の笑顔を貼り付けたまま小首を傾げて見せた。
「ああそうだ! 漆器なんかどうだい? 小田原ではそりゃあいい漆器が出来るんだ。なんせお殿様が奨励なさってるもんだからね」
「へぇそりゃ期待出来るねぇ。漆器かぁ、それなら日にちを気にしなくていいから助かるよ」
「あの先の通りに職人達が店を構えてる。数軒は船の奴らとも取引してるぐれぇだから品は確かだ」
「詳しいねぇ」
「おまえさん、俺がお客で幸運だぜ。俺はあの船と取引してるここらの大店で働いてんだ。目は悪くないぜ。いい店紹介してやるよ」
 ニカリと笑う男に佐助は一瞬迷ったがこれ以上ここで店を構えて様子を探っても大して成果が望めないと思い至るとにこりと笑って、お言葉に甘えるね、と返した。
「じゃあ店じまいするよ」
「いいのか?」
「うん、おじさん待たせるのも悪いしね。残りは明日また広げればいいよ」
「そうかい」

 それから佐助は男の言葉通りに数軒ほど店を紹介され夕暮れまで品を見て回った。時折、銀をちらつかせ一番食い付きの良かった職人とそれとは間逆に食い付きの悪かった職人の二人と取引をする振りをして見せた。詳しい取引云々は後日ということで紹介した客とはそこで別れ、さて、と佐助は顎に手を当てて吟味する。対照的な二人の職人、双方からどれだけの情報を得られるだろうか。食い付きが良かったほうは造作もないだろうが、悪かった方は気難しい職人気質に感じられた。だからこそ有益な情報を得られると信じているのだが。
「これは予定より日にちがかかるかもね」
 取引の前にまずは個人的にひとつ買わせてくれと双方から購入した小田原漆器を弄びながら呟いた。薄暮が漆器の色を一層際立たせる。どちらも質の良い品だ。なるほど、金にがめつい者は総じて粗悪品を売る訳ではないらしい。ただの商才の違いなのかも知れない。
「学ぶことって沢山あるなぁ」
 知らず湧いた固定観念を払拭し、頭を掻きながら宿へを足を向けるのだった。

- continue -

2012-07-14

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