夏の果に松(二)

 黒脛巾組というのは優秀で、二日程時を経ればそれなりの情報が政宗たちの下にも届けられるようになっていた。本城で変事が起こる数日前から城下に見慣れぬ一団が舞い込んでいたというもので、内々の命を受けた者らはその確認に追われ、何度と無く報告に訪れる黒脛巾組の口から齎されるそれに上層部は慎重な判断を迫られている。
「かぶき踊りの一団、か」
「派手ないでたちでありましたので城下の者も皆こぞって観に行っていたようです」
「そんなに目立つ者ならば隠密行動には向かん。関係がないのではないか?」
「それが姫様のお姿が見えなくなると同時に興行と言って、東西南北四方に分かれて移動を開始したとか」
「なに……!」
「一座を分けて四方にってのも可笑しな話だな」
「元々京で個別に興行をしている一座が遠出なら一緒にと集まって行動しておりましたが、北まで行くのを拒んだ者らが出たので解散したのだと理由を付けていたようです」
「奥州まで来て現地解散、ねぇ……」
「疑うべくして疑われる理由じゃあるな」
「しかしながら四方とは厄介。西は山形、南は佐竹、東の相馬に北の南部。最も濃い可能性があるのは……」
「西の最上、か?」
「政宗様……」
 政宗は普段あまり手にすることはない煙管を盆に当ててかつんと鳴らした。綱元と小十郎はその行動に政宗の苛立ちを見て取ると双方然もありなんと心苦しく唾を呑む。
「気にすんな、言いたいことは凡そ見当が付く」
「ならば続けて申し上げます。移動の速さから見て相手は恐らく忍び」
「だろうな。変装もお手のもんだろ」
「ということはです、真田武田の忍びの関与も否定出来ません。もしそうならばその上に居る者らの残党ということも考えられます」
「……」
「政宗様、猿飛は姫様大事でありましょう。しかしいくら温情に与ろうと敗者の無念を完全に消し去るというのは難しいものです。故に滅んだ武田の家臣一同が姫様の処遇に満足している訳ではありますまい。不遇の者は羨み妬み、裏切者と謗るものもおりましょう。覚えておられませんか? あの時姫様を保護するように懇願した真田のことを手酷くけなしたあの武将を」
「俺自ら手打ちにした奴か」
「左様にございます。そればかりではありません。手近に考えればお暇をお与えになった旧御側室らの周辺とて姫様に良いお気持ちは持たれておりますまい。姫様のお人柄を知る我らとて考えたくはありませんが、あらゆる可能性を考慮に入れるべきかと」
「……そうだな。小十郎、綱元」
「はっ」
「お前達のことだ、すでに手抜かり無くやっていることとは思うがあえて言うぜ。更に数を増やして些細な情報でも掴め。だが気取られるなよ、奥州に変事があったと気付かれちゃなんねえ」
「御意!」
 政宗の言葉に二人は恭しく頭を垂れ、そして急いでその場を去るのだった。

 の行方に関する遣り取りをした後、の居室へ訪れるというのがここ数日の政宗の行動だ。只ひたすら無言で座り続け、時折蝙蝠扇を鳴らし思案に暮れる。その間近侍も付きの侍女も寄せ付けぬことから痛々しさも周囲の心配も増すばかりだ。
 今日もそんな時を過ごすのだろうかと皆思っていたのだが其処に聊か違う趣が現れた。
「竜の旦那」
「猿か」
 天井裏から覗く顔はいつもの如く飄々として、其処はかつての敵国の本城だというのに自分の敷地内とばかりに闊歩する。よいしょ、なんて言いながら政宗の前に立つ彼はやはり普段とは変わらないが、少しだけ訝しげに政宗を見た。
「随分重苦しいけど、なんかあったの? 黒脛巾組さんも凄い顔で俺様睨んで来るんだよね」
「猿」
「うん?」
が攫われた。手を貸せ」
「……は? って何してたんだよ!!」
「失態だ。弁解はねえ」
「……」
「攫われたのは四日前だ。の姿が見えなくなると同時期に城下に来ていたかぶき踊りの一団も消えたそうだ」
「……分かった。直ぐ動くよ」
「四方にはすでに黒脛巾組を飛ばした。甲斐方面の動きを見てくれ」
「了解」
 政宗は佐助に目を合わせぬまま微動だにしない。締め切る居室の障子から光が漏れてもそれに背を向ける彼の表情は読めぬままだ。が攫われるなどとあまりの事態に声を荒げたい佐助だったが、添水から流れる水のように静かな政宗相手にそれを実行しても何の益もないのも事実だ。
 佐助は一度息を吐き、あえてこれだけはと問うことにした。随分と意地の悪い質問だが避けては通れぬと知っているから。
「一つ聞きたい」
「An?」
「……姫を助けて、仮にどんな状態になったとしても変わらず愛せると誓える?」
「無論だ。最悪の状況なんてのは考えたくはねえがな。身一つ、穢れたところで洗い流せばいいだけのことだ。だが――手え出した奴にや死よりも重い苦痛を与えてやる……!」
 竜の手中にある蝙蝠扇が悲鳴を上げ、障子と襖にぴりりと張り詰める。佐助はああと得心する。たとえ添水に静かであっても、中に渦巻く怒りは稲光の如く。に何かあれば政宗は言葉通りの制裁を実行するだろう。
 政宗がそれ以上の会話を求めていないことは佐助にも分かる。格段仲良くするつもりはないが鱗を剥がすつもりもない。じゃあ、と言い置いて姿を消そうとするが、そのとき広縁から数名の人の気配を感じた。
「――政宗様」
「入んな」
 それは定期報告に訪れた小十郎、成実、綱元であった。佐助の姿に一瞬身構えたようだったが直ぐに居住まいを正して現状を述べていく。格段注意がないと言うことは佐助にも聞かせてかまわない、佐助もまた動くと踏んでいるのだろう。面白くないとかそんな感情はない。ただ伊達に入ったとは違う。俺様の立ち居地ってどうなのよ、なんて考えるのもまた詮方ないことだ。
 一通りの報告が流れた後、綱元が改まって口を開いた。
「政宗様、大変申し上げ難いことにございますが私の諫言お聞き入れ頂きたく」
「取るか取らねえかは俺が決めるが、なんだ?」
「無礼を承知で申し上げます。――此度のこと姫様の御身の安全が急務、然りながら不本意な結末も考えねばなりません。政宗様、敢えて申し上げます。たとえ姫様を無事にお助けになられても、それ以降一年以内に生まれる御子はお隠し下さいませ」
「……綱元ってめえ!!」
「綱元っ!!」
「それはあまりでありましょう!!」
 政宗の眸には一気に荒れ狂うような怒りが帯び、その従弟もまた然りだ。小十郎はまだ比較的冷静だが何を言うのだという視線は隠そうともしない。対して綱元は殊更涼しいばかりで、それがなお一層呷るのだ。
「出自に疑念のある御子の存在、それは伊達家の為になりません」
「綱元っ! そうと決まった訳じゃあない! 何も今梵の気持ちを逆撫でするようなこと口にすることはないだろ!!」
「綱元っ……! てめえ其処へなおれ!!」
「梵っ!! 綱元下がれよ! 下がれって!!」
 佐助には見せなかった怒気と焦燥、一本糸を張り詰めたような政宗の理性は此処で千切れ去った。蝙蝠扇は裂け、躊躇無く手にした爪の鞘はすでに取り払われ、本格的にまずいと思った成実が政宗を羽交い絞めにして止めに入る。
「成実殿も小十郎も甘い! どんなに汚いと、どんなに誹られようと政宗様の御為にならぬことに蓋をするはそれこそ佞臣の所業っ!!」
「俺はそんなこと頼んじゃいねえよ! その口さがねえ思い上がりを振りかざすならそれ相応の覚悟は出来てんだろうな!?」
「梵っ!!」
「政宗様っ! どうか成実殿とこの小十郎に免じて刃をお納め下さいっ!!」
「聞けるかっ!! 頭を垂れて首を出しだせっ綱元っ!!」
「綱元の首ひとつなどどうぞご随意に。ですが政宗様、これから起こりうる災厄の芽は潰さねばなりません。成実殿や小十郎のようにお気持ちを慮る家臣も必要でしょう。ですが時として汚い言葉も吐く家臣をもこれ以降は大切にして下さいますように」
 吏の綱元は静のまま頭を垂れてじっと沙汰を待つ。一片の乱れもない彼は柔和な反面、時として狡智を以ってこの主君に仕えているのだ。彼の諌言は確かに小十郎や成実の口からは出るものではない。耳が痛くても聞かなければならないのも事実だ。
 政宗は吐息と共に怒りを霧散させつつ家臣の名を呼んだ。
「……綱元」
「はっ」
「暫く登城を差し控えろ」
「ははっ」
 直接、蟄居などと言わなかったのは政宗なりの譲歩だろう。最後まで身持ちを崩さなかった綱元が去った後、成実は心配げに政宗を見、小十郎は居住まいを正した。少し政宗の側に寄ったのは佐助を警戒してのことだろう。
「竜の旦那」
「なんだ」
「甲斐信濃でいいんだね?」
「ああ」
「何かあれば知らせる。大鷹が来たら俺様のだと思って」
「頼む」
 もう一度じゃあ、と言い置いて佐助は黒い靄に身を躍らせる。彼の気配がなくなると小十郎がぽつりと言った。
「鷹を連絡手段に使うたあ、奴め、此処との行き来の度に仕込んでやがったのか」
「用意周到だね」
 それ以上会話はない。どかりと腰を下ろした政宗の表情がそんな声も耳に入らないの程沈痛なものだったから。

- continue -

2013-10-19

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