倖を紡ぐ(七)

 夕暮れ、は父の馬に弁丸は老臣の馬に乗って帰城した。佐助の姿を見止めた小さな二人に腕を組んで、こら、と言うと素直に謝るものだから、理由を知ってる身としてはそれ以上怒るに怒れない。六郎に言われるまま先に帰城した佐助は、城内の見回りを一通り済ませていたが皆の雰囲気を見て取るに、若様と姫様が居なくなったというのに慌てた様子も無く通常の職務をこなしていることから、誰が黒幕か容易に想像が付くというものだった。
 馬から下りた二人は、とてとてと足音をさせて佐助に近づいてくる。子供の上目遣いは破壊的な威力があった。
「佐助、おこってる?」
「うーんさっきまで怒ってたけど、二人がちゃんと謝ったからもう怒ってないよ」
「ほんとう?」
「うん」
 やった、と手を合わせる兄妹は無邪気なものだ。
「二人共、城下は楽しかった?」
「うんっ」
「おう! 佐助っ! 佐助に贈り物があるぞ!」
「俺様に?」
 中身は何なのかすでに分かっている事だが、すっとぼけるというのも案外労力がいるものだ。周囲のニヤニヤとした視線も刺さるのだから尚更だ。
「はい、どうぞっ!」
「受けとれぇぇ! 佐助ぇえぇ!!」
「若様うるさっ!」
「開けよ佐助ぇぇええ!!」
「だからうるさっ!」
 などという遣り取りの後、から差し出された西陣の小袋をまじまじと見る。何かに包んでいたのは見えたのだがまさか西陣とは。佐助とと母上のおそろいなの、と笑顔を向ける姫様に、愛らしさとむず痒い気持ちが佐助の中に混在する。きっとこれ中身より外側のほうが高いよね、などと考えてしまう自分はへそ曲がりな人間なのだろう。
「佐助っ長にごしゅっせおめでとう!」
「おれも佐助にみあう主君になるぞ!」
「はい二人共ありがとう。若様は俺様から一本取れるようになってからだね」
「ぬぐっ」
「さあ中身は何かな?――んー凧糸だね」
「佐助がおそらを飛べるようによ!」
「ああ、大凧用だね。よく気づいたね。姫はお利口さんだね」
「佐助うれしい?」
「うん、とっても」
 その言葉に嘘偽りはない。途端に破顔する姫と若様に周囲の視線や忍隊の茶化す顔などどうでも良くなってくる。なんなのだろう、ダメではないか、俺様は忍びなんだと戒める。
 その後、御方様がお呼びでございます、と侍女に言われてと弁丸の手を引く佐助の胸はどうしようもなく熱を帯びていたのだった。

 佐助の予想通り山手殿が子供らを怒ることはなく彼女は、今日は何があったの? と聞いてきて興奮し熱弁を奮う子等の頭を撫で品の良い笑顔を振りまくばかりだった。途中、昌幸が山手殿に、其方弁丸に小遣いをやっておるのか、相当もっておったぞ。というか忍びをつけておるとはいえ容易に外に出すでない! と耳打ちしていたが、あらなんのことでございますか? と夫の口に手土産の一つとなっていた菜饅頭を詰め込んで見事に封じていた。この人を敵に回してはいけないと皆再認識した瞬間だった。
 宵の口を過ぎ、夕餉も湯浴みも済ませたは早々に眠くなったのか、侍女の膝の上で舟を漕ぎ始め、見かねた佐助によって寝所まで運ばれた。起こさないようにそっと寝床において衾をかけると可愛らしい寝息が聞こえる。
「可愛いなぁ」
 頬が綻ぶのは何故だろうか。この甘さが忍びには良くないのだ。戦に出れば人を屠る。この手はもっともっと血に塗れてゆくのに。ああでもこの子はそれとは無縁で居て欲しい。絶対に泥土には落とさない。ダメだダメだ。執着は忍びには不要、そのはずなのに。
「さすけ?」
「あれ? 起きちゃった」
「うんー」
目を擦りながらそう答えるはまだ眠いらしい。
「あのね、佐助にききたいことがあるの」
「なーに?」
「えっとね、お店にね黒くて細長くてすごくきれいなきらきらがあったの。でもね、とってもきれいなのに父上もお店のおじさまも買っちゃだめだって」
「きれいなきらきら?」
「うん」
 は、こんなのーと小さな両手を広げて精一杯表現しようとする。陰で見ていたから分かるものの、拙いその動作に笑みがこぼれてしまう。昼間のたちのやり取りを脳裏に手繰り寄せ像を結ぶと佐助は少々大げさにああ、と頷いてみせた。
姫ちゃんそれはね、簪って言うんだよ」
「かんざし?」
「そう、遊女や身分の低い女が髪を飾るのに使うんだ」
「ゆうじょ?」
「春を売る女の人のことだよ」
「んー?」
 首をかしげるに佐助は内心、まずったな、と頭を掻いた。
姫ちゃんにはまだ早いね。もう少し大きくなってからちゃんと教えてあげる。その代わり他の人に聞いちゃダメだよ」
「佐助にだけ? 父上はダメなの?」
「昌幸様は聞いた瞬間倒れちゃうかもしれない」
「倒れちゃうの?」
「うん、寝込んじゃうかも」
 そういうと小さな姫は目を丸くして、うんわかったと呟いた。余程、あの螺鈿の簪に興味があったのだろう。佐助が思い出すにあれは確かに素晴らしい装飾だった。上方の物らしく趣向のきいた文様は相当の高級品だろう。幼くとも城育ち、知らず知らずの目は肥えているようだ。
「じゃあいい子にしててもかってもらえないものなのね」
「そうだねぇ褒められたものじゃ……てああそんなにしょんぼりしないでよ!」
「してないもん」
「意地っ張り屋さんだね」
 唇を少しだけ尖がらせたの鼻をつんと突いて佐助は笑った。
「そうだなあ、じゃあ俺様が今度可愛いのこっそり買ってあげる!」
「ほんとう!?」
「いつ買うかは内緒、柄は俺様に任せてね」
「うんっ! でも……」
「うん?」
「いいの? 佐助おきゅうきんやすいのに」
「何処で聞いたのそんなこと」
 変なところでおませさんなんだから、と内心思いながら衾をかけ直してやると無邪気な姫君はにっこりと笑った。
「ねえ佐助」
「はーい?」
「今度佐助のたこにのせてね」
「あれ? もうお淑やかにするんじゃなかったの? 昌幸様と約束してたでしょ?」
 母に抱かれながら聞いた父のお小言を思い出すとは少し身を竦めて衾で鼻から下を隠した。彼女はツボを突く仕草を心得ている。
「あははっ! 大きくなったら少しだけ、ね?」
「また大きくなったら?」
「そう、俺様が約束破ったことある?」
「ない!」
「でしょ? さあさあ姫、大きくなるにはたくさん寝なきゃだめだよ」
「はい」

 二人の話が一段落したところで、付きの侍女が進み出て本格的に寝かしつけに入るとはすぐに睡魔と旅に出た。寝入る直前、彼女は嬉しそうに笑ってこう言った。今日は佐助とたくさんおやくそくしちゃった、と。
 草屋敷に戻る道すがら、佐助はそれを何度も思い起こした。忍びに明日なんてない。この約束を自分はちゃんと守れるだろうか。願わくば、守れる強さが欲しい。もっともっと、自分はまだまだ強くなれる、強くならなければ。
 手にした凧糸を見ながら佐助はおかしそうに笑った。
「姫様、若様、この糸じゃ細すぎるよ。人が乗るんだから縄ぐらい太いんだよ。昌幸様もどっか抜けてるんだから」
 だから俺様がしっかりしてあげる。感謝してよ? 猿飛佐助は引く手あまたの売れっ子なんだから。そうだ、取り合えずこの糸どうしようかな、若様たちに一つずつ小さな凧を作ってあげようか。
 少し離れた木の陰に才蔵たちが控えている。凧糸を懐に仕舞い目を細めて言った。
「早く戻ろう。俺様より遅かったらお説教だから覚悟しといてね」
 げっ、と十蔵が言った気がした。構わずふっと風を起こして木々の合間を抜けると部下達は慌てて追いかけてくる。真面目に追っかけてきたら少しは許してやろう、そう横目に見ながらさらに速度を上げたのだった。

- end -

2012-06-30

倖を紡ぐ全7話これにて完結です。
ハルさま、ご指定頂いた設定に綺麗に添えていたでしょうか?小さい幸村と夢主を書くのはとても楽しかったです。素敵な設定をありがとうございました!
昌幸さん、十勇士がとても有能には見えなくなってしまいましたが…orz お許し&ご笑納頂ければ幸いです。