倖を紡ぐ(四)

 当主昌幸をはじめ、その御付、佐助と才蔵らは荒々しく広縁を渡り、件の騒動の元たる場所へ急ぐ。ミシミシと悲鳴を上げる床板が若干気の毒で、ああ此処補強の手配するように言っておかないと、等と忍隊の長は意識の奥で彼是と考えていた。近づくにつれ、大勢の家臣が慌てふためく声が耳を突く。
「何事ぞ!」
「あっ!」
「殿っ!」
「父上っ!! ぬおっ佐助っ!!」
 大人の声に混じる幼子の甲高い声と小さな人形(ひとがた)。見間違えるはずもない。昌幸譲りの髪の色、はつらつとした元気なおのこの姿がそこにあった。
「べ、弁丸ではないか!」
「わ、若様ァ!?」
「父上大変でござる!」
「阿呆め! 大変にしておるのは其方ぞ!」
 弁丸にこっそりと付き従っていた爆薬製造に長ける忍びが、その通りです、と内心頷いていたのは本人以外知らない。昌幸は焦燥を抑えながら周りを見回した。
「ええいっ、それは共々後で説教じゃ! ん? 其方、は何処じゃ?」
「だから大変なのだ! 逸れてしまったでござる!」
「な」
「うわっ」
「なにぃい!!」
 家臣、佐助、昌幸各々の呻き声とも悲鳴とも取れる声音が響き、才蔵は声は発せぬものの心密かに息を漏らす。次いで家臣らは蒼白に、佐助は頭を抱え、昌幸に至っては魂が抜けかけた顔に変わり、屋根の上に隠れたままの六郎は居た堪れなさにすみませんすみませんと手を合わせるしかない。
「い、一大事ぞ……」
 昌幸は柱に手を突いてよろけ、控える小姓等も真っ青になってゆく。
「いかんっ……! 人攫いにでもあったやもしれぬっ……!」
「殿! お気を確かにっ!」
「ぁ……を……」
「殿?」
「昌幸様?」
「赤備えを持てえぇぇえぇえ!!」
「えええーっ!!」
 当主の咆哮に弁丸と才蔵以外の者らの声が重なる。武田の赤備え、それは甲山の猛虎飯富虎昌が創りし騎馬部隊だ。飯富からその弟山県昌景、そして甲斐の各将に伝わり、武田騎馬隊の名は最強とも謳われている。だが天下に聞こえた騎馬隊を白昼の城下を疾走させたらどうなるか、想像するに難くない。
「殿っ落ち着いて下され!」
「昌幸様っ城下でそれはまずいです! 領民みんな戦でも始まったかと思うでしょ!」
「しかし真田の一大事ぞっ!」
「まずは忍びらが戻ってくるのをお待ち下さいっ」
 家臣も忍びも口々に止めに入り、そのうち老臣の一人が懇々と説き伏せ始めたところで佐助の背後に気配が過ぎった。
「お、長、あの」
「六郎? お疲れさん。まだお疲れさんじゃいけないんだけど」
姫様は京から行商に来ている小間物屋に」
「そっか、でも連絡遅くない?」
「申し訳ございません」
 暗に、他の忍びとの連携を取れなかったことを突いているのか六郎は計り兼ねた。今回の件は他の忍びにも内緒であったが故自分達だけで動くしかなかったのだが。才蔵をちらりと見れば目が合っても何も反応しない。命じた本人がこれだから六郎としては困りものだ。
「ま、昌幸様もああだしそれに倣ってお説教は後で」
「は」
 あーあ、やっぱ怒られるんだな、でも才蔵も後できっちり怒られて貰おう、と腐る六郎の心根を吹き飛ばすかのように、キラキラと輝きはち切れんばかりの声が響いた。
「ち、父上はが心配でござるか?」
 弁丸君だ。
「知れたこと、無論じゃ!」
 そう返されれば声だけでなく表情もキラキラと輝きだした。幼い若君には父が妹の心配をする姿が誠新鮮で、そして嬉しくあるらしい。
「ならばっ早く探しに行きましょうぞ!」
「それも無論じゃ! じゃが何処に検討を付ければ良いのかのう」
「あー昌幸様、それなら」
「馬を駆ればよいでござる!!」
「は?」
「ぬ?」
 踏ん反り返る弁丸に、大人達は間の抜けた返答をしてしまう。
「父上が赤備えを率いて馬を駆れば目立ちまする! も気づきましょうし不埒者ならば天下一の騎馬隊を見れば逃げ出しまする!」
「ちょっと若様さっきの話聞いてたー!?」
 どんな文言が出るのかと耳を傾けた自分が莫迦だった。内心そう諦念した佐助が勢いよく突っ込む。だがしかし――
「名案ぞ!」
「へ?」
「流石我が息子よ! なんと気風の良い物言い!」
「……駄目だこの親子。早く何とかしないと」
「長、口に出ている」
 才蔵の声も最早遠い。もうどうしてくれようか、等と思ううちに昌幸は自らの愛馬に軽やかに跨り、弁丸も同乗させているではないか。こうなってはもう止まらぬと譜代の家臣らは心得ているのか皆素直に道を開け始める有様だった。
「あ、赤備えはすぐにご用意出来ませぬ故、こちらの馬数騎で行かれては」
「ううむ、そうじゃの一刻も早くを見つけねばならぬし、先行するか! 行くぞ弁丸!!」
「おう!」
「殿! 全力疾走はお止め下さい! お分かりですね!!」
 老臣の声は、意図は、昌幸の脳に届いたであろうか甚だ微妙だ。馬が砂煙を蒔いて収まる頃には当主とその子息を乗せた馬は既に遥か遠くにあった。
 『あーあ……』おそらく全員の心を支配した言葉はこれであろう。忍隊の長はじめ皆々つっ込む気にもなれなかった。
「あー、じゃあうまく誘導して……」
「長……」
「六郎、泣くんじゃないよ」
「泣いてませんけど、心は泣きそうです」
「ダヨネ」
 老臣がお頼み申す、と言うと佐助たちは一礼して動く。六郎が先行し佐助と才蔵はそれに続いた。早く先回りして小間物屋まで誘導せねばならない。砂煙を追いかけながら忍び達はあれこれと作業に入るのだった。

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2012-06-09

老臣の一人=矢沢頼綱さんだったら私得。矢沢さんはチート一族の例に漏れず凄まじい御方です。

赤備えについて。
赤備えは山県昌景と共に小幡信貞、浅利信種に許されたもので、武田全体が赤備えを配備していたわけではなく、作中とは違います。BASARA世界では武田軍は赤いのでこのように表記しました。
ちなみに、武田が抱える騎馬隊の割合は他有力大名、上杉、北条等よりも低く、鉄砲隊や長槍隊のほうが充実しており投石部隊を率いて敵の陣形を崩し戦端を開く、ということもあったようです。また投石部隊は弓槍に負けない殺傷率がありました。(コスパも優秀)