倖を紡ぐ(二)

「はあ!?」
 真田忍隊の長就任の報を里に伝えに出ていた佐助は、帰還した途端そんな声を上げる羽目になった。今や部下となった年上の忍びの報せが頭を抱えるべき事柄だったからだ。
「なんで若様と姫様だけで城下になんて行かせたのさ」
「一応、十蔵をつけているから問題ない」
「その人選も盛大に間違ってるね」
 目の前の仏頂面の忍びの名は霧隠才蔵という。伊賀忍者頭領、百地三太夫の弟子であり佐助より年上で里でも相当の実力者だった。佐助は自分の腕には自信があったがこの男と比べられれば素直に拮抗していると言わざるを得ない。なのに忍隊の長に選ばれたのは年下の自分であった。
「あ、もう一人付けている」
「誰を?」
「六郎だ」
「どっちの?」
「望月だ」
「それも盛大に間違ってる」
 弁丸とにつけたという十蔵という忍びは銃器を得意とし、もう一人につけた望月六郎も爆弾製造に長けた男だ。両者共忍びといえど隠密には向くほうではない。理由はこれだ。この才蔵という男、忍術等々は優秀であるのだが他者に無関心で物事の判断は実力に偏り、得手不得手は二の次になることが多い。故にしばしばこういうことが起こる。遣う方ではなく遣われる方が性に合っている男なのだ。
 この人、ひょっとして伊賀から追い出されたんじゃないの? と思うも言えるはずもない。そんなことを言えば無数の暗器が飛んでくるのは目に見えている。
「まー言ってても始まらないか。さっさと若様達捕まえよ。城下なんて人攫いにあったら大変だし」
「十蔵と六郎が居るから攫われることはない」
「人選間違ってるって言ったでしょ! 城下で銃やら火薬やら使ったら大混乱でしょうが!」
「そうか」
「そうか、じゃなくてね。ああもういいや」
 佐助は額に手を当てて首を振っているとふと気配がする。才蔵もそれに気付いたようで一斉に其方を向いた。

 スパーーン!
「あ」
「ぬ」
 忍隊詰所の舞良戸がそれこそ破れてしまうのではないかというくらい勢いよく開いた。それがこの城で最も厄介かもしれない人物であったことに佐助は益々頭を抱えたくなる。そこにはわなわなと身を震わせた城主の姿。あしらい切れない相手ではないが面倒くさい御仁でもある。
「佐助、才蔵! 弁丸とが城下に下りたとはまことか!?」
「あー昌幸様」
「ご機嫌麗しく」
「麗しゅうないわ!」
「才蔵……」
 何処までも空気を読まず我が道を行く才蔵に最早注意する気力もない。その辺りはいつものことなので昌幸もそれ以上は言及しないのが救いだ。
「何ゆえ城下などに下りたのだ! 嗚呼ここのところ頓に弁丸は生意気になって何か仕出かすと思うておったが!」
「さぁ……俺様も何故だか」
「……」
「ええいよい! 大事ぞっ、さっさと捕まえに行かぬか! いや儂も参る!誰ぞっ馬引けぇえ!」
 けたたましい声と跫音を持って昌幸は部屋を後にした。嵐の様なそれを彼の近自習が足早に追いかける姿を見つめながら佐助は溜息を吐く。
「才蔵」
「なんだ」
「なんか知ってんの?」
「内緒だから言わない」
「あっそ」
 総てが億劫になってきた佐助だった。だが此処で駄弁っている訳にもいかない。まだ背に抱えたままだった予備の忍具を下ろした後、黒い靄に包まれてその場を去る。才蔵もそれに続くのだった。

 城中の喧騒など知る由もない弁丸と。二人は相変わらず普段から縁遠い城下の光景に目を輝かせている。人々は活気があって此処はなんて楽しい場所なのだろう。の手にある風車はくるくると回り飽きることはない。綺麗な緋が映えて、領主真田家の色だと思えば一層に美しさが増した。領民達もそうなのか、この縁深い色は城下の所々に見え隠れしている。
 弁丸はそろそろ品物を決めねばと思案し始めていた。それまで引いていた手をそっと離して腕組みをし未だ唸っている。人に物を贈る、というのは存外難しいことだ。はにこにこ笑いながら付き従っていたが風車の先にふと広がるものに目を留めた。
「うわぁっ」
 視線の先には小間物を扱う店があり、並べられた色とりどりの美しい品物に釘付けになって思わず駆け寄る。細かな刺繍の入った匂い袋、鮮やかな紅に上質の白粉、花の模様を彫った櫛、女子ならば年齢に関係なく目を追う物が所狭しに置いてあった。
「綺麗だろう?」
「うんっ」
 店主であろう壮年の夫婦が声を掛けてきた。子供好きなのか夫婦はにこにこと笑いが商品に近づくことを厭う事もなく、むしろ触ってごらんと櫛を握らせてくれた。
「牡丹の柄!」
「おおそうだよ、よく知っているね。じゃあ、あれは何やと思う?」
「あれはお顔に塗る白粉!」
「ふふ、それは堺から持ってきた小西白粉っていうんだ」
「そうそう、紅色も混ざっているだろう? だから紅色白粉ともいうんだよ」
「この色好きー」
「女の子だねぇ。もう少し大きくなったら使うとよろしいわ」
「ここ、綺麗なものいっぱい!」
「ははっそうだろうそうだろう。ここには京や堺から持ってきたものばかりやからねぇ」
「京や堺ってすっごく遠いの?」
「そうすっごく遠いんだ」
の母上も京からお嫁入りしたの」
「そうかい! じゃあここのご領主様のお方様と一緒だねぇ」
「ここのご領主様や甲斐の武田様が京から奥方をお迎えになって、うちら商人もこちらに伝が出来てねぇ。今じゃ毎年上田に来てるんだよ」
「お嬢ちゃんみたいな可愛い娘に会ったのは始めてだけどね」
「そうやなぁ」
 店主夫婦は言葉の端々に上方訛りがある。取り扱う商品と等しく、彼らも京か堺近辺から上田に来ているのだろう。はその訛りに親しさを感じた。らの母はそれほど使わないが母付きの侍女たちは総じて上方訛りが残っていて、もよく耳にしているからだ。
 物怖じしないを気に入ったのか、店主夫婦は店頭にある様々な品物を手にとっての前に置いてくれる。洒落た柄の雪洞であったり、色とりどりの組み紐であったり。全てが美しくて心は踊り瞳は輝く。そうしてふと、品々の端に並べられた物に気づいたは指差しながら問うた。
「あれはなあに?」
「おお、これかい? 螺鈿で細工が施されて綺麗やろ? お嬢ちゃんお目が高いねぇ。まあ物が物だから売れるかどうかは分からないけどね、客寄せ用に置いてるんだよ」
 店主の夫の方が身を乗り出してが指した品を手に取り、目尻を下げながら差し出してそう説明してくる。螺鈿特有のきらきらとした光沢が黒漆の上で映えた細長い棒のようなもの、これは一体なんであろうか。
「あんた、これはお嬢ちゃんには不向きだよ」
「あ、そうやなぁ、うん。先が尖がってるからね、触っちゃいけないよ」
「はい」
 気になるそれの名前を聞く前にそう言われてなんとなく聞く機会を失したに、今度は妻の方が問うてきた。
「お嬢ちゃん、ところで一人で来たのかい?」
「ううん、にいさまと来たのよ。ね、にいさま! ……あれ?」
 振り返れば居る筈の兄の姿はない。幼い眸に映るのは見知らぬ人々の行き交う姿だけ。我関せずを決め込んだ風車は相変わらずくるくると回ったまま、は呆然と立ち尽くした。

- continue -

2012-05-26

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