倖を紡ぐ(一)

 その日、弁丸は父昌幸からこの上なく嬉しい報せを聞かされた。自分のことではないのにどうしようもなく胸が躍り、話もそこそこに父の前にある菓子を総て抱えて弁丸は走る。後ろで父の怒鳴り声が聞こえた気がしたがそんなものは無視だ。流石に、走ると転びますよ、といつも心配する母の部屋の前だけは歩いてやり過ごしたが。
 目的の場所に達すると侍女たちが慌てて頭を下げてきて、いつもなら子供なりに一言言うのだが今はとても気が逸りかまわず進み障子に手をかける。と同時にその先に目当ての人物を見とめると弁丸は嬉しげに声を張り上げた。
! 嬉しい知らせだぞ!」
「なあに? にいさま?」
「佐助が真田忍隊の長になったのだ!」
「本当!? すごいっ」
「それでな! あっ……こっちに」
「?」
 声を張り上げたかと思えばふと何か思い至ったのか神妙になる兄はの手を引いて部屋の奥へと誘っていく。侍女達に見えぬように記帳の影に隠れた後、弁丸は耳打ちした。
「佐助に祝いを買いに行こう!」
「買いに?」
「二人で城下に下りるのだ」
「わぁっ! 本当? にいさま、も行っていいの?」
「当たり前だ、だから誘ったのだ! 銭もあるぞ。文箱のなかに何故かあったのだ」
 踏ん反り返る弁丸には手を合わせて、にいさますごいと屈託の無い笑顔を振りまき、弁丸は一層いい気分になって続けた。
「朝餉は終わったな? 朝一に来る商人がもうすぐ城下に降りはじめるからそれを捕まえよう!」
「はいっ、でもにいさま内緒で行くの? この前みたいににいさまが怒られるよ?」
 弁丸は先日父から貰った拳骨を思い出して身震いしたが、いやっと首を振る。
「したが誰かに話したら佐助の耳に入ってしまうだろう? だから内緒なのだ!」
内緒、と自分が発言して思い出したのか弁丸ははっとして声を潜める。ゆっくり几帳の外を覗けば部屋の外に控えていたはずの侍女はいない。安堵するとにっこりと笑って妹の手を取った。
「今のうちに行こう! 商人が帰ってしまう前に!」
 障子から外を伺えばやはり侍女の姿はない。朝は忙しいのだろうか。兄妹は庭先に履物が置かれているのを見つけると互いに笑い合って足早に進み出る。急げ急げと言う弁丸には一所懸命に付いて行く。けれど転びそうになる妹に気付くと兄は少し歩調ゆるめて誘導するのだ。
 少し離れた局からそれを盗み見ていた侍女達は笑いを堪えながら頷き合う。そうして庭の木に隠れる影に、お願いします、と一礼すると、影はすっと消えていった。

 弁丸とは大根や菜を運ぶ出入りの者の荷車に乗り込み、筵(むしろ)に隠れて城下への道を辿る。荷車の振動を感じながら弁丸は思う。上田の城が平城で良かったと。出るには苦労したが、平城であるが故に帰りはきっと二人で歩いて帰れる。山城ならばの足も自分の足も持たなかったに違いない。
 ありがたいことに荷車の持ち主はこれから城下で一番人の集まる所で残りの大根を売るらしく二人は迷う事無く目的地に辿りつけた。出出しは上々だ。
「よし、ここらで売るか」
 暫くして荷車が止まりそんな科白が聞こえると、弁丸はと共にこっそりと筵を外し荷車から降りた。足早に抜ける二人の後ろ姿に商人もまた身体を震わせて笑いを堪えていたとは露知らず。

「よし! ばれなかったぞ!」
「にいさますごいっ」
 すぐ傍の板葺き屋根の町屋の影に隠れて二人ははしゃぐ。弁丸は懐に銭があるのを確認すると、さあ行くぞ、との手を引っ張るのだ。
「にいさま、何処を探したらよいのですか?」
「あっちの方に行けば大きな商家が並んでおる。其処へいけば何か見つかるであろう」
「にいさまはの知らないことをたくさん知っているのね」
「うむ、以前……いや佐助に聞いたのだ」
 本当は父と城下の視察に来て見知っていたのだが弁丸はそれを伏した。その視察も、女子だから当然といえば当然であったがには許可が下りなかったからだ。これから楽しいはずの城下巡り、わざわざ心を沈ませることを思い出させる必要は無い。
 行商人の活気ある客引きの声と客の賑わいが其処から聞こえ、興味深そうに目を輝かせる妹に弁丸の心も躍る。
「おれの手をしっかり握っておれ」
「はいっ」
にも何か買ってやろう。腹が減ったら甘味も食べようぞ!」
「わあっ」
 二人は声を弾ませて城下を駆ける。店を構えず声を掛けながら日用品を売り歩く男、海のある国から仕入れた乾物を売る老婆、店先に沢山の古着を飾る店主、子供が好きそうな人形をはじめとする玩具を並べる店、その何もかもが目新しい。
「にいさま、佐助は何が欲しいと思いますか?」
「うーん、ずっと考えていたのだが、佐助の欲しいものなど聞いたことがないのだ。そうだなぁ……。おれたちの好きなものでは駄目だし」
「母上が、人は自分にとって必要以上のものを持ってはならないとおっしゃいます」
「うむ、無駄遣いは良くないと言われるな。だから佐助にとって必要なものがいいはずだ」
 ませた言葉を言うが二人の口調は舌足らずで、すれ違う町人によっては含み笑いをする者も居る。弁丸はそんなことを知る由もなくまだまだ短い腕を組んで虚空を睨み思案する。
「忍びの……佐助の武器と言えばあの大きな手裏剣だが……」
「お手入れにつかう打粉?」
「うむ、それに怪我もよくするかも知れぬ」
「うーんと、薬草?」
「おれもそれしか思いつかない。――あとは団子……」
「それはにいさまの欲しいものでしょう?」
「う、うむ……お! 菜饅頭があるぞ!」
 話を逸らそうとしたのか、純粋に興味を持ったのかは総じて微妙であるが美味しそうな匂いに弁丸の鼻も意識も釣られていく。菜饅頭を売る男は目尻を下げて、弁丸が求めるまま手に添える。銭を渡すのもそこそこに満面の笑みで頬張る弁丸に店主は気を良くしたようだ。
「お嬢ちゃんもいるかい?」
「ううん」
「腹いっぱいかい? じゃあこれをあげようかね」
「わあっ」
 朝餉を平らげてからまだ一時程度であったため食指が動かなかったに店主は小さな風車を差し出した。風に靡く赤色のそれにの目はきらきらと輝く。
「いいの?」
「今朝お寺に饅頭を納めに行ったら頂いてね。でもうちの子供はもう大きいからお嬢ちゃんにあげるよ」
「おじさま、ありがとう」
「ハハハ! お礼もちゃんと言えるんだ。賢いねぇ。今日は御遣いかい?」
「佐助に祝いを買いにきたでござる!」
「二人でかい? えらいねぇ。坊ちゃんもお嬢ちゃんもとても可愛いから気をつけるんだよ。いい人ばかりではないからね。特に小さな路地に行くんじゃないよ。今みたいに大きな通りを歩きなね」
「はあい」
「無論にござる!」
 やがて菜饅頭を平らげた弁丸がの手を引いて店主に手を振る。屈託のないそれに店主もまた笑顔で答えると二人は楽しそうに駆けて行く。
「身形もいい子達だし大丈夫かねぇ。一応陣屋のお侍に報告入れとくか」
「店主一つおくれ」
「へいありがとうございます」
 店主が客数名に菜饅頭を捌き終えたときには二人の姿は人ごみに紛れ見えなくなっていた。

- continue -

2012-05-19

御手洗などの甘いお団子は室町からあったようですが、一般的に”お団子=甘い”になるのは江戸時代以降のようです。
なので劇中で佐助が指す”団子”が甘く、幸村が本当に甘党なのか、個人的に興味があります。