「姫ぇぇぇぇええ、俺様との約束破ったねぇぇええぇ!」
その声は呪いの声のようで這い寄るように皆を包みは思わず悲鳴を上げた。
「ひあああっ!」
「oops」(おっと)
「わー」
三者三様とはこの事。腰を抜かさんばかりの、わざとらしく驚きの単語を発する政宗、感情の篭らない声で同じく驚いてみせる成実である。小十郎のみがはぁと溜息を吐いていた。そうして這い寄る声の主はお構いなしに黒い残像と共に政宗との間を割るように進入して来る。それは政宗らの見知った男の姿だった。
「こらー、姫ー」
「さ、佐助っ」
「だーから駄目だって言ったでしょー! 何の為に本丸の西に移らせたと思ってんの!」
「うっ、私怒られますか?」
「すっごくね! 旦那にもお説教して貰うから覚悟することー!」
「逃げちゃだめですかっ」
「俺様が捕まえに行くから無駄だよ。てか才蔵はどうしたの!」
「た、たくさんお願いして出してもらいました」
「駄目だアイツ、役に立たない」
そう、幸村の腹心真田忍隊の長猿飛佐助だ。飄々とした物言い、不遜な態度、政宗とは兎角馬の合わない男だ。政宗らを完全無視するかのように背を向けを説教する彼の態度は一層の不快感を煽る。
「……おい猿」
「あーこりゃ竜の旦那、さっきぶりー」
「んなこたぁどうでもいい。誰が目が合っただけで女を孕ます物の怪だ?」
「あ、あはー、色々弁解したいんだけど一言で言うと妹を思う兄心だよ」
「おうおうそうかい? じゃあ手っ取り早くその兄を連れて来い」
「わーお竜の旦那目がマジだねー」
そんな問答が始まった直後のことだった。遠くから砂埃が立ち鬼気迫る雄叫びが響き渡る。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
それは聞き覚えのある声で、見覚えのある姿で、全てを得心した政宗の堪忍袋の緒は一気に千切れ去る。
「真田死ねぇえぇぇぇええええええええええええ!!」
そうして勢いよく引き抜かれた六爪は空を舞い蒼い軌跡を起こして迫り来る紅い軌跡に襲い掛かるのだった。
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――そして。
「この度は兄や佐助が大変な失礼を。また知らぬとはいえ国主たる伊達様に無礼を申しお詫びのしようもございません。どうぞご容赦下さいますよう切にお願い申し上げます」
「いや、アンタのせいだとは思ってねえよ」
上田城二の丸に割り当てられた政宗の居室、あわや大乱闘になるかというところで小十郎が止めに入り、政宗もそして赤い軌跡の持ち主たる幸村もむすりとしたまま此処に居る。今此処で頭を下げる姫御は政宗の当初の予想と違い幸村の手付きの女などではなく彼の同母妹ということだった。
「にしてもだ、真田幸村。人のことを物の怪だの目が合っただけで孕ませるだの随分な物言いをしてくれたじゃねぇか? あ?」
「政宗殿は比類なき好敵手であるが、女人のことは某感心申さぬ。嫁入り前の妹に手出しされぬようにするは兄の務めにござる」
「Huh? 悪びれもせずに言いやがったなこの野郎」
騒ぎを聞き急ぎ駆け付けた幸村の家臣矢沢頼康もその反応に小十郎と同じく溜息をつかんばかりだった。
「兄様っ!」
「ぐっ」
「ほんに、ほんに申し訳ござりませぬ」
最大の被害者は頭を垂れて平謝りをするこの姫かもしれない。幸村や佐助をはいそうですかと許す気はまるでないが、この娘は気の毒である。怒気を鎮めるべく政宗はなるべく幸村と佐助を視界に入れぬようにしながらと会話を進めることにした。
「アンタも苦労してるみてぇだな」
「はい、否定は致しません」
「っ」
「姫ちゃんひどいっ」
「Noisy!(うるせぇ) 話が進まねぇからてめぇらちょっと黙ってろ」
すると小十郎は無言で先程の残りの牛皮餅を幸村の前に差し出した。小十郎もまた菓子でも食って黙ってろと言いたいのかも知れない。
「それでもただ一人の兄と幼い頃から傍におります佐助故……」
「大切なんだなァ?」
「当たり前でござる! 某とてたった一人の妹なれ……もがっ!」
「黙れっつーの」
ついに牛皮餅は幸村の口の中で炸裂する。相変わらず無言のままの小十郎が数個同時に彼の口の中へ放り込んだのだ。
「……あんなでも親代わりの大切な兄様と佐助なのです」
「あんなでも!?」
「猿、てめぇもそれ食ってろ」
話の語尾がどんどん小さくなっていくのを聞くとこの姫も日ごろから頭を抱えているらしい。暫くすると先程剪んだ桜を生ける間を失ったの為に老女がそっと花器を出してきて、失礼して、とは言いおくとそれを手早く生ける。その腕前は一定以上のようで見栄えも悪くなかった。出来映えに感心し気を取り直して彼女の傍によって花を眺めた。ふとを見ると、その肘の辺りに花びらが付いている。先程幸村が挨拶に来たときも彼の手甲に花びらが付着していた、兄妹というのは思いも寄らぬところで似るのかもしれない。
「Hey,popsy. 花びらが付いてるぜ?」
「あ、これはお手間を」
「No problem」
そっと取ってやると彼女は品良く礼を述べて、その様が場の雰囲気を和ませる。――はずだったのだが。
「ーーーーーーーーーー!!!!」
当然といえば当然、怒号のような絶叫が響いた。
「な、何ですかっ」
「男と少しでも近づいたら破廉恥と叫ぶように常日頃より教えておいたであろう!!」
「え、ちょ! 旦那それは止めて!! それじゃ姫が女版旦那になっちゃうでしょー!! せっかくまともに育てたのに!! つーか口の中のもの全部食べて!」
「ぬっ!!」
「俺にまで散らしてんじゃねーぞ真田」
それこそ、幸村は必死の形相で叫び、佐助の目も若干本気に見えて全員がいわゆるドン引き状態に陥っていた。然も在りなん。在りなん。
「……わー」
「重ね重ね……」
「家族の情ゆえ仕方ないことかと、姫御のご苦労お察し申し上げる」
「は恥ずかしゅうございます……」
「この頼康もお詫び申し上げます」
と、真田側の外野は気の毒なことだった。我が身を心配するが故に強く出れないであろう姫、暴走を止めるはずの佐助はこの件に関してはあちら側に行ってしまうらしく頼康も首を振るばかりである。
「が、が孕んでしまうあぁああ!」
「孕っ……俺様やだーー!! 竜の旦那でオトナの階段登る姫なんてやだーー!!」
孕みませぬ……お願いですから連呼しないで下さい……とは顔を覆い、その姿にとうとう隻眼の竜も本日二度目の堪忍処を失うのだった。
「懲りてねぇみてぇだなァ? ア? 真田、ついでに猿ァァァアア!!」
「ぬぅっ!! の身を守る為、某この槍でお応え申そう!!」
「ついでって、ちょっと酷くない!?」
この勝負は何時終わるのであろうか、と片倉小十郎は諦観し、この二人は結局闘わずには居られないのかと成実は頬を掻いた。炸裂音が響く中、空を見上げればやっと日輪が天に昇りきったところだ。お館様、武田信玄が来訪するにはまだ遠い。
- continue -
2012-11-10
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