華胥の桜(二)

「相変わらず底の読めぬ男です」
「やれやれ」
 小十郎が生真面目に気難しく眉を顰めるのは何時ものことだ。彼がこうだからこそ政宗も成実も別のことに意識を飛ばせるのかもしれない。
「しかしあの真田の様子、怪しくないとは言い難いように思えます」
「大丈夫なんじゃない? 真田みたいな奴がが本気で謀を巡らせるときはあんなに露骨じゃないと思うけど」
「それにあの矢沢頼康。矢沢程の者がいるならなおのことと」
「和議の場だから、じゃないの?」
 成実の返答に小十郎はむむむとまた考え込んでしまう。政宗は笑いを堪えつつ小十郎を窘める。
「勇名轟く矢沢親子なら弓矢を持って応じるだろうよ。真田もまた然りだ」
 そういって成実同様ひょいと牛皮餅を頬張り、美味い、と言ってみせた。以降小十郎は何も言わなかったが、茶を啜る政宗の横で他の将と兵の配置の見直しに忙しい姿を見せている。
 半時も経った頃だろうか、行軍となれば持ち運ぶ物など限られて暇を潰すものなど殆ど持ち合わせていない。広縁を渡り大分離れた部屋に長く城仕えしているであろう年老いた侍女が数人控えているのを見つけると、上田で何か見どころになるような物はないか、と問いかけた。侍女らは互いを見合わせ暫し考えた後こう言った。
「それならばこの二の丸や本丸を覆う桜がとても見事です」
 と。政宗はそれに従い小十郎と成実を連れて極めて気軽に散策に出ることにしたのだった。

 大丈夫なんですか筆頭! という自軍の兵らの心配を余所に政宗はゆっくりと歩を進め、その先々は薄桜や桃に近い色が視界を彩る。山桜、紅垂れ桜、八重桜、まだまだ種類はあるに違いないが風流を好む政宗が感心する程の枝ぶりと美しさだった。成る程、侍女らが自慢するだけの事はあると各々頷かざるを得ない。武士は桜の散り際が好ましくないと敬遠するのが常だが、幸村にはその様なことは小さいことなのかもしれない。
「梵どう? 一息付けた」
「ああ、どちらも少なからず気ぃ張ってっからなぁ」
「まあねぇ……可愛い子ちゃんがお茶でも運んでくれれば気が休まるのにー」
「そういやばーさんだらけだったな」
 上田城に入ってより見かけるのは老女の比重が多かった。一番若くても政宗と歳の変わらぬ子が居そうな熟女であり失礼ながら凡そ若い男達の気が高揚するようなものではなかった。
「今日は幾重にも増して大切な席、熟練の侍女の方がしくじりがない故に駆り出されているのでしょうか」
「かねぇ……、普段からあればっかじゃきついよ」
「ったく、あんなのばかり見慣れてるからあいつ若い女を見ては破廉恥破廉恥しか言えねぇんだよ。手付きの女ぐらいいねーのかよ」
 不謹慎で辛辣だと小十郎から咎められかねなかったが政宗も成実も許して欲しい気分だった。もし三の丸に割り当てられた侍女らも老婆ばかりであるのなら聊か不憫である。帰りに御陣女郎の手配でもしてやらねばならぬかもしれない。
「やれやれ、こんなんじゃ上田の奴らも干からびちまうぞ」
 軽口を叩いて辺りを見回していると、ふと視界に桜とは違う何かが見えた。心知らず其方に視線を戻すと、政宗は思わず口笛を吹いた。
「梵?」
「成、見ろ」
「ん? おおー! いるじゃん若い女の子!」
 政宗が顎をくいと向けた先を見て成実もまた感嘆の声を上げた。其処には踏台の上に上り鋏を手にどの枝を剪もうかと思案に暮れる若い娘の姿。遠目故容姿ははっきりとは分からないが覗く手は瑞々しく、加えて明るい髪の色が真朱色に花々を散りばめた打掛に良く似合っている。
 娘は政宗達に気付くことなく、これと決めた枝に鋏を添えて剪み終わると満足気に頷き、木の幹に手をやって踏台からぎこちなく降りる。手馴れた風でない娘の動きに成実がにやけている気がして、こいつ変態か、と若干冷ややかな視線を送ることにした。
 娘はまだ桜の枝を物色するようで暫く同じ木をじっと見ていたが、丁度良い枝が無かったのか視線を下ろし次の木々に行く為こちら側に身体の向きを変える。その姿は――
「...wow」
 ――予想以上だった。
 歳の頃は十六、七、手にある桜の匂いに満足そうに笑む顔に育ちの良さが垣間見える。打掛を身に纏うくらいであるから身分は重臣以上の家の縁者であるに違いない。もう嫁いでいてもおかしくない年頃であろうが所作諸々清楚然としている。一体何処の娘だろう。
「あ……」
 まじまじと見ていると、娘の方も人影に気付いたようで浮かべていた笑みを仕舞い、ゆっくりと頭を下げてきて、相手の身分がわからない故成実と小十郎も会釈で応えた。政宗は娘に近づいて声を掛けてみる。もう一度あの笑顔が見てみたくなったからだ。
「顔を上げてくれ。――ここの桜はとても見事だ、アンタも好きか?」
 娘は驚いたようにピクリと身を震わせて政宗を仰ぎ見た。
「はい、上田の桜は皆の自慢にございます。お館様におかれてはお客様にこれをお見せになりたかったと存じます」
「甲斐の虎も随分粋なことをする」
「恐れながら伊達様のご家中の方にあらせられますか?」
 成る程、信玄公をお館様と呼ぶからには信玄の娘ということではないらしい。だがそれに匹敵する育ちのよさを感じる。
「ああそんなところだ。アンタ名は?」
と申します」
か」
 率直に、良い名だ、と続けるのは流石に止した。それでは女を落としにかかっているのと一緒だ。後ろで成実が若干つまらなさ気に声を上げ小十郎に一撃入れられ呻く声が聞こえる。その小十郎はの名を呟き何やら思案に暮れ始めていた。
「枝を剪んで居たようだが」
「はい、外の桜で十分とお思いになられるかも知れませんがやはり満開の今が一番美しい時期です。お客様方の部屋に一枝添えればまた一層春をお感じになって頂けると」
「I agree」(同感だ)
 ぽろりと口から零れ落ちた異国語に、娘はきょとんとした顔をしたが、政宗が涼やかに笑むと彼女はそれ以上追及しようとはしなかった。
「本当は朝には飾り終える予定だったのですが、途中兄から此度は部屋から外に出てはならぬといい含められまして今のような時間に」
「そういえば供は?」
「御内密に願います。こっそり抜け出してきております。苦労しました」
「見た目に似合わずとんだお転婆だ」
「お恥ずかしゅうございます。僭越ではございますがを見たかと誰ぞに聞かれましたら知らぬとお答え頂けると嬉しゅうございます」
「ああ、かまわねえよ」
「ありがとうございます」
 娘の周りに流れる風は温かく穏やかな顔(かんばせ)は春の趣に相応しい。口振りから武田ではなく上田の者に違いない。此れほどの娘が手付かずとも思えず、ああと政宗は独り言つ。先程幸村に手付きの女はいないのかと言ったがひょっとしたら彼女がそうかもしれない。心に巣つく落胆を打ち消して政宗は続けた。
「しかし、何で今日は出ては駄目なんだ? 奥を纏める人間が動かなくては侍女達も困るだろう?」
 幸村に正室が居るとは聞いていない、ならば彼女がそうだと考えるのが妥当だ。
「はい、何でも陰陽師が兄らに申しますにはお客様のご一行を羨んだ物の怪が紛れて城内に在るとか。それは若い女子に害を及ぼすのだそうです」
「Huh? 物の怪ねぇ……」
「はぁ……若い女子と目が合っただけで孕ませてしまうのだとか。恐ろしいこと故侍女らも家が近いものは数日暇を取らせているようです。おかげで古参の者らは忙しく動いております」
 ……そんなもんいるかよ、と言う言葉を飲み込んでこのの兄は何を教えているのだと呆れ返った。後ろの小十郎と成実は、頬に手を当てながら考えあぐねるの言葉に何か嫌な予感がして互いに顔を見合わせ、政宗は少しだけ声を下げて問うことにした。
「参考に聞きてぇんだがその物の怪の特徴は?」
「ええと、何でも蒼い衣を好んで、御刀を六本同時に自在に操る隻眼の武士の姿をしているのだとか、遭ってしまったら力では敵わず食べられてしまう故破廉恥と叫ぶといいそう……で」

 あ、気付いた。

 様子を見守っていた成実は噴出したいのを必死に堪え小十郎は頭を抱えた。こんなことを言い含めるなどあの男しか浮ばない。政宗はどうだか知らないが、その男の顔が二人の脳で像を結ぶ。
「aha」(そうか)
 政宗は右肘を腰にある愛刀の柄に置いて左手で顎を撫でた。政宗の愛刀はそう、腰元左右に六本ある。対しては自分の科白を反芻し、引け腰になりながら桜の枝をきゅっと胸に合わせ慄いた。
「!! わ、私は食べられてしまうのですか?! は美味しくないです!」
「まて、落ち着け。どっちの意味での食うだ」
「どっちって何でございますかっ」
「安心しろ、アンタはいい女だが無理矢理する気はない」
「!?!?」
「――政宗様、この小十郎、という御名とその兄という御仁に聊か覚えが」
「ほう……? どいつだ。んなアホらしいことをこのpopsyに刷り込みやがったのは」
 静かに怒りの炎を燃やす政宗に小十郎はそっと耳打ちし、これは一悶着あるなと覚悟せずには居られない。そして次の文言を発せようとすると、何処からともなく聞き覚えのある声が 地を這うような恨み節で全員の耳を突くのだ。

姫ぇぇぇぇぇぇええぇぇぇえぇぇえええ」

- continue -

2012-11-03

夢主に筆頭はフィルター全開です。

上田城行った事がないんですが、パンフらしきものに桜の絵がいっぱい描いてあったのできっと美しいんだろうなと思って書いております。いつか行きたいです。