紅花栄(八)

 空が白んできた。鳥の鳴き声はまだ聞こえない。
 寝所の中は暗く、自分の胸に身を預けしどけない姿を晒すに白小袖を合わせてやりながらその夫は心配そうに問うてきた。
「大丈夫か?」
「……み、ず……」
 息が切れ、声が擦れ、腕を上げるのも儘ならない。息も絶え絶えな自分と違い政宗はすっかり普段のままだ。
 先程までの彼は何だったのか、最初こそは閨事などしたこともない身を気遣いそれこそ腫れ物に触るかの如く時をかけ慎重に優しく触れていたのだが、一度華を散らした後はどうだ。何度も貪られ翻弄され意識を飛ばされた。まるで艶やかな獣に喰い尽くされるようだった。
 情交がこんなものだとは知らなかった。が上田で侍女達に教わったのは肌を晒し寄り添うこと。あられもないところに触れられ最初は痛みが伴うが背の君に逆らってはいけないということだけでそれが何を意味するかなど知る由もなく、昨夜はただ驚きと羞恥と政宗に満たされた。正直世界が変わる。あんなに濃密なものがあるのかと、あんな政宗がいるのかと。彼に喰い尽されるなら構わなかった。否、彼以外に触れられたくない。落城のあの日、もし彼以外の手に堕ちていたら。は恐ろしくなって眼を瞑る。
 正室の想いも余所に、政宗は枕元に用意されていた漆塗りの銚子を手に取り水を口に含むとの口に併せてくる。
「ん……ぅ……」
 されるがまま受けたが受け切れなかった水が顎を伝い喉を伝っていく。唇が離れるといっそう息が荒くなった。政宗はの口の周りを拭いながら
「sorry...」
 と呟いた。それが何なのか解らなかったが今のには聞き返す余裕すらない。ゆっくりと横にされ、再度白小袖を調えようとする彼を眺めているとふと手が止まる。
「身体、拭いてやろうか」
「じ、ぶ……で……」
「まってなKitten」
 そう言い置くと、襖と障子を超えて近くの部屋にでも控えているであろう侍女らの元に向かっていく後ろ姿を目で追った。先程まで正体なくなる程啼かされた、きっと彼女達にも聞こえていたに違いない。
 気恥ずかしさに衾に顔を埋めていると、やがて熱めの湯が入った盥を手に彼の人が戻ってくる。自分でする、という意見はどうやら黙殺されてしまったらしい。再び抱えられ温かい手拭で清められて、何処もかしこも触れられた記憶が呼び起こされてしまう。
「はず、かっ……し……」
「why? 何言ってんだ。さっきまでもっと恥ずかしいことしてただろ」
「ぅ……っ」
 反対側の腕を拭こうと向きを変えられ、痛みやらなにやら残る内腿を伝うぬるりとした感覚を覚えた時には流石に羞恥で泣きたくなった。
「っ! も、やだ……」 
 自分とは対照的にさも楽しそうに喉を鳴らす政宗が小憎たらしい。そんな箇所まで拭いに来るものだからなけなしの力で身を捩った。けれどしかと掴まれた身体はいうことを聞いてはくれない。いよいよすすり泣いてしまいそうになる。
「おねが、ゆるして……」
「そんな可愛いこと言うなよ、今日はもうやんねえから」
 艶やかな低い声が耳を打って、それ以上の反論は聞かないとばかりに口を塞がれる。抵抗する力なんて始めから残っていない。次第に瞼が重くなってきて、結局は彼に身を預けるしかなくなっていた。

 目が覚めたのは日も登りつめた正午だった。流石に政宗の姿はなく襖の向こうには侍女達が控えていた。付きの侍女には歳若い娘も多く、女主人と眼が合うと突っ伏してしまう者も居て、やはり聞こえていたのかとの顔も火を噴いて思わず後ろを向いてしまう。
 対して、相応に歳を重ねた侍女達は慣れたものなのだろう。ことに侍女頭と共に栽松院から遣わされた者達は不気味な程にこやかであれやこれやと普段身に着けぬ色の丈長や髪飾り、着きれぬと仕舞われた小袖などを持ち出して身に併せようとしてくる。
 今まで身に着けるものに意見したことがなかった者達だったが、今日ばかりは殿はこちらの柄がお好みですよ、殿は殿は、と続ける様は昨夜の顛末を知っていますよと駄目押しされたようで、消えれるものなら消えてしまいたかった。着替えの前に湯浴みをと言われた頃にはきっと涙目だったに違いない。
「あの、一人で入りたいの」
 と、擦れる声で我を通して這う這うの体で湯殿に行き、なんとか一息つけると思ったのも束の間、白小袖を脱ぎ湯帷子に着替えようと我が身を見た時には思わず悲鳴を上げた。
「これっ……」
 それもそのはず、腕にも胸元にも紅い華がまざまざと残っていた。その原因が何なのか思い当たれば、とても歳若い侍女達には見せられない。
「こんなにっ」
 身の置き場がなくなるとは今のことかもしれない。
 もう見まいと湯に浸かり、気持ちを切り替えるべく湯殿の中を眺め羞恥と昨夜の感覚を排除しようとしても一人になれば思い浮かぶのは政宗の顔、火照る肌の跡は一層鮮明になるものだから途方に暮れるしかない。加えて身は相変わらず重くもどかしい。一向に違和感も拭えず思うように動けないのだ。
 ああ、くらくらする。
「も、どうし、た……ら」
 こんな感覚は初めてで、自分の身体ではないみたいだ。
 湯の中で四半時もそうしていただろうか、ぐったりしていると人の気配がして、誰? と聞く前に聞き知った声が耳を突く。
姫様? ああっだれかっ!」
 御付の侍女の声だ。こちらが大丈夫だと言う前に悲鳴を上げてたものだから、他の侍女も乗り込んできて大事になってしまった。疲れと長湯で逆上せただけです、と言うも侍女等は真っ青だ。
姫様姫様っ大丈夫で御座いますかっ」
「早ようお水を!」
 素早く拭かれ白小袖を合わせられると侍女の一人は雪洞で扇いでくる。皆の余りの手厚さに居た堪れなさは倍増してしまう。
「皆に、手間を……」
「まあ姫様何を仰います!」
「御正室様なれば当然に御座います!」
 今までも大切にされはしたが、政宗が渡るようになってからは一層過保護にされている気がする。それは正室として歓迎されているという表れかもしれないが、侍女達の力の入りようはなんなのだろう。
「薬師もお呼びせねばっ……」
 などと、彼女達は留まる処を知らない。そのうち、湯殿の外が慌しくなり今度は何? と思いながら口元に袖を当てていると無遠慮に湯殿の戸が開く。
! 無事か!」
 政宗だ。執務中の筈である彼が何故此処に、などと思う間もなく彼は素早くに打掛を合わし抱き上げる。ああ、こんな姿を見られるとは。
「は、恥ずか、しゅう、ございます」
「んなこと言ってんじゃねえよ」
 政宗は顔を覗き込んですぐに後ろを向いた。
「shit! アンタら何をしてたんだ! 前後不覚の正室から目を離すんじゃねえよ!」
「も、申し訳ございませぬっ」
「面目次第もござりませぬっ」
大丈夫か? ああ俺も悪いな、無理させちまったからな」
 何を差して言うのか等とは分かりきったこと。身動きの取れぬは、恥ずかしさと逆上せ具合にみるみる赤くなる。
 わざとなの? 皆の前で何故そんなことを言うの? そうです、貴方様のせいです。などとも言える訳もなく余計に意識は混濁する。ふわりと身体が浮遊する感覚を覚えて、意識を手繰り寄せながら周りと見れば侍女達はひたすら平伏し、開いたままの湯殿の戸の外では驚いた顔の成実や左馬之助が居て、察した小十郎と綱元に到っては顔を背けてしまっていた。
「わた、し、の、わがまま、ゆえ、」
「……っ」
 やっとの思いで制止すると、それ以降彼が声を荒げることはなかったので侍女達は不問に付されたのだろう。遠い意識の先で何か近自習や小十郎らにも何か話していた気がするがもう既に頭に入らなかった。
 去り際、虚ろなまま成実と目が合うと、ひどく満足そうな笑顔を向けて頷いてきた。奥向きのみならず、彼を含め、皆に知られるところとなってしまったと気付いてからは、もう本当に死にたくなった。

- continue -

2012-01-07

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