「ったく、あの猿め」
猿飛佐助を追い回してその他諸々を済ませた頃にはすっかり夜も暮れていた。政宗は供も付けず悪態を付きながら寝所へと足を向けている。今日はなんて日なんだ、と居ても経っても居られない。先頃の遣り取りが脳裏を掠めれば早くの顔が見たくて仕方なかった。
「どうにもcoolじゃないね」
政宗は逸る心を落ち着けようとゆっくりと息を吐いて、夕刻がそうしたように庭に目をやった。
が政宗や謙信の前から下がった後、成実と睨み合っていたくの一も退いて、政宗と謙信は甲斐の虎の忘れ形見の話をしていた。
軍神の望みを平たく言えば、このまま上杉で後見するから手を出すなということだった。正直、上杉にいるならいるで構わなかった。歯向かわなければ見つからなくともそれで良い程度だったし、ただ政宗らが危惧するところがあるとすれば武田の残党と結びついて乱の旗にでもされることだった。現状、姫はすでに出家しており、軍神の性格上そんな娘を担ぎ上げる人間ではない。そう考えれば今は只、好敵手の想い人として素直に悼み静かに幸福を願うことが出来た。
だがは、武田の姫は寂しい想いをしていると罪悪感に苛まれるのだろうか。
にとっても姫にとっても政宗は仇だ。国を奪い肉親を奪い愛しい人を奪った。をどんなに愛しても、これから先、件のことを政宗が謝ることはない。泣かれても必要とあれば戦にだって出るだろう。謝って還ってくるものを奪ったのではないし覚悟もなく天下を狙うわけでもない。奪った分だけ最後までやり遂げなければならない、そう思うからだ。
そうして妻に対して一生背負っていくものを再認識していた所にあの忍びの科白が耳に入ってきた。
が雷が苦手だの、餓鬼の頃はそれが怖いと箱枕片手に幸村やあの猿の褥に入り込んでただの、自分の知らない無邪気なの様子、此れ見よがしにつらつら並べるあの男に気付けば自制が効かない位嫉妬していた。
自慢の六爪をぶつけては見たものの、嫉妬に狂う様は伊達男の名が廃る。間に入る小十郎の顔を立てる意も込めて、既に謙信に形見を手渡す作業に入っているいけ好かない忍びに問うたのだ。
「猿、奥州に留まらねえか?」
すると小十郎はじめ側近も、客人である謙信らも皆瞠目した。だが当の忍びは至極冷静で、光栄の至りだね、と返した後は極めて可愛くない返答をしてきた。
「あはー、それは俺様を買ってくれてるってことだよね。だけどお断り! 俺様アンタ嫌いだし!」
小十郎は眉を吊り上げたがなんとなく予想はしていた回答だった。一見軽く見えるがあの幸村の腹心だった男だ。そう簡単に鞍替えされてはつまらなかったのかもしれない。
「もし仮に、俺様が了承したとしてどんな仕事を望むつもりだったのさ」
「甲斐とその周辺の情報、どんな与太話でもかまわねえ。それとあとは……の護衛だな」
「ふーん……は?」
してやったり、だった。
「ちょ、ちょっとちょっと竜の旦那!? 俺様を姫の傍に置いちゃ駄目でしょ!」
「お前は雇い主に忠実だろ」
それに猿飛は世情の見える男だ。身内の仇の傍にいるのが辛かろうと浅はかな同情心で逃がすような考えなしではないし、彼女にとって何が必要かきちんと選別できる人間だ。そして奥州の人間に囲まれたが只一人心を砕ける相手でもある。至極癪だが。
「まあお前次第だ」
忍びの余裕な面の皮を少し剥いだ事でよしとしよう。だが意図を察したのか、佐助はにやりとして政宗に言った。
「へー随分、姫のこと大事にしてくれてるんだ。かぁーいぃでしょ? 忍隊でそりゃもう大切にお育てした珠玉のお姫様だもん」
「てめぇの言い方は気に食わねえが、知った女の中では一番上等だとは認めてやる」
「んふふー、竜の旦那の女の趣味は最悪だと思ってたけど姫選ぶんだったら俺様認識変えないとねぇ」
「俺に面と向かってんなこと言うのはてめぇで二人目だ」
「――竜の旦那、本当は黙ってようと思ってたんだけど、俺様ちょっと気分いいから教えてあげる」
「An?」
そう言ってつい、と前に出されたのは見知った匕首だった。
「これ、姫から貰ったよ。もう自分には必要のない物だからって」
「……」
「もし、匕首がいるような時は竹に雀のものを貰うってさ」
「あいつ……」
「……でもさ、これ程良いときに返してあげてくれる? 真田家と決別して伊達の人間になるって心構えはいいと思うんだ。だけど真田の旦那の想いと決別するってことはしなくていいと思う」
「Okay...」
幸村が贈ったという懐剣を手に取るのは久方ぶりだった。落ちゆく城で初めて彼女を見た時、この刀も彼女と共にあった。自害しかねない相手に持たせておくことは出来ず、そうならないと思えるようになるまで手元に置いておいた刀だ。図らずもまた自分の手にある。返してくれと言ったのは佐助だが、政宗には幸村が彼の口を借りての手に残して欲しいと言っているようにも感じれた。
「竜の旦那には感謝してるよ? ……姫に関しては真田の旦那と同じ鉄は踏みたくないんだ。どっちも、自分の感情より忠義とか家とか大切にしちゃう子だから。長く居た分責任も感じちゃうんだよね。あの日さ、お姫ちゃんの打掛を着て身代わりをするって言われた時、俺様がこんな風に育ててしまったかってもうすんごい後悔した」
政宗は匕首を手にとって目を伏せた。その様を見とめると佐助は小十郎を見遣る。
「右目の旦那もあるだろ? そういう感情?」
「てめえと一緒にするな」
「おおこわ」
お喜多さんと一緒だねぇ、そう続けて佐助はすっと立ち上がった。
「ありがとね、右目の旦那」
「なんのことだ」
「さあなんでしょ」
言うや否やバッ黒い煙が舞って、成実と左馬之助が身構えたが次の瞬間には佐助の姿はそこにはなかった。顔を上げれば先程政宗が焦がした木の傍にその人影が映る。
「ゴラァ! 猿飛! 政宗様の話はまだ……!」
「匕首! 生きる為につかうってさ!」
「!!」
我にもなく、掌中の匕首を見返した。
「まー、仕官はちょっと考えさせて。さっき姫のとこ行くとき許可もらってるって散々言ったのに黒脛巾組さん襲ってくるから寝かしちゃったんだよね。もう来ないつもりでお喜多さんにも喧嘩売っちゃったし……。あの人超怖い」
「い、命知らずっす……」
「あ、やっぱり?」
青くなる左馬之助に、佐助は頬をぽりぽりと掻いて苦笑いの面を貼り付けた。
「あーじゃあ、さいなら!」
「佐助! 謙信様も下がってよいとは仰られていないぞ!」
軍神の懐刀の抗議も笑顔でかわして佐助はそのまま姿を消した。
先に売られた喧嘩に少し懲らしめてやるかと意外な誘いを掛けてみたが、後半は思わぬ反撃を食らってしまった。狐に抓まれず、猿に抓まれるとは。やはりあの忍びはいけ好かない、いいように掌で踊らされた気分だ。
ふと気付けば月に雲が掛かる。
政宗は首を振った。逸る心を落ち着けようと庭を眺めたはずだったが思い出した事柄が悪かった。
「Ah――」
政宗は罰の悪そうに頭を掻いて寝所のほうを見る。
早く落ち着けよ、こんなだせぇ焦燥みせらんねえだろ、そう言い聞かせながら。
- continue -
2011-12-17
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