紅花栄(五)

 宵闇が顔を覗かせはじめた頃、橙色の髪の忍び――猿飛佐助は亡き主君の宿敵の居城を逍遥していた。国力に見合う広大な城だ。伊達者と渾名される国主そのままに規模もそうだが装飾や設備も粋を凝らしている。だがやはり乱世に相応しく、佐助が歩いている塀は剣塀になっているし天主にも忍び返しがついているものだから辟易した。
「相変わらす忍び泣かせの城だねぇ。黒脛巾組さんたちは毎日大変そうだ」
 片目のあの男は本当に隙がない。若干面白くなく思いながら木に飛び移る。
「よっと」
 そろそろ軍神の元に戻らなければなるまい。あまり待たせるようならあの昔馴染みのくの一が眼を吊り上げて怒るのだろう。などと考えていると近くの木々に想い描いた人の姿を見止めた。

「遅いぞ」
 予想通り昔馴染みがその美しい眸を吊り上げて睨み付けてくる。
「よう、かすが。軍神の傍に居なくて良いの?」
「貴様が何か仕出かさないか監視を申し付けられたんだ。さっさと行くぞ」
 くの一、――かすがはそっぽを向くと軽やかに跳ね次々と進んでいく。非打ち所のない美貌と肢体を持つ彼女だが下卑た艶やかさは露ほどもない。凛とした美しさとそれに添う鋭さは閨房術を駆使する他のくの一とは一線を隔した戦忍特有のものだ。
「天はニ物を与えずなんて嘘だなぁ」
「は? 何を言ってるんだ」
 かすがの後ろについて行きながら佐助はそう呟いた。こんな美人が軍神の懐刀と言われるくらいの腕を持つのだから恐れ入る。
「早く来い」
「はいはーい」
 かすがと佐助は政宗や謙信がいる部屋に程近い木々に落ち着くと様子を窺った。夜になろうとする時刻になった為か、膳と酒が運ばれてる以外は格段変わったことはない。政宗も謙信も話しながら互いに箸をつけている。双方の話と腹が落ち着いた頃に行くのが良いだろうと佐助は枝に凭れた。するとかすがも反対の枝に腰掛ける。
「あれ? 軍神の横に戻んないの?」
「独眼竜の傍のがいちいち煩いんだ。だから謙信様が気遣われてこちらにやって下さった」
「ああ、睨みあってたもんね」
 武の成実っていったか、と政宗の横を小十郎と共に固めた若い男の顔が過ぎる。政宗の身が余程心配なのだろう。警戒する様はかすがに似ているかもしれない。
「ああっ!!」
「! ど、どうしたの」
「謙信様っ何の躊躇もなくお酒をお飲みにならないで下さいませっ! このかすがが毒見致しますのにっ!」
「……こんな風になるから席外させられたんだね……」
「う、うるさい!」 
 突っかかってくるか、と一瞬身構えたがかすがは視線をすぐ戻してぽつりと呟いた。
「そういえば……随分気にかけるではないか」
「え? ああ、姫のこと?」
「ああ、お前にしては珍しいと思ってな」
「そりゃあね、俺は姫が乳飲み子の頃から知ってるからね。小さくって可愛くってさすけさすけってくっついて来てさー、年を追うごとに綺麗になって気立てよくて、それでも佐助佐助、旦那の分と一緒に団子持ってきてくれたりさー。なんていうか自慢のお姫様。俺様の春風」
 むはぁ、と吐息を吐きながら語りだす佐助。かすがはその様に盛大に引いた。
「それがあの竜の旦那に手折られたかと思うと、このやるせなさなんていうの? お父さんの気分?」
「お前はいつから子を持ったんだ。案ずることはないだろう。見る限り大切にされているように見受けられたが。調度や衣装も素晴らしいものだし、なにより家臣の態度がいい。いくら着飾ってもないがしろにされている正室ならおのずと家臣の態度にも出るものだ。何の不満があるんだ」
「そう! それだから困る!」
「は?」
「辛いんだったら連れて行ってあげるって言えないでしょ。実家はないけど縁者が居ないわけじゃないんだしさ」
 だが佐助の優しい問いかけにも掻き付くこともなく匕首を手渡した彼女はもう覚悟している。保護者は自分達真田の縁者ではなくあの隻眼の竜なのだ。
「まー、姫が幸せならそれでいいんだけどね」
 手拭いを目尻に添わせる様にかすがは半ば呆れた。
「あ、でも心配が一つある」
「……なんだ」
姫、雷が超苦手なんだよね」
「は……?」
 今日何度目の、”は?”だろうか。などと遠くで思いながらかすがは佐助の奇矯な様を見たが、彼は構わず弁舌を振るう。
姫が四つぐらいの頃、部屋の側の木に雷が落ちてね、その木が折れて部屋の天井突き破ったんだよね。余っ程怖かったらしくてそれから一切雷駄目でさー。雷の日は部屋の隅っこで震えてたし、夜は寝れなくて箱枕もって旦那や俺のトコ来てたしさー、涙目できゅってしがみ付いてくんのね、超可愛かったー」
「ま、枕!?」
「やだかすがちゃん誤解しないでよ、夜潜り込んで来てたのは六つまでの話。俺様そっちの趣味はないから大丈夫。てかね、俺様はまだ小さいし可愛そうだって言ったんだけど旦那がねー、『いくら幼くとも男女が同じ褥に入るのは破廉恥でござる』ってさ……旦那、そんとき七つだよ……」
「……そ、そうか」
「それからは侍女と寝せるようにしてたけど、子供心に旦那も心配だったみたいで雷の日は『宿直でござる』なんて言って姫の部屋の前に衾持ってきて寝てるのね。そんでお約束みたいに風邪引いて、仕方がないから俺様看病して、俺様にも移っちゃったりすると姫が心配してご飯持ってきてくれたりするんだよね。雇ってる忍びにだよ? ちょーいい子だったわけ。あーなんか泣けてきた」
「……もはや何を突っ込めば良いのか私にはわからん」
 一層手拭いを目尻に押し当てる佐助にかすがは匙を投げることにした。適当に言わせておく、それが賢明だ。
「行く行くはそれなりの武将のトコにお嫁に行くんだろうなーなんて考えてたんだけどよりによって竜の旦那だよ? 奥州探題とかそりゃ家柄はいいよ? 旦那との間にどういう話があったか知らないけど対外的には戦利品でつれてかれたようなもんだし、百戦錬磨で見た目が加虐そうで女癖悪くて猛禽類みたいな竜の旦那相手にうちの箱入り姫が対抗できるわけないじゃん? それまで傍に居たのってとぉっても優しい俺様と、犬っころみたいで人畜無害そうな旦那や、女子には優しく! の大将だけだよ? 翻弄されて泣かされたら俺様心痛んじゃう」
「……話、逸れてるぞ? ついでに竜は猛禽類ではない」
 どんだけ独眼竜が嫌いなんだとか、さり気に主君に酷いこと言ってないかとか、言いたい事は多々あったが、何処を突っ込んで良いのか分からなくなってしまったかすがはそこだけを指摘した。
「うん、俺様も思った。……まー、成長しても雷鳴ると一目散に部屋に逃げて侍女にしがみ付いてたからまーったく克服できてないのよね。なのになんの因果かここじゃ竜の旦那は愚か家臣まで雷使うし姫可哀想」
「ああ」
「でもね俺様もう完全外野だから祈るしかないわけ。わかる? この辛さ? 竜の旦那が怒りの余り姫の前で技放ったりしたらもう! 想像するだけで居た堪れない! 泣いて動けなくなっちゃうからお願いだからやめたげてっ」
 半ば芝居がかる佐助にこんな奴だったっけ? と思わずにはいられない。溜息を一つ付こうとしてふと気配を感じる。

「ああよく判ったぜっ!!」
「っ」
「あらぁ」
 声の主を確認する前に怒号と蒼い軌跡がこちらに、否、佐助に迫ってくる。かすがが素早く別の木に除けて元いた場所を見れば雷電がそこを覆いバチバチと音を立てていた。
 そして出所に視線を向ければ予想通りこの国の主が青筋を立てて一刀を手にしている。
「おまえ、聞こえるようにわざと話してただろ」
「へへーん」
 抜け目なく横の樅の木に移りニタニタとする佐助に再度呆れ返り、かすがは後始末は自分でつけろとばかりにさっさと謙信の後ろに跳んだ。
 あら冷たい、と飄逸に嘯いた佐助は相変わらずで自身とは対照的な政宗を見る。
「ご忠告ありがとうよ武田の忍、だが安心しな。あいつの前でそんな物騒はしねえさ。ああそうだな、稲光が鳴り出したら聞こえねえくれえに啼かしてやりゃあいい」
「なっ」
 声を上げたのはかすがである。美しさを誇ろうと戦忍であろうとその反応は年齢相応だ。
「やだー! 竜の旦那はれーんちっ! てか姫が雷苦手って今の今まで知らなかったの?」
 政宗の後ろには若干難しい顔をして歎息する小十郎と顔を引きつける成実達、そして神色自若の態で酒を口に運ぶ謙信の姿がある。
姫がこっちに来て何度雷雨の日があったんだよー。臥所でしがみ付いたりして来なかった訳? あれ? まさかまだ姫とは……」
「煩せえぞ」
「やだー!! 俺様、竜の旦那より一歩抜きん出てるー?」
「Ham?」
 明らかに空気が変わった。忍びのかすがが思わず身震いする程の何かが走る。
「……小十郎、止めるなよ?」
「――は」
「Hey, 覚悟はいいか?」
「わっ! 竜の旦那本気?」
「クセになるなよ?」
「自業自得だ」
「あーぁ……」
「ふふ、わかきこと」
 再び起こる怒号を聞きながら三者三様それぞれ呟き、この国の国主の一撃によって割かれた気の毒な木々を眺めた。国主による忍びの捕物帳は暫し続き、業を煮やした竜の右目の一撃によって終わりを告げることとなる。
 この木を含め庭の有様に鈴木元信が悲鳴を上げることになるのはまた翌日の話。

- continue -

2011-12-10

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