紅花栄(二)

 越後の上杉謙信が直接政宗を訪ねてきた。同盟を進める相手だ。本来ならば広間で盛大に歓迎せねばならないところだが供は忍びが数名、内々の来訪だった。政宗は自分の座所から少し離れた所に彼らを迎え入れ、綱元がそつなく饗応の任についている。饗応といっても聊か日が高いことから酒は出ていない。
 謙信は綱元から茶を受け取ると静かに口を付けた。後ろに控える彼の懐刀である美しいくの一が一瞬慌てたが彼はそ知らぬふりをして飲み干した。政宗より歳が上の甥もいるはずなのにその顔には皺一つなく女とも見紛う美貌と併せて年齢がつかめない。その容姿も智謀も食えぬ男だ。いやそれ以前に本当に男なのかすら疑問だ。
 意外にも同盟を持ちかけてきたのはこの謙信本人で、当初、伊達家中はどんな意図があるのかと訝しんだ。上杉と武田は度々刃を交えた好敵手であったが、近頃は武田の姫の一人を甥の嫁とし両家は同盟していた。だが甲斐攻略中は終ぞ動かず、武田領が伊達の手に落ちるのを黙って見ていた彼が今何故動くのか。あらゆる推測をしたが答えは出なかった。義将ともいわれ称えられるこの武将だがその誘いに乗ってもよいものか、政宗自身警戒を解いてはいないが、織田による奥州襲撃に呼応し、旧武田領の離反の危険性もあったことから強国と組み牽制することも必要かつ急務である。
 とはいえ、謙信の思い通りに事を運ばすのも癪な政宗はのらりくらりと同盟を先延ばしにしていた。すると意外なことにこの軍神が重い腰を上げ直接顔を出してきたのだから政宗はじめ小十郎ら側近もいささか面食らい今この場にいる。
 政宗は掻い膝の姿勢で謙信を眺めながら不敵な笑みを形作った。
「軍神様自らのお越したぁ俺も恐れ入ったぜ。同盟の話も含めて、な?」
「ふふ、どくがんりゅう、あなたがちからなきおとめをがいするようなら、わたくしもとらのあだうちを……などとかんがえもしましたが、あなたのてのなかでひめがそっとはなひらき、とてもおだやかにすごしているとききしればそのようなかんがえなどふきとぶというものです」
「Ha! 虎のおっさんの仇討ちなんていう奴がなんで甲斐侵攻の時に動かなかったんだ」
「なぜでしょうね。ふふ、いわぬがはなともうしましょう?」
 相変わらず考えが読めない、と思いながら政宗は慎重に彼を見た。謙信は湯飲みを手にしたまま悠然と笑みを浮かべている。
「どくがんりゅう、こんかいこちらにきたのはどうめいのはなしもさることながら、おねがいがあってきたのです」
「Hm?」
「おくがたにあわせていただきたいのです」
に?」
「じかにあって、はなしをしたく」
とアンタに親交があったとは聞いたことはないがな」
「ええ、おあいしたことなどありません」
 いけしゃあしゃあと言いやがる、そう言いたいのを喉元に押し込めしばし一考すると頷いた。
「……Okay. いいだろう。誰か、を」
 主君の言に小十郎らが驚き身を乗り出すのを政宗は制止する。彼らが言いたいことは分かっている。危険だ。その一言だろう。彼女が来るならそもそもこの場所を指定した意味もなくなってしまう。が、軍神がわざわざ彼女を指名するのも気になった。
 万が一を害するつもりがあったとしてもここには政宗も小十郎もいるし彼女につけた黒脛巾組が動ける。軍神の側に控えるくの一が何か仕出かしても止め様があるというものだ。
 成実がくの一を牽制するように一瞥している。成実もくの一も殺気剥き出しに見合うものだから牽制どころではなくなっている気がしないでもないが。

 主君同士が悠然と構え、家臣が睨み合う。そうしているとゆったりとした衣擦れの音が聞こえる。だ。流水の上に杜若をのせた花筏が浮く文様が美しい打掛を纏うその様に自分の見立は間違いなかったと政宗は自画自賛しながら彼女を傍に招きいれた。やきもきしているであろう小十郎らを余所に、不思議そうな顔をするに相手が謙信であることを告げると彼女は驚いて口上を述べた。
「失礼申し上げました。お初に御意を得ます。伊達政宗が室、に御座います」
「とらのわこのいもうとご、そしてりゅうのおくがた、はじめましてうえすぎけんしんです」
 を見てああ、と目を細め得心する謙信はなおも続けた。
「あかるいかみのいろ、とらのわこといっしょですね。あのじっちょくさ、はげしさ、まぶしいほどのわかとらでした」
「貴方様にそのように言われるなら兄も本望にございましょう」
 謙信は頷き、男とは思えぬほど優美に微笑んだ。
「……おあいできてよかった。あなたにおつたえせねばならぬことがあるのです」
「私に、でございますか?」
「ええ、きっとあなたのうれいをとりのぞくことになりましょう。どくがんりゅう、あなたのみみにもいれておくほうがよいとかんがえます」
「ほう」
 政宗は腕を組み様子を伺い、謙信は一呼吸おいて形の良い唇を開いた。
「おくがた、かいのとらのひめのゆくえ、このけんしんぞんじています」
「!」
「かいのとらのすえのひめぎみ、かのじょはいまえちごにおられます」
 は目を見張った。だけではない、政宗も、小十郎も、綱元も、成実も、左馬之助も皆一様に何らかの驚きを見せた。縁戚関係をみれば妥当だったが、前述の通り甲斐攻略の際に動かなかった上杉はその対象から多少離れていたからだ。謙信は目を伏せて静かに続けた。
「ご無事で、いらしたのですね」
「ええ」
 の声は少し震えて、政宗はそれを懐かしさと安堵が溢れ出た、と感じた。
「そうでございましたか、越後に行かれたのですね」
、知らなかったのか?」
「はい」
「とらのひめよりきいています。おくがたはみがわりになるともうされてとらのひめのうちかけをまといしろにのこられたと。そのさい、いくさきをきいてはてきにとらえらえたときにはいてしまうやもしれぬときかなかったとも」
 今度はが目を伏せた。政宗は思わず彼女をじっと見つめてしまう。
「とらのひめはえちごにこられてよりなきくらしていました。かしんらにむりやりにがされたとはいえなぜあなたをおいていったのかと。ずっとがんをかけてあなたのぶじをいのっておられました」
「残ると、私が申しました。姫様がお気に為さることではなかったのです」
「とらのひめにとっては、あなたがたはとてもたいせつなそんざいだったのですよ。ひめはこういのっていました。――ゆきむらがたすかったら、いのちをささげます。そのいもうとがたすかったら、かみをおろします」
 髪を下ろす、それは尼になって俗世から離れるということだ。未婚の歳若い姫が人並みの幸せから離れるといった観点からみればある意味死と同等かもしれない。当初が仏門に入りたいと言ったのを止めたのはそうあって欲しくはなかったからだ。言葉の出ぬの横で、政宗は武田の末の姫がどれだけ真田家に心を砕いていたかを感じた。
「とらのわこのしをしって、それはもうひたんにくれていました。あまりのはかなさゆえわたくしも、ひめをかちゅうのだれかとえんづけようともかんがえました」
 謙信は手にあった湯呑みをおいて、その縁をひと撫でした。

「――けれどひめはそれをこばみました。ゆきむらいがいのおとこにはだをゆるすきはない、そういわれたのです」
 政宗は柳眉を一瞬動かして再度を見た。彼女の睫を滴が濡らしている。
「とらのわこと、こいなかであられたのですね?」
 そしてその言葉にもう耐え切れぬと両手を口に当てる姿に政宗は軍神に視線を戻すと相手は静かに頷き返してきた。
「しばらくして、あなたのうわさがえちごにとどきました。りゅうにとてもたいせつにされていると。それをきいてたいそうよろこんでいました。まんぞくそうにうなづかれて、かみをおろされたのです。わたくしのおいに、ひめのあねがとついでいます。かのじょもなんどもとめたのですが、とらのわこへのきもちはだれにもとめられませんでした。ひめのことはあんじなさいますな。うえすぎけがしゅうせいたいせつにぐうし、またなんぴとにもりようさせません」
 外からの風がふっと皆の頬を撫でる。謙信は目を伏せてもう一度口唇を開いた。
「おくがた、あなたにたのみがあるのです」

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2011-11-19

けんしんさま、かなもじだらけでみにくいでございます。