紅花栄(一)

 五月に入り、政宗の配慮でひっそりとではあるが幸村の法要が営まれた。一年前は悲しみの底に沈み心晴れることなどなかったが、今は只穏やかに冥福を祈れている。
 少し前まで幸村の位牌はの座所に安置されていたが、今は少し離れた部屋に置かれている。部屋の隅にひっそりといた頃は位牌から片時も離れたくないと思っていた。だが最近になって、未練は亡き人の成仏を妨げると仏門に帰依する者に言われ考えを改めたからだった。
 あの日以来、の寝所は政宗と一緒になっていた。正確には政宗が毎夜の許を訪れ朝まで過ごしている。と言っても実質的な夫婦としてはまだ二人は機能していない。夕餉を共にしたあとは他愛無い話をし、戯れに膝枕を所望されることもある。だが床に入れば腕に抱かれてただ眠るだけだった。
 誰ぞに知られればままごとのようだと笑われるかもしれないが、急速な変化を強いらないのは彼の気遣いなのか、心を解す時間を貰えたことで胸に抱く感謝は相手への信頼に変わってゆく。
 今やだけの寝所ではなくなったこの部屋は所々に政宗の趣味のものも飾られている。
あまり好みを言わぬに代わり、喜多や侍女が揃えた薄紅や紅赤、山吹や翡翠などの明るい色の調度が多かったこの場所も、青藍や杜若などの寒色系の色調に変わった。調度品だけでなく身に纏うものもそれに近い色合いが増えてきた気がする。そう言えば喜多などは、
「政宗様の独占欲の表れでございますよ」
 と言うものだから、の頬はたちまち紅に染まるしかない。
 
 喜多の言葉を思い出し所在なげになっていると侍女頭が文を携え、満面の笑みを浮かべて進み出る。栽松院からの文だというそれを早速読めば、二人の仲が進展したことへの祝いとこれからもそうあって欲しい、夢のようだという喜びが記されていた。
 本当に……、とは思う。今置かれた状態は夢のようだ。
 薄っすらと覚えている、年明けのあの元旦の夜。まだろくに言葉も交わさぬ政宗が来て寄り添い介抱された。心悩ます文のことも言えず、ただ距離のある相手だと思っていた政宗が側にいることが嬉しかった。
 普段から考えれば余りにもかけ離れた出来事で、おぼろげな意識の中であれは夢だと思い込んだ。そして夢なら醒めなければ良いとも思った。あの頃はもう政宗に抱く感情が、怖れや恨みだけでないことを自覚していて、その都度故国と亡き者が脳裏を過ぎり、沸き出でる想いを口にすることも出来ずその狭間で苦しんでいた。政宗に要らぬと言われるのも怖かった。それ故慎ましく言われるまま大人しい正室でいたのだ。触れられるなんて絶対にないと思っていたし、夢ならば罪の意識からも心苦しさからも放たれてあの温かさを感受していればよいのだから。
 でもあれは現実で、今がある。なんて幸せなのだろう。
 あの頃よりは心は穏やかで満ちている。でも本当に良いのだろうか、あの方を受け入れて愛し愛されて。それはとても罪深くはないか。武田の旧臣や姫、水底に沈んだ者達は私を恨みはしないだろうか。
 もう何度堂々巡りを繰り返しているだろう、未だには答えが出なかった。
 
 書物を手に取り暫くすると広縁の方から声がして、何事かと首を傾げた。
「何かあったのかしら」
「ああ、そういえば上杉との同盟話が進んでいるようでございますよ。何度となく御使者が行き来しておりますので。今日もそちらではないでしょうか」
「上杉……軍神ですね」
 亡き甲斐の虎武田信玄、お館様と慕った主君の好敵手、越後の上杉謙信、戦場においてのその見事な采配を何度となく兄から聞いたものだ。
「ええ、先の織田の襲撃、奥州だけでなく越後にもあった様でお互い手を組むのが得策と思われたのではないでしょうか」
「越後にまで織田の手が伸びていたのね、織田信長という方は何を考えているのでしょう」
「本当に、何もかも敵としてすべてを滅する様は本当に人在らざる者のように思います」
 喜多にしては珍しく、恐れを抱いた風情で答えた。
姫様、御前失礼します」
 ふと聞き知った声が鼓膜を震わせる。九曜紋を配した羽織を着る竜の右目だ。
「ご無礼かと存じますが急ぎの知らせにてお許し頂きたく」
「片倉殿、如何されました?」
「本日、他国より客人が来られております。手練の者故、姫様におかれましては御座所からお出になられませんよう政宗様からのお申し付けでございます」
 と喜多は目を見合わせた。喜多は小十郎の方に身体を向けて問うた。
「まぁなんと。上杉からの御使者なら今まで何度も来ていますでしょう」
「それがその」
「なんです?」
「お二人とも内密に願います。軍神本人が来ているのです」
「まあ」
「今丁度その方の話をしていたところでした」
「左様でしたか。軍神だけでなくその懐刀も来ております。軍神が何か仕出かすとは思えませんが念の為、黒脛巾組も多く配置させて頂きました」
「わかりました。謙信公が来られているのなら片倉殿も政宗様のお傍を離れるのは気が気ではないでしょう。お指図に従いますのでよしなに願います」
「はっ」
 そう言うと一礼し足早に去る小十郎を見送り、入れ違いに入ってきた侍女から茶を受け取ると喜多は一息吐いた。
「内密と言っておりましたが、お忍びでこられたということなのでしょうか」
「そうでしょうね、謙信公という御方はも意外に大胆な人となりのようです。川中島ではお館様……信玄公と直接刃を交えられることもあられたと聞いています」
「大胆と言えば……政宗様もよく国境を越えて他国に行かれることがございました」
「まあ」
「一時期は小十郎のおでこが心配でなりませんでした」
「ご苦労が絶えないようですね」
「左様にございます。今は皺が心配ですわ」
 喜多が自分の眉間を指しながら言うとも侍女も笑った。

- continue -

2011-11-12

想いが通じても葛藤がすぐ消える訳はないと思うのです。