鴻雁北(三)

 政宗の言葉のまま側近始め家臣一団は飲めや歌えの大騒ぎだ。勝手方はその分上へ下へのおおわらわで、政宗が帰城するまでにあった聊か沈滞した空気は吹き飛んでしまっている。
 男達は肩を組み、はたまた興奮のあまり絶叫して収拾がつかない。だが今日はそれを咎める者もいない。皆一様に気分が高揚しているからで、それもまた無理からぬことだった。
 伊達軍、家臣一同がこれぞ漢だと、家も命も懸して付いて行こうと惚れこんだ俺達の筆頭に来た我が世の春、甲斐から連れてこられた歳若い御正室様がそれはもう可愛らしく泣いて心の内に秘めた筆頭への想いを告白し身を寄せる様は、織田軍を制圧し、村々を治めて帰ってきた疲労を一気に吹き飛ばすほどの威力があった。
 いつも自信に溢れ硬派で誇り高い筆頭が御正室様に見せたあの優しい顔は今までみたことがない。それがほんの少し脳裏に過ぎるだけで否応なしに意気高揚するのだ。
「いやぁ、御正室様はあんな方だったんだな。殆ど表に出られない方だったから今まで知らなかったけど」
「かぁわいかったなぁ」
「あーあのとき俺もうとぅきゅんって来た」
「漢だったなぁ筆頭」
「そっと手を添える筆頭にもとぅきゅんって来たぞ」
「俺も嫁さん欲しくなってきたぜ」
「よーし今日はお二人のお幸せを願って呑むぞぉおおおお」
「Yeaaaaaaaaaaaaaaahhhh!!」
 と、こんな具合だ。
 一通りの膳や酒が出回ると、侍女や勝手方の人間も代わる代わる加わってその話題が繰り返され、一層宴の雰囲気は盛り上がるのだった。

 傷の癒えぬ成実であったが、この騒ぎを静観出来る程の落ち着きを持てる年齢ではない。混ざって大騒ぎは出来ないものの、広間の端の敷居に座して宴の様子を眺めていた。まだ雪も残るというのに此処の熱気は留まるところを知らない。戸を開けて月を愛でるくらいが丁度良いくらいだ。
「真田幸村かぁ、俺も殺り合ってみたかったな」
 この祝宴に上る政宗と、その二人を娶せる結果となったのはすべては虎の若子、紅蓮の鬼といわれた男の言葉が始まりだった。政宗をあれ程までに高揚させ倒したいと願った幸村の槍を政宗の傍らで何度となく見た成実だったが、刃を交えることは終ぞなかった。
「武の成実としちゃ気になる相手だったか?」
「まーね、……って梵! なんで此処に居るの? 姫は!?」
「寝た」
「……は?」
「だから寝た。泣き疲れて寝ちまった」
「寝たってまさかおやすみなさいの寝た? 梵に啼かされて寝たんじゃなくて?」
「おま、」
「そこは手ぇ出しときなさいよ……」
「……」
「戦帰りのその猛る血を思い切りぶつけれやればいいじゃない! 今日の雰囲気ならいける! 梵がんば!」
「Fool! 安心しきって腕の中に居る奴に手が出せるかよ! いきなり信頼失くすだろうが!」
 頭を抱えたかと思えば、くわっと政宗に顔を近づけ吼える成実。対して主君の方はその様相に若干の引き腰にならざるを得ないでいる。
「へぇえ〜あの女嫌いの鬼畜な梵がねぇ〜〜へぇ〜ふ〜〜ん」
「お前、相当酔ってんな……」
「梵は相当惚れてるな、わかってたけどね」
「口が減らねぇ野郎だな」
「酔ってるから」
「言ってろ」
「で、傍にいなくていいの? 姫だって目が覚めたときに梵が横に居ないと寂しいんじゃない?」
「……一度顔出したら戻る」
「はっはーん」
 成実は得心したように頷くと眉も眼も弧を描き意地の悪そうに政宗を見る。
「無防備な姫が目の毒な訳ね」
「うるせーぞ」
「梵ちゃんほんと……」
 あの娘にだけは扱いが違うよね、と言いかけてふと成実は言葉を噤んだ。
「どうした?」
「ああ、うん。姫が害されなくて良かったって思ってさ。――あの時みたいにならなくて本当に良かったよ」
「成」
「まんまと敵の術中に嵌められたよ、俺駄目だね」
 悲愁を帯びた眼をした彼が何を指してそう言うのか聞くほど政宗は鈍感ではない。成実の横に腰掛けて低くよく通る声で窘める。
「あそこに留まっていても敵は来てた。女子供を逃がすなら移動するしかねえさ。俺だって最初は砦を目指してたしな」
「もう少し先に人をやってりゃ引き返すことも出来たよ。初手で気付くのに遅れて焦ってさ。俺ほんと駄目だ」
 いつもの飄々とした成実の顔はそこにはない。政宗はやれやれと言わんばかりに首を振った。
「何でも出来ると思うなよ『武の成実』、だから俺達には小十郎や綱元がいるんだろ?」
「……そだね」
「――成実、俺は親父のことでお前を恨んじゃいねーよ」
「うん、分かってる」
「あんときもお前自害しそうな顔してたろ、覚えてんぞ」
「はは……やだなぁ梵、……ごめん」
 横目に見た彼はかすかに震えてる気がした。だが彼の謝罪など政宗には不要なのだ。
「バーカ」
「俺、二度とヘマはしない」
「らしくねえの」
 そう言わないでよ、と言った成実はもういつもの顔に戻っていた。
「そういや、戻るの早かったね、相手には鉄砲隊が居たし、負けはしないだろうけどもう半月くらいは掛かると思ってたよ」
「ああ、存外掃討自体はすぐ終わったんだよ、だが村の被害が多くてな。それの試算と弔いなんかで一月だ」
 濃姫ら指揮を出す者を欠いた織田軍はそれ程脅威ではなかった。始めは固まっていた彼らではあったが、伊達軍と遭遇するたびに数を減らし、野伏せりに追われたり、徐々に統制が取れなくなり撤退を決めたようだ。だが、彼らの鉄船はすでに伊達軍に押さえられており、加えて慣れない北国の雪に悩まされ投降する者が続出する。捕虜にするにも、民の恨みの捌け口にする気もなかった政宗は、拿捕した鉄船の内の一隻を彼らに与え、織田領に送り返した。戻っても魔王のこと、彼らを生かすとは思えないが、奥州で彼らが行った行為を鑑みれば情けを掛けて許す気にもなれなかった。断罪は魔王自らの手で行われるという恐怖を抱え帰還中彼らは怯え続けるのだろう。
 それらの顛末を聞いた成実は、ふとあの女はどうなったかと問うた。すると消えたと返された。帰還の船にも彼女の姿はなかったのだと言う。今何処をさ迷っているのだろうと考えるのは詮無きことだ。

「しかし盛り上がってんな、あいつら」
「梵が来てるのに気付かないくらいだもんね」
 政宗の言葉に意識を戻し広間を見回せば誰も彼もが大騒ぎだ。政宗が来れば大抵気付く小十郎や綱元すらその中に居る。珍しいこともあるものだと眺めた。
「あいつら今すげー騒いでるが明日になったらてんてこ舞いだろうな、元信なんか頭から血を吹くかも知れねぇ」
 政宗は明日の朝皆に起こるであろう二日酔いとの戦いと、この度の織田襲撃で被った被害への出費に苦心する元信の健闘を願う。
「左馬之助から聞いたんだけど、小十郎なんか『織田を掃討したとはいえまだ予断ならねえ、交代で見張りだ』なんて言ってたらしいんだけど、見てよあれ」
「……一番仕切ってやがるな」
「喜多も凄いよ」
 小十郎から少し離れたところに視線を遣れば瓶子片手に一気飲みをする乳母の姿がある。
「おい、なんだあの瓶子の数は……」
「ね……」
 彼女の周りには大量の瓶子が転がり、遠巻きに綱元が、姉上そろそろお控えを、などと言うものの彼女の手も口も止まらない。そのうち、本当に良かった、と言いぼろぼろと泣き出して、綱元の首根っこを掴みガクガクと振り回すではないか。慌てて諌めに入った左馬之助も一撃のもとに倒されその場に伏してしまった。哀れ左馬之助。
「Oh――酒乱だったのか」
「ちょっとした……なんだっけ、”かおす”ってやつ? あの中に顔出すの?」
「……行くしかねえだろ」
 今夜は来なくても誰も何とも思わないよと推量しながら、立ち上がり広間に入る政宗を心から応援することにした。
 すぐに政宗の姿を見とめた家臣一同は一斉に詰め寄り、歓呼喚声雄叫び、どれとも取れるような絶叫で迎え入れた。きっと今夜の彼は解放してもらえないだろう。
 成実は思う。今一歩違えていたのなら、主君のあんな顔など今頃見れらなかっただろう。また彼の大切なものを失くす処だったのだ。政宗の背中を見ながら今ある幸せを心から享受し呟いた。
姫が起きる前に戻れるといいね……」
 夜空を見上げれば若人への祝福か、今宵は雲も消えて綺麗な月が覗いていた。

- continue -

2011-10-29

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