草木萌動(七)

「どうして邪魔をするの? 酷いことをしているからその女(ひと)に殺されるのが嫌なの? 勝手だわ……」
「……」
「その女(ひと)に酷いことをしたんでしょう? 兄を殺し、国を奪い、その身を攫った」
「傍から見りゃそうだろうな」
 心無い人形か、それとも善悪の分からぬ女童のようなあどけなさがあるようにも感じられるその挙措、だが彼女は痛烈な言葉を紡ぐ。
「俺は真田幸村を殺した、逸れは紛れもない事実だ。真田が事切れる前に妹は死なせたくないと俺に託した。これも事実だ」
「死なせたくない……」
「俺も死なせる気はないし矢面に立たせる気もない、傍にいるならそれでいい」
 お市の言葉に震え動揺するに政宗の言葉が染み入る。眸に映る夫の姿が、頭の毛から足の爪の先まですべてを覆いつくすようなそんな錯覚を受けた。
「ふ、ふふ……」
 対してお市は然も愉快そうに笑い出した。と同時にあの黒い手が一層大きくなるように彼女の周りを包み出し、政宗はもう一本太刀を抜き、小十郎は身構えた。
 が、彼女の口を衝いて出たのは哀しい慟哭だった。
「にいさまは、市の言うことなんて聞いてくれなかったのに、……優しくなんて一度もなかったのに」
「長政さまは、市を庇って死んだのに……」
「どうして貴方は生きているの?」
「貴女の側には大切な人がいる、市には、市にはいないのに……っ」
「長政さまはいないのに!」
 兄の命で嫁ぎ、愛した夫は目の前で、しかも自分を庇いながら兄に殺された。憂き節繁き川竹、と同じく乱世に翻弄されたこの女性は心を失した。哀れではある。
 政宗にもにも一頻り喚くと今度はゆらりとだけを見据え、一斉に黒い手が威嚇するように向く。もはや幽鬼のよう、いや幽鬼そのものかも知れない。
「――幸せな貴女、……きらい」
「っ……」

「綱元、を」
「はっ」
 政宗に命じられ綱元はの腕を取ると、お早く、と身を引いた。妻は思わず夫の名を叫ぶと彼の人は例の不敵で余裕のある笑みを描く。
「政宗公っ」
「帰ったら聞かせろよ?」
「……はいっ」
 を連れた綱元、手負いの成実を抱えた左馬之助、そして付き従っていた兵の何割かが下がるのを確認すると政宗はお市を睥睨した。その嘆きだけを見るなら哀れな女だ、だが。
「アンタ自分を可哀想だと思っているのか? 同情が欲しいのか?」
「貴方にはわからないわ」
「理解する気もねえがな」
「そう」
「奪い奪われが戦国の世の倣い、だからこそ人を殺さず終われるとは思わねぇ。殺した方は殺された奴らの分まで生きなきゃなんねぇし忘れてもなんねぇ。アンタが殺された夫を想い続けるのも良いだろう。――だがな、アンタの周りに横たわるそれは可哀想じゃねぇのか?」
 お市の傍に散る彼女の義姉濃姫、そして主君の妹と彼女に礼を尽くした蘭丸、彼らも奪う側だったが今は雪にその身を埋めた。
「たった今アンタに命を奪われた者達だ。奪われる苦しさを知ってるくせに、アンタは奪うことを止めない。死んだ旦那のせいにして自分の意思じゃないとばかりに手に掛けやがる」
「貴方も沢山殺してるわ。市と何が違うの?」
「ああそうだ、俺が殺し、俺が奪った。だが俺の意思でだ。目は逸らさねえ」
 政宗がそう言いながら、愛刀を握る手に力を込めたのを小十郎は見止めた。
「浅井長政ってのは、義に厚い武将だったんだろう? その番いが現実から目を背け自分のせいにして無意味に人を殺しやがる。そんなんじゃ成仏したくても出来ねぇな!」
「長、まさ、さま……」
「悪いがアンタには一欠けらの同情も持てねぇ」
「無意味なんかじゃない! 長政さまが言ってるんだもの……!」
「死人を逃げに使うな」
「やっぱり貴方もにいさまと同じ……市にやさしくない……」
 泣き喚くように頭を振るい薙刀を政宗に向け、例の手が牙を剥く。柳の髪を振り乱す様が痛々しい。亡き夫の言葉と言い、刃を持つことで苦界から逃れたかったのだろうか。だが、哀れに思っても情けをかける気にはならなかった。彼女の嘆きより、その刃に理不尽にも生を絶たれた者のほうが遥かに多いのだから。
「やれやれ、魔王の血、ここに極まれり、か」
「政宗様っ!」
 政宗に迫る手を見るに小十郎が叫び駆ける。呼ばれた主君はその手を巧みに交わし素早くお市の懐に入ると、太刀の柄で彼女の腹を突いた。
「……な、が……」
 ドサリと音がして彼女は粉雪に身を預ける。彼女の周りにあった無数の手は意識を手放した彼女と呼応するように消えた。改めて目をやれば白地に散らばるその柳髪がなおも美しい。
「大事ねえよ」
「この女性(にょしょう)、如何致しますか?」
「さてな、――小十郎はどう思う?」
「はっ、織田方として村を襲い虐殺を行うなど伊達方からすれば紛う方無き罪人、織田信長の妹としても捕らえて人質とする手も御座います。さりながら妹の嫁ぎ先を攻める魔王の行動といい、このように敵地に出すことといい、魔王がこの妹御を大事にしてるとは到底思えません。人質の価値もないでしょう」
 小十郎は政宗に膝を突き淡々と答える。彼は一息おいて、意識を手放したお市を一瞥しまた続けた。
「また、同じ織田方の将を討ち取るなどの行動、言動は、織田への忠節も皆無。先程のあれも正気の沙汰とは思えません。姫様への影響も考えますと捕らえて身近に置くのも躊躇われます。牢に入れてもあれ程の力、難なく姫様に接触するかもしれません」
「……つまり捨て置けということか」
「御意」
「だが、殺された奴らはたまったもんじゃねぇだろ、俺も領内を脅かした奴を無罪放免で放り出すってのはな」
「仲間割れとはいえ、織田の主力たる二人が転がっております。この二人がいないだけでも織田の士気、兵力は弱体化出来たと言っていいでしょう。これ以上死なせては政宗様の御名に傷が付くだけかと」
 魔王の妻と、魔王の子と比喩される子供。どちらも非道な織田方の名立たる将ではあるが女子供だ。政宗が手にかけた訳ではないが、伊達領内で死した二人を政宗が殺したとも言われるかもしれない。それに加え夫を殺され実家に帰された女を捕らえたと噂されればの時とは違い尾ひれが付けば評判を落としかねなかった。甚だ理不尽ではあるが、人というものは絶えず判官贔屓するものだ。
 政宗はやれやれと頭を振り腕を組んだ。そうして兵に紛れて佇むいつきらに言う。
「ってことだ、いつき、村長。堪えてくれ」
「おらにはおさむらいの難しい考えは分からねえだよ、でも青いおさむらいさんがそう言うならそれに従うだ」
「……おまえ、将来いい女になるぜ」
ねえちゃんの次に?」
「Ha! 言うようになったじゃねえか」
 くつりと笑い政宗はいつき達にも支城へ向かうように指示を出した。頭は潰れたが村々を襲った織田軍のすべてを滅した訳ではない。現在もこの村では小競り合いが続いている。近隣の村々を徘徊している兵もいるだろう。
 もしかした濃姫らが率いた兵は囮で別に本隊があり政宗の本城をも狙う可能性とて捨てきれない。一刻も早く動く必要があった。
 地に転がる魔王ゆかりの者らを一瞥し、政宗は踵を返した。

- continue -

2011-10-02

**