草木萌動(六)

 お市は動かなくなった蘭丸を見る。
「開け放たれよ、底の国……」
 そうして白雪に蝶を散らせた濃姫を見る。
「連なり来たれ、底の闇……」
 ゆらりゆらり、身を任せる場所が定まらぬ様子で天を見上げる。
「うふふ……ふふふ……ふふふ……」
 彼女の口からは止め処なく笑いが漏れ出でて、この声にも成実もこの世のものでないものを見ている気がした。
「ねぇ、おいで? かわいそうなひと……」
 彼女は人を屠ってもなお美しい顔で近づいてきて、に手を差し出してくる。
「長政さまは貴女を殺さなくていいって……。市と一緒だからいいって」
「一緒……」
 反芻したその言葉に違和感を覚えずにはいられない。
「長政さまはね、厳しいけれど優しいの」
「――にいさまはやさしくないよ? だから長政さまを殺したの……」
 優しげに微笑んだかと思えば、苦渋に歪んだ気を充てられる。もし彼女の手を取ってしまったら二度と人には戻れぬものになってしまいそうな気さえするのだ。それなのに彼女の声はとても甘く耳を撫でてくる。
「貴女のにいさまを殺した人もきっとやさしくないわ。兄を殺してその妹を奪った、酷いひと……」
 美しさとは不似合いな血に染まった薙刀が彼女の手の中でギラリと光る。そこに映るのは子供のように首を傾げるお市の姿だ。ほんの一時でも気を抜けばそのまま絡め取られてしまいそうになるのを必死に抗う。
「ね? 酷い人を消しに行こう?」
「……ちが、う」
「え……?」
「酷いことなんて、ただの一度も……」
「でも、貴女のにいさまを殺したわ」
「乱世の、倣いはどうあれ……、私を救い上げてくれたの、は、あの人……」
 このまま彼女の哀惜に呑まれる訳にはいかない。
「悲しいけれど、今、は、恨んでなんて、ないっ……」
「……薄情なひと……。貴女のにいさまは根の国で苦しんでいるわ」
「!――っ」
「女! 世迷言を言うんじゃない!」
「貴女も市も、忘れちゃいけないの……、殺されたひとの恨み、無念……」
「っ……ぅ」
 は思わず手を胸元にやった。眼を逸らし耳を塞いでしまえば楽かもしれない。だけどそうして逃げてもこの人の言葉は何もかも白日の下に晒してしまうだろう。
 お市を牽制する成実の声が怯える自分の心をどうにか繋ぎ止めていた。
姫! 聞いちゃ駄目だ! どんなに綺麗な顔をしていてもその性根は魔王の妹! その容姿と言葉で人を惑わす悪鬼だ!」
「まだ聞こえないの? どうして長政さま……、そうなの? ……足らない、邪魔な声……」
 まるで人形のように命を感じさせない動きで成実を向くと、お市は薙刀を向ける。今度は自分かと身構える成実だが、命を奪うというのに、ふらふらとして心すらなく感じるその様があまりに無防備で眉を顰めた。だが彼女の周りを這う手は例えようもなく異質で成実はためらいを止め太刀を向ける。
「成実殿!」
「下がって!」
 躊躇いなく刃が振り下ろされると同時に無数の手が成実をに襲い掛かる。あなや命は潰えるかと覚悟を決めた瞬間だった。

 刹那、カキンと刃を弾く音が響き、視界に蒼い軌跡が煌いたかと思えば、空を薙刀が舞った。次いで左方から一直線に雷を帯びた一撃がお市へ迫るが、そのまま軌跡に弾かれてずさりと後退する。の視界に見慣れた背中が映った。
 ――政宗だ。
左方には小十郎、そして達の後ろからは伊達の兵達が駆け寄ってくる。
「そこまでだ」
「梵!」
「政宗公っ」
「Kitten、遅くなった。――無事だな」
「はいっ……公こそ」
「成よくやった、代わる」
「失態醜態で恥ずかしい限りだよ」
「Ha! そんだけ言えるなら大丈夫だな、左馬之助!」
「はっ!」
 左馬之助は成実の腕を肩に掛け抱え上げ、政宗はに下がるように促す。が、すぐに例の異様な気配が強まり、後退していたお市が弾かれた薙刀を再び手にゆっくりと進み出てうわ言のように呟いた。
「長政さま……」
「魔王の妹が織田に戻ったと聞いてはいたが、仲間割れとは穏やかじゃねぇな」
「……市は、長政さまの言うことを聞くだけ……。じゃま、しないでね?」
 只の人なら何も出来なくなりそうなくらいの政宗の殺気も、何事もないかのようにお市はまた、ふらりふらりと近寄ってを見る。まるで以外は目に入っていないかのようだ。その気配に政宗をはじめ、小十郎、綱元、左馬之助、伊達軍の者達は奇異な印象を覚えざるを得ない。
「市の薙刀、貸してあげる……」
 まるで手を差し伸べるかのように薙刀を差し出すお市に、は頑なに首を振り拒絶する。政宗が視界から隠すように更に庇い出てるとなおも彼女は続ける。恐ろしい言葉を紡いでいるのにそれは甘い誘いのような錯覚さえ受けた。
「貴女のにいさまは殺せって言ってるよ……」
「きっと根の国で泣いているわ……」
「兄を殺した男が許せるの?」
 彼女の言葉が何度も頭の中で反芻する。
「にいさまを忘れて、にいさまの屍を踏み躙って貴女は幸せになるの……?」
「――――!!」
「貴女も酷いひと……」

「……ぁ…………あぁ……」
 今まで逃げていた問いを突きつけられる。湧き上がる醜い想いを政宗の優しさに甘えて蓋をした。それが暴かれる気がして恐れ慄いた。外したいのに目を逸らせない。身体の震えが止まらない。眸に映るお市の姿が、彼女の眼差しが、暗い方へ暗い方へと引きずり降ろそうとしてくる。
「市、今から行くのよ、にいさまのところ。長政さまと一緒に行くの……だから貴女も……」
「口を閉じろ」
「っ……」
「俺の妻をそれ以上惑わすんじゃねえ」
 政宗の声が呑み込まれかけた心を現実に引き戻す。はっとが見上げるかの人はお市を睨みすえ躊躇なく剣先を突きつけていた。

- continue -

2011-09-28

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