草木萌動(四)

 一体何が起こっているのか?
 そう問う前には粟立った。遠くから聞こえるのは白雪を蹂躙する蹄の音、荒々しくおらぶ声、格子から覗けば見える立ち上がる白煙、そのすべてに覚えがあった。上田の城で、要害山の城で、その身を持って知っている。
 今、何処の者かも分からぬ敵にこの村は攻め寄られているのだ。
「敵襲だ、多分落武者や山賊の類じゃない。皆俺の指示に従って」
 武の成実の言葉に何事かと訝しんでいた女達は互いに身を寄せ合い、いつきは顔を強張らせた。はやはり、と成実を見た。彼は只頷いて次にいつきに問う。
「村を見渡せる場所はどこ?」
「えっと、一揆の時に砦にしてた場所なら」
「ならそこへ」
「わかった、こっちだ!」
 小屋から出て外を見回せば、村の入り口付近だけではなく山一つ向こうにも煙が上がっていた。女達は口々に、隣村がやられたのだと嘆き怯えた。
「一体どこの兵だべ……」
「この時期に兵を出すなんて」
 は身を乗り出して遠目に見える旗指物を確認する。錫色の地に木瓜の紋所――織田だ。
「……っ、なんてこと」
 そう言って口を噤んだ。織田軍の非道な行いは誰彼となく知っている。いつき達はまだ気付いていないが、木瓜の紋が織田だと知れば皆恐れ戦き、成実達が統制を取れなくなってしまうだろう。
 その成実は鬼気迫る顔で外に控えていた兵らに、それぞれ女子供を抱えていつきの誘導に従い移動するように指示していた。
「敵、結構近いから迅速に移動しようね。皆、怖いだろうけど頑張って」
 失礼するよ、との手を取り、一同を叱咤する成実の顔には苦渋の色が滲む。
 成実は自身の失態に激しい苛立ちと自責の念を覚えずにはいられなかった。腰機の音で聞こえていなかったとはいえ、もっと周囲に、すぐそこの格子にでも目をやれば早めに気付いていたかもしれない。何の為に護衛についていたというのか。
 こうなってしまっては仕方がない、迅速に女達を多少なりとも安全な場所に避難させる必要があった。政宗達はきっと誰かを援護に割いてくれるであろうが、慎重に考えても待てる時間はなかった。一人でも女の姿を認めたとき、あの木瓜旗めく者達の反応はおぞましいものになるに違いないからだ。せめて黒脛巾組が気付いて、入れ違いにならぬよう報告を入れてくれるのを祈るしかない。

 皆が息を切らし、村の隅に駆け終えると村の入り口の方から喊声が上がる。敵の襲撃か、はたまた交戦になったかは分からない。
「坂を上がれば砦だ!」 
 いつきがそう叫び、皆、小屋から必死に走り疲れた足を奮い立たせ速度を速める。
「上に着いたら姫達は奥へ、俺らは高台を占拠したことを梵に伝える」
「心得ました」
「成実様、先見てきます」
「頼む」
 成実配下の兵が進み出でて、一人先に駆け上がる。雪に足を取られぬよう実にうまく歩を進めていく。とはいえ、その雪のせいで先に行きつつも成実達とあまり距離は開かない。漸く昇りきり、歩みを進めるのを認めながら問う。
「どう?」
「し、成実様っ来ちゃ駄目で」
――パァーン!
「!!」
 銃声が鳴り響いた。
 先行した兵に向けられたものらしく、彼が言い切らぬままドサリと粉雪に伏した音が聞こえた。女達は悲鳴を上げ、は身を硬くし成実らにも嫌な汗が流れる。
「ひっ、撃たれただっ……」
「落ち着いて! 脇の林に隠れるんだ!」
 皆一斉に林に飛び込む。幸い伏兵は居らず撃たれずに済んだ。が、彼らはすぐに此処に来るだろう。
 いつきは手に大きな槌を握り締めて砦を見上げ、忙しなく周りを確認しながら成実は舌打ちをする。
 村の入り口に敵が居ると見ていたのが仇になった。考えれば敵とて村を見渡せる場所は一番に確保するはずだ。
「クソッ、乗せられたかっ! 返す返すもっ!」
「おら達も使わないくらいに険しいんだけど裏道があるだよ、きっとそこから……」
「っ! 林をすり抜けて下に降りて梵と合流するしかないか」
「うまくいくだか?」
「上から発砲して来たくせに此処に伏兵置いてないってことはきっと数に余裕がないんだ。もし居たら今頃俺ら蜂の巣だよ。加えて鬱蒼としたこの林に篭られたら上から把握できないのは分かってるはずだ」
「割きたくても割けないのか」
「そう。奴ら、多分村を襲う気ではあったけど城攻めをする程では来てないな。梵を狙う気ならもう少し兵が居るはずだ」
「村を襲う為だけに来ただか? おら達の命そんなに軽くねえだよ」
「ああ、そうだね。そんな奴らは梵が許さないよ」
「うん」
「ぐずぐずしては居られない。移動しよう、上から奴らが降りてくる前に逃げるんだ」
 成実の叱咤に、兵も女達も頷き皆いそいそと草木を分け移動し始める。女達を優先し砦の方を確認しながらだったが、今度は近距離でまた銃声が響いた。

「ごめんなさいね、残念だけど見逃せないわ」
 音の方を皆が一斉に向けば林の外から自分達を見据える女が居た。黒地に美しい蝶の文様の間着に、そしてそれに見劣りしない艶やかな容姿と声音が響く。只その姿に似つかわしくないのは両の手に握られた銃であった。
 彼女の後ろには木瓜の紋を背に負う織田の兵が揃っている。
「チッ! 応戦しながら下へ!」
「Yeah――!」
「大かんぱーっ!」
 成実の声に応えるように、配下の兵がおらび、いつきが槌を振るうとさながら本当の寒波のように雪が舞った。織田軍はまともに受け怯む。
「今のうちだ!」
「何度か続けて!」
「わかっただ!」
 その間に皆下へ駆け下りる。下はまだ煙も上がっていないし政宗達に近づくことが出来るはずだ。いつきが放つ技は狼煙代わりにもなり自分達が近くにいるのも、また上は危険だということも知らせることも出来るだろう。 
 いつきも後退しながら何度も槌を振る。繰り返すうちに吹雪に銃創が凍りつき、女の銃も後ろに控える織田兵の銃も使い物にならなくなっていた。
「チッ」
 女は舌打ちをすると、何処から取り出したのか見たこともない大きな銃を構えた。
「! させねえだ!」
 いつきが槌を振るうのと女がそれを撃つのはほぼ同時だった。が、

「うわあああっ」
「ぅがっ」
 ドドドドッという音が辺りに響き銃弾が振ってきた。いつきが凍らせることの適わなかった流れ弾が逃げ惑う女達とそれを護る兵達を襲う。悲鳴と苦痛を帯びた声が上がり、為す術のないまま数名が被弾してしまったようだ。
「なんてことするだ! おら達の命を何だと思ってるだ!」
「軽くはない、けれど私にとっては上総介様の命(めい)が重いだけ」
 また凍らされちゃったわ、と女は言い別の銃を構え、対して成実はの完全に隠すように庇い出て女を見据えた。
「魔王の妻は、銃の扱いに長け戦場を闊歩すると聞いたが貴女か」
「そうよ、私は濃。……貴方の後ろに居るのは独眼竜の大切なものかしら?」
「貴女にお引き合わせするには及ばない人だ」
「つれないわね。貴方の読み、正しいわ。けれどそんなに数は必要ではないのよ。私達が居れば」
 艶然と語る女に、最悪だ、と成実は舌打ちした。魔王の妻濃姫は一騎当千の婆娑羅者と名高い。彼女一人居れば村の殲滅など容易いのだ。成実も婆娑羅者であったが恐らく格が違う。なんてものと鉢合わせしてしまったのか。
「まさか独眼竜がここに居るとは思わなかったわ。けど確実に仕留めさせてもらう!」
 その言葉と同時に、ヒュンッとあらぬ方向から矢が飛んで来たかと思えば、また別方向から闇色の軌跡が襲い掛かって来る。 
「成実殿っ!」
 は悲鳴にも似た声を上げるが、成実は寸でのところで矢を弾き返し、軌跡を避けた。
「魔王の子か」
「へへーん、あったりー。お市様もいるんだぜ」
「……」
 皆が見上げれば、濃姫の左方と右方に弓を携えた少年と漆黒の髪が美しい物憂げな女が立っていた。彼らもまた婆娑羅者と名高い森蘭丸と、魔王の妹お市だと察すると成実以下伊達軍には一層の緊張が走る。
「そう、貴方『武の成実』ね? 貴方を消すだけでも奥州の戦力、削れそうね」
「そこまでの評価光栄だね。嬉しくないけど」
 思わず見とれてしまう程の凄艶な憫笑を浮かべたかと思えば、先程凍られたはずの大きな筒を構えた。
「ごめんあそばせ?」
ドドド……!
 といつきを弾いて成実も横に逸れるが、狙いは確実に、そして執拗に彼を追う。いつきは何とか逸らそうとまた槌を振るい吹雪を起こした。
「チッ!」
「成実殿っ!」
「にいちゃん! くっそーっ!」
「お前! 濃姫様の邪魔をするな!」
「っ! うぁああ!」
「いつきちゃんっ!」
 蘭丸が放った矢がいつきを捕らえ更に吹き飛ばし地に叩きつけた。いつきは腕から流血し、次の手が打てない。その隙にとばかりに銃口は正確に成実に向いて、彼の足を捕らえてしまった。粉雪の上に二人の血が転々と散る。
「――! くっそッ!」
 女達は悲鳴をあげ、は近くにいた成実に駆け寄った。逃げろと言わんばかりに成実は視線を送ったが、逃げることなど不可能だ。静かに首を振って懐の匕首を握る。
「成実様っ! 姫様!」
「このっ!」
「およし! この娘を傷付けられたくないなら、そこで静かになさいな」
「……動かないで……ね?」
 だが敵の銃口と刃は今度はを捕らえていた。はキッと二人の女を見据えて立ち上がった。

- continue -

2011-09-21

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