草木萌動(一)

「たまには外へ出ないか?」
 三月を過ぎて徐々に雪解けが始まり、居城の庭にも春の様相が見え始めた頃、木々を眺めながら政宗がそんな事を言い出した。
「よろしいのですか?」
「ああ、いつきの所に視察に行くんだ。若干遠出にはなるがいつきとはうまが合うようだしこんな時でもないと会えねえだろ?」
 意外な提案に驚きながらも、嬉しいです、と朱唇皓歯の笑みを綻ばせたに政宗は満足気に頷いた。
 考えてみれば、奥州に来て居城から一歩も出たことはなかった。上田に居る頃は兄や忍隊の長の目を盗みしばしば城下に出かけていたが、此処ではそんなことを気軽に頼める者も居なかったし、そもそもそんな気すら起こらず部屋の奥で沈むのがもっぱらであった。加えて奥州に来た経緯からみても出たいなどと言える立場にもなかった。
 それを遠出に連れ出してもらえるなど思いもよらないことだ。
「危険です。雪崩でも起こったら如何致します」
「傾斜が急な道は通らねぇし、此処と違って最北端の雪解けはまだだ」
「雪解けがまだならば尚の事、奥州の寒さに姫様はまだ慣れておられません。御身体に障りましょう」
「何も吹雪いてる時に行こうとは言わねえよ。道中に支城はあるし陣張って野宿させる訳じゃねえ。それにあっちに行けるのも今くれぇだしな」
 それは暗に春になればまた南へ侵攻するという事なのだろうか、政宗と小十郎のやりとりを窺いながらぼんやりとそんな想いが過ぎる。
 春が過ぎて、初夏を間近に控えたあの日、散っていった兄と甲斐の国、後二月もすればあの日から一年が経つ。

 結局政宗が意を通して、もいつきの住む最北端に行ける事になった。寒さがの身体に堪えては大変だと食い下がる小十郎に、温かければいいんだろうと政宗が口元を吊り上げて取った策は輿に乗せず、政宗と馬に同乗することだった。
「輿に一人で乗っても底冷えするだろ、なら俺の馬に乗ればいい」
 などと言う政宗に小十郎は溜息と頭を抱えて、その言葉に見え隠れする意図に気付いたはどう答えたものかと途方に暮れた。そしてそれもまた政宗が意を通すのだ。
 
「このほうが温かいだろう?」
 政宗の操る馬に乗せられ、そこに至る経緯を思い出すとは、はい、と答えるしかない。手綱を握る政宗の胸に身を預ける形で乗せられ、大人しくしていれば政宗の心音と体温が鎧越しに伝わり、この赤くなる顔を気取られぬようにと政宗を見ないのが精一杯だ。
 その番(つがい)といえば、居城を発って三日、前日も同じように乗せて移動したのに慣れないの様子が面白いらしく、
「前にもあったな、今日は互いが温石代わりだ」
 などというものだから、あの元日を思い出して顔が茹で上がりそうになるのだった。
「悪いな、鎧がなけりゃもう少し温かくしてやれんだが」
「御身を守るのも国主のお勤めにございます。お気になさらないで下さい」
 此度の件で小十郎の意が通ったことが一つだけある。それは政宗の身支度だ。
 当初政宗は、防寒具や陣羽織は羽織るものの、他は至極軽装で中に胴や篭手、佩楯さえ着込む気はなかったようだ。それを視察とはいえ危険すぎる、矢でも当たったらどうするつもりかと散々窘められて、兜こそ被らないが物々しい出で立ちになっていた。
 鎧を着た政宗の姿を見たのは奥州に帰還した日以来だ。こんな風に身を寄せるとはあの時は思いもしなかったものだが。
 彼が今身に纏っているのは甲斐攻略の折とは違う鎧で、それは気遣いからであったのか推し量ることは出来なかったが、気が少し軽くなるのを感じたのは確かだ。
 は、最初こそ冷たかった鎧が互いの体温で暖かくなるのを感じながら当初の自分達を当てはめて、人も鎧も一緒なのかもしれないわ、などと漠然と考えていた。
 防寒具である蓑を伊達男がこんなの着れるかと拒否した政宗は蒼い外套を羽織り、はその中に覆われている。自身も被衣を被っていたのだがそれだけでは耐えられまいと彼なりの心遣いらしかった。中綿入りの外套は暖かく、時折裾が捲れるのを防ぎながら、寒くはないかと問う政宗に、はほう、と息を吐いた。
「どうした?」
「あ」
「Um?」
「怒らないで下さいませね」
「なんだKitten、返事もしないで俺に怒られるようなことを考えていたのか」
 Jokeだ、と笑いながら言う夫に言葉の意味は分からなかったが機嫌を損ねたわけではないと思い至るとおずおずと言ってみた。
「あの、大きな外套に包まれてますと、てるてる坊主みたいだと」
「てるてる坊主だァ?」
 珍しく素っ頓狂な声を出した政宗に後ろに従う小十郎などは何事かと様子を窺う。
「奥州筆頭をてるてる坊主呼ばわりするのはアンタぐれぇだ。言っとくがアンタもその一部だぞ」
「そうでございました、人のこと笑えませんでした」
「そんなこと言ってると入れてやんねえぞ」
「困ります、お許し下さいませ」
 傍から見れば好一対の二人だ。此処に至るまでにどれだけ時間がかかったかと思い起こせば、側近達も感慨深く見守る。女を信用しない主君が、仲睦まじく接し気にかける様を見ることが出来るなど一生来ぬと思っていた彼らにとってはそれはもう言い知れぬ想いが胸に迫る。
 しばらくして、斥候からもう少しでいつきの住む村に着くと知らせに来た時、が視線を感じて見上げれば、心持ち何か考えあぐねたような政宗と眼が合った。

「はい」
「この前言いかけたことだが聞きてぇことがある」
「はい」
「いつかなんて言ってたが存外早く聞きたくなった」
「なんでございましょう?」
 疑心なく首を傾げる妻に夫は少し顎を引いて静かに問うてきた。
「俺は、――見せたくないところを全部アンタに見せた」
「はい」
「俺の仮面を簡単に剥ぎやがった、だがkitten、アンタの仮面はいつ脱いでくれるんだ?俺が剥ぎ取ってもいいのか? 俺に曝け出したくねえのはその身か、心か」
 政宗の鈍色の眸が自身を映す。只澄んだその眸はとても穏やかでその中に映るのは決して嫌ではない。政宗の言葉を反芻しながらはっとし、同時に彼の眸の中の自分が揺れていることに気付いた。
「あ……」
「アンタの気持ち、戻ったら聞かせろ」
 思いの外動揺するを胸元の引き寄せて、戻ってからでいい、と再度繰り返す政宗は穏やかで優しい。その為様に一層心が痛むのを感じた。

- continue -

2011-09-03

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