東風解凍(五)

 政宗の主殿で騒ぎがあって十日、綱元達がすぐに布いた緘口令が功を奏したのか人の口の端に上ることもなく、政宗の周囲はほっと胸を撫で下ろしていた。
今、政宗の目の前には、件(くだん)の側室の父が土気色の様相で平伏している。娘から聞いたのか、御付の者から報告が行ったのか、はたまた小十郎らから苦言を呈されたのかは分からないが、只管詫び頭を畳に擦り付けている。
 この男の家は曽祖父の代から仕える譜代であり、彼自身も父輝宗の代から長く仕えていた。娘を側室にと差し出すのだから多少の野心はあったかもしれないが、父の代からよく仕え働いたこの男が娘の無礼に恐れ戦き季節外れの冷や汗を垂らし伏せる様は哀れでもある。
 側室の様子を側近から聞いたが、あれ以来自室から出ず怯えているという。背である政宗から刀を突き立てられる程の不興を買い、この城で栄華を極めるどころか、命までも危うい。しかしながら側室という立場上勝手に城を出ることも出来ず、何時来るとも分からない政宗からの使者に何を言われるかと震え上がるしかないのだろう。
 男は許しを請うと同時に、側室を辞めて里へ下がらせたい、と言ってきた。娘の窮状を救うには、処断される前に下がらせるしかないと判断したらしい。
「その言葉だけで許されると思ってんのか?」
「ひ、筆頭っ」
「お前はどこまで把握している。娘が何をしたか知っているか」
「お、御目のことはっ! 幾重にもお詫び申し上げます! どうか! あれをお許し下さい!」
「そうじゃねえ、側室でありながら正室に対する度々の無礼、中傷、俺の堪忍袋の尾はとうに切れてんだ」
「中傷……」
 はたと動きが止まり、ついで男は目を大きく見開いた。もしや、と言いかけて更に白髪交じりの頭を畳に擦り付けた。
「お前の娘は正室の侍女を脅し手駒にして中傷の文を送り続け、あまつさえ許しがたい噂を流した」
 これはいよいよ許されないと男が怯える姿が見て取れて、時折垣間見るその様はあの夜の側室によく似ていた。
「やれやれ、把握してねえってことにしといてやる」
 あの夜、折り入って話があると言う側室を請われるままに受け入れたのは、行いを問い質すことと、後ろで誰かが糸を引いていないか見極める為だった。どんな言い訳が聞けるのかと思えば、出てきた言葉はそれはそれは殊勝な物言いで政宗に縋り付いて来た。愛していると、だからどんな姿でもいいと、その目を自分に見せて欲しいと。
 政宗は鼻白んだ。愛を語るその口で、裏では他者を追い詰め、罵倒し、嘲笑う。その行い物言いがこの世で尤も嫌悪する女を思い起こさせるには十分だった。
 に対することも無論だが、力ない侍女の、姉の嫁ぎ先への嫌がらせを盾に脅したことも許しがたかった。その侍女がを裏切ったと言い、暇願いを出したのは先日のこと。機転が利くと気に入られていた侍女であっただけに、喜多らも落胆していた。長く勤めていれば侍女頭にでもなったかもしれないし、器量の良い女であったから家臣の誰かに見初められることもあったかもしれない。侍女もまた、側室の浅はかな考えに人生を狂わされたのだ。
 すべては奥御殿で起こった事だ。手を貸していないのならこの男のせいではない。だが、娘をその様に育ててしまった咎は受けてもらわねばなるまい。
 男は真っ青だ。側室を辞めさせるだけで済む問題ではない。正室付きの侍女を脅し、正室に対する無礼、そして自身が聞いたときでさえ不快感を露わにしたあの噂、手討ちだけでは済まないかもしれない、最悪御家の取り潰しも在りうることと戦慄(わなな)く。
「まあいい、お前の願い聞き届けてやるよ。だが、条件がある」
「ま、誠に御座いますか!」
「この先誰と縁付こうが構わねぇ、だが、子は一切伊達に関わらせない。それだけだ」
「ひ、筆頭それはっ……」
 柳眉動かすこともなく淡々と語る政宗に対し、男は眼を見開いた。
 政宗の条件、穏やかそうに見えてそれは伊達の家臣と縁付くことを事実上認めないと言っているようなものだった。
 主君の側室を下賜される、個人の感情を考慮せぬのならこれは通常名誉なことだ。だが、この場合下賜された側室との間に生まれた子供は伊達家に関わらせない、これは伊達に仕えることもましてその中で出世することも出来ない。
 主君から睨まれるような子供をわざわざ作るなどしないだろうしそんな事をすれば家が絶える。余程の情でもない限り誰も受け入れ先にはなってくれないだろう。
 この側室に残された道は他国へ縁付くか、俗世を捨てるか。それでも伊達の勢力が強い奥州、甲州信州での婚姻は絶望的である。
「それ以上の咎めはねえ。お前は今まで通りでいい」
 一番最初に側室になった女だった。見目形も華やかで美しかった。自分の傍に上がった以上、抱かれ子を生すしか生き方がなかった。彼女なりに必死だったかもしれない。だがそれでも許してやれる程の情愛を持ち合わせるには終ぞ至らなかった。彼女からすれば至極身勝手な連れ合いだっただろう。
 主君の眸に一切の揺らぎのないことを察した男はがくりとうな垂れながらも、筆頭のご随意に、と答え力なく去って行った。ここで異を唱え家を潰すほど愚かな人間ではなかったようだ。

 男の後ろ姿を見送った後、小十郎は政宗に問う。
「政宗様、あれでよろしいので?」
「An?」
「あれだけで気はお済みになられましたか?」
「おいおい、いつも止めるお前がそれでどうすんだよ」
「そうせずに済みましたので他になにかお考えがあるのかと愚考した次第です」
 政宗は柳眉と唇と吊り上げた。
「件のことはいい口実になった。正室に対する態度があれでは後々子が出来ても厄介な女だと思ってたからな。現状はこれで十分だ」
 への中傷や噂で処断したなら、逆恨みとてあるだろう。なまじ家のあるだけに、感情のまま裁くことは出来ない。だが本人の失態で政宗自身の不興を買い奥御殿を去るのなら側室もその父親も少しは諦めが付くというものだ。
「これなら譜代の家臣を失わずに済むしな」
「御意」
「小十郎、今日は日が暮れるまで鍛錬だ、野暮は言うなよ?」
「仕方ありませぬな」
 畏まる小十郎から木刀を受け取って政宗は庭に出た。鍛錬場まで行っても良かったがその時間が惜しかった。
 一心不乱に木刀を振る政宗に小十郎は至極満足気に呟いた。
「政宗様はお変わりになられた」

- continue -

2011-08-31

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