東風解凍(四)

 昨夜はにとって目まぐるしさと、驚きの連続だった。想像だにしなかった政宗の片鱗を垣間見た。激しさもその愁嘆も。
 そうしてちくりと心を過ぎるものはなんなのだろう。あの人のことをもっと知りたいと。これではまるで思慕ではないか。
 書庫からわざわざ借りてきた書物も今日はどうにも手が付かず文机で飾りとなっている。そうして薄らと紅を引いた唇から切なげについて出るのは無論彼の人のこと。
「――政宗公……」
「Hey,Kitten. お呼びか?」
「!?」
「俺のことを考えたとは嬉しいねぇ。恋しくなったか?」
 驚いて振り返れば想い描いたままの政宗で、聞かれたことと恋しくなったかという言葉が反芻し気恥ずかしさで魚のように口をパクパクさせて慌てるしかない。対して政宗はといえば面白そうに口の端を吊り上げての横に座るのだ。
「貞観政要か、意外なもん読んでるな。何処まで読んだ?」
「いえまだ借りてきたばかりで。書庫を自由に使わせて頂いてありがとうございます」
「It doesn't matter」
「いっつ?」
「かまわねえって言ったのさ」
「そういえばそのお言葉は聞いたことが」
「Ah――、そうだな。Kittenが前後不覚で俺に縋りついて離さなかった夜の翌日に言ったな」
「――!!」
 多少の脚色と悪戯心でからかえば予想通り顔を赤くして固まる彼女に、政宗は笑いを堪えきれず声が漏れた。
「Sorry. 怒るなKitten. これで許してくれ」
 そう言うと懐から御料紙に包まれたものを差し出してきた。縦長の形状からそれが文か札であると察しが付く。拝見致します、と御料紙を開けると中身はやはり札であった。それに記された文字を読み上げては政宗を見る。
「『鎮西八郎為朝公御宿』……これは」
「疱瘡除けの札だ、小十郎に書かせた。あいつの家は神職だから多少は効果があるんじゃねぇか?」 
「政宗公……」
「このままアンタが疱瘡に罹ったら目覚めが悪ぃ、入り口にでも張ってな」
 昨夜、罹りはしないとは言ったし政宗自身も解っていると言った、にも関わらず、なおも政宗は懼れている。疱瘡除けの札に縋るほど過去に手痛い傷を抱えたまま。存在する札は彼の弱さを、脅えを如実に表している気がした。
 しかしはそれを優しさだと受け取りたかった。優しいが故に懼れているのだと。戦乱の世に国主の子として生まれた以上、天下を目指すのは当然であったし、戦もする。時として冷酷な判断もせざるを得ないし、竜と称され鬼神の如き戦いぶりも見せる。けれど、彼の家臣は皆彼を慕っていて、命を掛して付いて行く。それは彼の中に家臣や領民を思う心が確かに存在していて、皆がそれを感じているからだと。
 は胸元を締め付けられた気分になった。
「嫌でございます」
「Why?」
「もし頂くのであれば、鎮西八郎様のお名前ではなく政宗公のお名前で頂きとうございます」
 見上げるに、政宗は何を言っているんだとばかりに身を引いた。
「Hey,kitten. 俺は……」
「公は疱瘡に打ち勝たれました。その御方が書かれた御札は何よりの疱瘡除けになりませんか?」
「Ha! 片目失ってちゃ世話ないぜ」
「その傷痕は疱瘡の時と、お眼を抉られた時と、二つの闘いの赫々たる戦果の印だと私は思います」
「……」
「政宗公が御目にどれ程の想いを抱いておられたかは私には推し量ることは出来ません。けれど貴方様は隻眼でいらしても兄に勝たれました。奥州を栄えさせ甲州信州を手にされました。片方の御目だけでいつも遠くを、隅々まで見渡してらっしゃいます」
 政宗は五歳で疱瘡に罹って以来、己が目とずっと戦っている。疵も心も、苦しいから痛いからなお一層自分を強くあろうとしている。にはそんな風に見えてならなかった。
「その武勲に私も肖らせて頂きたいのです」
 そうして、駄目ですか? と政宗を仰ぎ見たのだった。

 対する政宗は何も感じぬはずの右目がチリチリと痛むような想いを抱きながら、妻に己が左目を据えた。
 実母から化け物と言われ続け、乗り越えようと思った心はいつしか歓喜も響かぬ寒々しいものになっていた。否、本当はずっと忌まわしいその声が心を蝕み蹂躙してきた。何も感じぬと封じ、粋は伊達者と言われることで自身を鼓舞し劣等感を押しやることですべてを隠してきたつもりだった。尤も、小十郎らはその虚飾を感じていただろうが。

 この女は――

 政宗は心中、天を仰ぐ。
 いとも簡単にそれをこじ開けてしまった。この忌まわしい傷痕を殊勲だと言う。昨夜は右目に触れ、今日は心の機微に触れてきた。
 何故、あんな出会い方をしてしまったのか。もし只の夫婦であるのなら掻き抱いて離してやらないだろうに。
 政宗は胸中に沸き出でる想いを自覚しながらの頬に、右の瞼に指を這わせた。は驚き頬を染めたが抵抗はしなかった。どうしたの、と言いたげに見上げる顔に一層気をよくした。
「――降参だ。判った、そこまで言うなら書こう。だが小十郎が書いたこいつも一緒にな」
「御札が多すぎると神様は願いを聞き届けて下さいません」
「そう言うな、俺は欲張りなんだよ」
「まあ」
「これが俺の最初の勝利の証だと言ったな? どうしようもなかった右目を今の形にしてくれたのは小十郎だ。……ならアイツが書いたものも飾れば効果は二乗だろ?」
「いっそのこと『片倉小十郎景綱公御宿』でも強そうですね」
「Haha! 本人は微妙な顔をするだろうな。それをすると成実辺りも書くと言い出しそうだから止めておいたほうが懸命だな」
 小十郎の困り顔が見れないのは残念だが、と続けて脇息に凭れ眼帯を外すと、は何も言わず漆の小箱を政宗の手元に勧めた。此処に置けと言うことなのだろう。
 その通りにして渡すと、彼女は邪魔にならぬよう文机に置いた。一拍置いてぽつりと政宗が言う。
、聞きたいことがある」
「はい」
「いや、今はいい。いつかだ」
「はい」
 一体何でございましょうか、と侍女頭が持ってきた茶を差し出しながらは頬を緩める。彼女の所作は悉く政宗の目を楽しませ、ある想いを抱かせる。
 こんな風に漸く笑ってくれるようになった、俺を恐れなくなった。この先ずっと伊達に在ると、俺の傍に居ると心は決まっただろうか。彼女は俺を受け入れてくれるだろうか。
 確かな証が欲しい。その唇で語り、その身体で示して欲しい。だが、只力ずくで手に入れるのでは駄目だ。一番渇望するのはその心なのだから。

- continue -

2011-08-27

「鎮西八郎為朝公御宿(源為朝の宿)」
↑こう書いて建物の入り口に掛けて置くと、疱瘡に罹らないというまじないです。
この宿札となった、源為朝(頼朝公の叔父さん)は、弓の名手として名高く、八丈島で疱瘡神を撃退し伊豆へ送還したと伝えられ、疱瘡除けの神として信仰されました。そこで、このような宿札が掲げられたのだといいます。
サイトを巡りましたが戦国後期から始まったまじないという話と江戸時代という話がありどちらかはっきりしません。
そういえばBASARA3で宗茂さんが鎮西八郎の名前を出してたような。