東風解凍(三)

 炭櫃からパチリと音がして、政宗はそちらを向くと火箸を手にした。
「盥持ってこさせるから目ぇ洗え。目ってのは弱いんだ、鍛えようがねえ。罹っちまったら俺みたいに醜い痕が出来るぞ、それだけならいい、最悪死に至る病だ」
「政宗公」
「――正直、疱瘡がアンタに移っちまったらと思うと居た堪れねぇ」
「十数年前に患われた病が移るとは思えません、本当に移ると思われてるのですか?」
「移らない、分かっちゃいる。だがな」
 万が一にも罹っちまったら取り返しがつかねえ、政宗はそう続けた。患った者にしか分からない恐怖が未だそこにある。もし本当にが患ってしまったら政宗はきっと這い上がれぬ穴倉に突き落とされるだろう。
「政宗公、御目のことは上田に在る時より噂で聞き知っております。このようなことを申しますとお怒りを買うかもしれませんが御目の痕、噂ほど酷いとは思えません」
「昔を知らねえからだ、熱で飛び出た右目は眼底から垂れ下がって化け物のようだった。小十郎の奴に短刀で抉ってもらってようやく人前に出れるようになった」
「た、んとうで、御座いますか」
 息を張るとは対照的に政宗は悠然と答えた。炭櫃の中で遊ばれた火箸はすっかり熱を帯びている。
「ああ、流石に死ぬかと思った。だが死ねないとも思った」
 もし自分が死んだ時は小十郎をはじめ、博役一同も後を追う、そういって頭を下げた彼らの顔を政宗は一生忘れないだろう。
 小十郎や綱元、そしてさほど年齢の変わらぬ成実や左馬之助、容貌醜く変わった自分を見捨てもせず叱咤し続けた彼らを死なせることなど到底できなかった。そして彼らと同様に見捨てず、愛してくれた父の期待を裏切ることも出来なかった。
 その期待は決して重荷ではなかった。
 ああそうか、と政宗は思い至る。
 多分自分は生きることに渇望している。それは天下取りという闘いの中に身を置くことで生を実感しているのだ。真田幸村という好敵手を得たとき、言い知れぬぐらい血が踊ったものだ。強かった。この漢を倒し必ず生き残ろうと強く強く想った。身が乾く程に。
 そんな鬱勃をくれた漢の願いだからこそこの娘を助けたのだ。だが―――
 それ故に、生きることを諦め、死に臨もうとしていたこの眼前の正室を腹立たしく思った。生きることを切望されていながら死を選ぼうとしたこの娘に叫びたかった。
 他者に望まれた生に何故簡単に幕引きができるのかと。
 だから彼女が死ねないと思う環境を作ったのだ。気付いて欲しかった、生かされているではなく生きることを望まれていると。

「まぁ……この痕になっても毛嫌いする奴はいたがね」
 アンタはどうだか知らないが、と言いかけた言葉は呑んで、忌々しい右目に触れた。
「アンタが言うように酷くない傷ってんなら小十郎に感謝しないとな」
 も知っていた、独眼竜は眼のせいで人前に出ず家臣より廃嫡されようとした時期があった。それを打開せんと傳役と師が説得し、自らが眼の摘出を行ったと。短刀で抉る、とまでは想像出来てはいなかったが。
 疱瘡の痕は忌々しい、だがこの傷痕は政宗と側近達との強い繋がりの証でもあった。
「片倉殿はすごい方ですね……」
「ああ、おかげで頭が上がらねえ」
「先程は心無いことを申しました、お許し下さい」
 政宗は、傷み分けだろ、と言いながら何も気にしていないと意図を込めるように手を上げた。
「いつになく強気なアンタも見れたし、そういえばこんなに話をしたことも無かったな」
「ご無礼を」
「アンタがああも言ってくれるなら……暫く外したままでもいいか?」
 はたと思い至ったのか少しはにかみ目を反らすに、政宗は自身の右目に触れながら問うた。すると反らした視線はすぐに戻ってきて微笑む様は花顔雪膚の様相だ。
「風に当てるのは良いことだと思います。気兼ねなくなさって下さい」
「ああそうだな、……まだ下がらないでくれ、暫く話していたい気分だ」
「はい」
 嘗て小十郎達に生かされた、図らずも今度は自身が生かす側になった。自分が生きることを望むように、この娘は今生きることを望むようになってくれただろうか。いや、伊達の女になる腹積もりは出来たか。聞いてみたい、その言葉が聞けなくても他愛無い話でも。
 荒ぶる心は表情と共に凪のように穏やかになっていた。
「御酒でもお持ちしましょうか?」
 跪座の姿勢でがそう聞くと、俺が言う、と制して政宗は立ち上がった。
「どうせ成実達が様子を伺ってるだろ」
「!」

 政宗が寝所や書院の間を抜け舞良戸に近づけばくぐもった声が耳に入る。近づけば近づく程声音は鮮明になり誰の声であるか予想は容易に付く。やはりか、と半ば呆れ会話を伺ってみた。
「なんか聞こえる?」
「いや、まったく聞こえねっす」
「悲鳴が上がってないから無体はしてないと思うんだけど」
「まさか太刀で一刺しっ……」
「莫迦! 縁起でもないことを!」
「――お叱りを受けようとも踏み込むか、御側室もそうだがことに御正室を手にかけるなどという事態になっては一大事。政宗様は天下をお取りになる御方、御名を貶めるような暴挙はお止めせねば」
 綱元らしき声がしてそれに同意する声が起こると、頃合かと政宗は勢いよく政宗様は舞良戸を開けた。
 瞬間、驚いた成実と左馬之助が盛大に倒れたが黙殺することにした。
「ぼ、梵!」
「政宗様!」
「騒がせて悪かった。成実、酒持って来い」
「ちょ! えぇえ酒!? 梵! 姫に無理強いはしてないだろうね! 俺嫌だから! 落花狼藉とかもう見るに耐え切れないから!」
「Ham?」
「いやちょ、だから」
「――政宗様、失礼ながら御目のものが……」
 小十郎のその声に成実も左馬之助も綱元も目を見張った。
「いいんだ」
「……梵」
「成実早く酒持って来い、と呑む」
「! ……お赤飯もついでに?」
「要ると思うか?」
「すいませんした」
 成実はそう言うとくるりと向きを変えて厨の方へ走り出した。持って来いとは言ったが何も自ら行くことはないだろ、と端に控える近習達を見ながら政宗は呆れた。
 一方、他の三人は成実の後ろ姿が心なしか軽やかなのが見て取れて何とも言えない心境になった。
 三人に大丈夫だ、と再度言い周りを見回すとすでに側室の姿はない。喜多や侍女頭も居ないことから彼女らが下がらせたのだろう。内側に視線を戻せばが遠慮がちに近く控えていて、その姿を留めるだけで不思議と沸き出でる苛立ちを霧散させることが出来た。
 やがて届いた酒を酌み交わし、会話の中でが酒に弱いと知ると今度潰れるまで呑ませてみようと不埒な考えを抱きながら政宗は舌鼓を打つのだった。

- continue -

2011-08-24

現在ではお赤飯はお祝いの時に食べるものですが昔は逆に凶事に食べるものだったそうです。
ノリで現代の解釈の”お祝い”の意味書いておりますのでご了承ください。