雪下出麦(五)

 去り際、喜多を呼び出し政宗は自室に戻った。そうして脇息に肩肘を付き、雪洞を弄びながら、自身が誇る二人の猛将に問うた。
「成実、左馬之助どうだ?」
「……怪しいのが一人」
「目の色が変わってたっすね」
「――! 奥に我らを伴ったのはそのような……」
「悪いな叔父貴、叔父貴まで来たとあっては内通者もさぞ慌ててくれるだろう」
 叔父貴は俺の後見だからな、とほくそ笑み、対して綱元は難しい表情で主君に問う。
「しかし、あの場で御側室の名を出されて良かったのですか?」
「かまわねえよ、は殊更譜代との関係が崩れることを怖れていたがな。俺としては、元々そんなに力のある家から召し出した訳じゃねえし。何か言うようなら正室に無礼を働き、子も上げず、国を挙げての戦を貶し双方の兵を侮辱するような浅はかな女なんて必要かって聞き返せばいい」
「すぐに処分しないだけでも梵にしちゃ温情采配だしね」
「侍女に内通者、か」
「考えれば簡単につく予想だけど、しょっくだね。喜多と侍女頭が身元も気立ても全部選りすぐって決めた子達だし、その時点では側室との接点もなさそうだったもんね。正直俺らの勘が外れてくれればいいと思っちゃうよ」
「嫌な勘ばかり働くっす」
「そう言うな」
 喜多と侍女頭が選んだ侍女たちは下賤な噂話を口の端に上らすことはしない。侍女の中でも上等な女たちに囲まれ、黒脛巾組が巡回しているにも拘らず、の周りに何度も投げ文が来ている。残念ながら外部からとは考えにくかった。
 成実と左馬之助は長年の付き合いから政宗の意図をすぐに察して、望む通り目星をつけた。女の口から側室の耳に入りそこでやめるならよし、言わばこれが最後通牒だ。
「これでどう出るか、これ以上続くなら俺も動くかな」
 眉間に皺を寄せる政宗に、近習が手配した茶菓子を手に取り叔父が手渡してきた。
「差し当たっては、噂を増長させぬようにするのが得策かと」
「だな」
「奥に同行するよう言われた時はどうしようかと思っておりました。考えても見れば確かに姫様にお話になるだけなら我らは要りませぬし、正直ご勘気が収まらぬ時はどうお止めしようかとそればかり。もう歳故、心の臓に悪うございます」
「Ha! 綱元といくつもかわらねえじゃねえか」
「珍しい梵も見れたから心臓に尚悪いかもね、姫が謝ったら梵急に弱くなるんだから俺ビックリ。あんな優しいの初めて見た、成長したね」
「伏せ目がちにあんな風に言われたら筆頭じゃなくてもぐっと来るから仕方ないっす」
「お前ら、貶すか褒めるかどっちかにしろ」
「えー茶化すで」
 茶菓子を口に突っ込んでやろうかと一瞬考えたが、叔父が笑ってるので止めにしておいた。今まさに非礼だと青筋を立てている小十郎が鍛錬の時にでも扱いてくれるだろう。

「で、だ。喜多」
「はい」
「お前の主君は誰だ?」
「面目次第も御座りませぬ。如何様にもご処分を」
「馬ー鹿、お前を処分したら小十郎もしなきゃなんねぇだろ」
「政宗様」
「あまり苛めると後が怖いからな、お前の謝罪はもういい。のこと、言われるままに只黙ってた訳じゃねぇだろ?」
「お見逸れ致しまして御座います」
 会話にも加わらず、ただ一人ピンと背筋を伸ばし神妙にした喜多に問う。その態度は侍女の内通を見抜けなかったこと、政宗に隠し事をしたこと、すべて言い訳する気もない意思の表れなのだろうか。喜多はそっと懐から何通かの文を取り出し、政宗たちの前に差し出した。
「これは?」
「例の投げ文で御座います。ご存知の通り姫様は当初ご自分で処分されておられましたが、政宗様のご指示で私共が気づくようになってからは、何も言わずに燃やすようにと固く言い含められておりました。これは、姫様が害された折に御身を守るものになるかと取っておりました」
 投げ文の内容は様々で、内通の話だけでなく兄幸村への中傷や政宗の渡りがないことへの嘲笑など乱暴に書きたてられており、政宗の不快感をまともに煽った。
 政宗の手から他の側近たちの手に渡った投げ文の内容に目を通した彼らの表情をも変える。それ程辛辣なものだった。
「文の内容は政宗様と親しげにしてるという噂が広まる度に酷さを増しました。ですが姫様は自分に対する中傷だから大事無いと、こうでもしなければ心が休まらないのだろうと御心に押し込まれて。……申し訳御座いませぬ」
「Ah――、謝罪はもういいって言ったろ?」
 だが、と政宗は続けた。
「お前を先に呼んで聞いときゃよかったぜ、先に知ってりゃ」
「いやー後からで正解だと思うよ、梵、今すごい顔してるよ? その顔で奥に行かせらんないわ」
 成実の言葉に政宗は一呼吸置いた。頃合を見計らって、綱元が進言する。
「噂の件にございますが、既に兵にも流れているようにございます、他の噂で消すにしても一つ釘を刺されるほうが宜しいかもしれません」
「Shit! 厄介だな。考えなしに莫迦な噂流しやがって、底が知れるぜ。喜多に女の趣味が最悪だって言われても文句言えねえな」
 半ば押し付けられた女たちではあったがのさばらせた責は他ならぬ自分にある。
「蹴落としてでも寵を得ることがあの方々のすべてなのでしょう」
「女の子って怖いっす」
「うちの奴らへの火消しは成実、左馬之助頼むぞ」
「任して!」
「一門や家臣団にも伝わってるとみていいだろうな」
「左様ですな」
「叔父貴、小十郎、綱元、頼む」
「心得た」
「御意」
「政宗様、如何様な主旨の噂を流しましょう? 分かり易く姫様を庇うような話ですと皆逆手にとってしまいます」
「そうだな、なら俺が怒っている、と」
「? しかしそれでは」
「まあ聞け、俺が怒ってんのはこの噂は、俺や伊達軍そのもの、そして甲斐の虎、若子、武田の領民すべてへの侮辱だってことだ」
「政宗様……」
「戦が始まる前どれだけ周到な準備をした? 武田を滅ぼすのにどれだけの人間が死んだ? あの決戦の日、俺達がどれだけ命掛けた? 武田は簡単に倒せる相手だったか? 違うだろう?」
「まことに」
「付け足しておいてくれ、俺はこの噂を流した奴に一遍の情けも掛けねぇ。男だろうが女だろうが、重臣であろうが足軽であろうが、敵であろうが味方であろうが。そういう奴は味方だとは思わない。尤も、武田と雌雄を決するまでの戦見てる奴なら口が裂けてもそんな噂は流さねえだろうし考えも及ばねえだろうよ」
 それは武将としての本音だ。武田との戦は今までのどの戦よりも厳しかったし神経をすり減らした。ただ安穏と手に入れられた勝利ではないのだ。武田との戦には殆どの将兵が同行していた。彼らが自分と同じように戦ったならそう思うはずだ。

 手は打った。政宗は動向を見守りながら暫く行動を起こさないことにした。

- continue -

2011-08-11

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