政宗がの部屋に着くと既に席は用意されており彼女は下座に座っていた。横に座れと指示して驚くの手を取ってそのようにさせると、政宗の来訪と行動に虚をつかれたは疑念をそのまま言葉に乗せた。
「わざわざのお越し、痛み入ります。あの、何事かございましたでしょうか?」
「何事かあったから来たんだよ、何事もなくても来てえんだがな」
意外な物言いだったのか、意図を量りかねたは首をかしげた。成実らしき声がして、来ないのは梵じゃん、と聞こえた気がしたが黙殺することにした。
「Hey,kitty. 最近領内にアンタに関するある噂が広まっているのは知ってるか?」
「噂、…………は、い……」
「どんな噂か、言うのは野暮だな?」
は顔を伏せて眼を逸らした。しかしながら追随の手を緩めて見逃してやる気など政宗にはない。
「何故黙っていた」
「……埒もない噂にございます」
「本当にそう思うか?」
「……」
「俺じゃ気が許せないか?」
「公……そんな」
そう返すも、は言葉が続かず黙り込んでしまった。彼女の眸は揺れていてその動揺を大きく物語っている。
「政宗様、畏れながら……」
「今はに聞いてんだ。、分かるな?」
喜多の助け舟を制止して政宗の左眼はなおも妻を捕らえて離さない。政宗を見上げる、瞳には逃げられないという恐れと困惑の色が混じる。
「質問を変える、どうやって知った?」
顔を背けるを逃がすまいと彼女の両腕に手をかけた。政宗が何か無体なことをするのではないかと一瞬喜多や成実の空気が変わるのを感じ、心中悪態をついた。
「」
「……投げ文が、ございました……」
政宗が一瞬喜多をちらりとみれば、この傳役は静かに頷いた。
「内容は?」
「政宗公が仰る噂と恐らく同じでございます。私が上田に在る時より奥州に内通し、……そのせいで武田が滅ん、だと……、私はその功でお傍に侍っていると」
「何故俺に言わない、喜多にまで口止めして」
ギリギリと奥歯を鳴らしたい衝動を抑え努めて冷静に問う。
「投げ文の相手に心当たりがあるな?」
「……ある、だけにございます。確証はございません」
「あえて確証を得なかったんだろ」
居た堪れなさそうに瞼を伏せる彼女に政宗は静かに息を吐き、一度天を仰いでまたを見た。
「俺も目星は付いている。側室のうちのだれか、三人の共謀か……」
「!!」
「ま、政宗様!」
「梵!」
「筆頭!」
「そうだろう?」
小十郎はじめ側近も後見の政景も、よもや此処で側室の名を出すとは思わなかったらしい。流石に侍女たちにも動揺が見て取れた。
本来これは秘密裏に運ばれるべきことだ。正室への醜聞ともいえる噂に側室が関わっている。国主が懸念するほどの案件だ。付きの侍女とはいえ、それを国主自らから聞かされるなどそうそうあることではない。それ故に今女主人の身に起こっていることがどれほどの事態か推して知るには十分だった。
侍女らは息を呑み、政宗に腕をとられ弱弱しく袖で口を覆うを見る。
「隠すな、」
は観念したように眸を伏せたまま頷き、なかなか弧を描くことをない唇を小さく動かした。
「……ご側室方は譜代の娘、事荒立てれば沢山のものに傷が付くと思いました。まして御領地に比例して新参が増える今、私への中傷で譜代との間に溝を作るような真似は出来ません」
「アンタ……わかってねぇよ、その噂、裏を反せば真田幸村は身内の内通も見抜けなかった阿呆だとせせら笑って死者を、日ノ本一の兵と言われたあの男をも侮辱しているんだぞ!」
は耐えられぬ聴きたくないとばかりに勢いよく頭(かぶり)を振るい、その為様が婚礼の夜の彼女を想起させた。
「わかって、おります」
「なに?」
「けれど……奥の女子の些細な小競り合いと胸の内に仕舞えば生きている者は何も傷つきません」
「なにも? アンタはどうなる! 俺は自分の正妻を傷付けられて黙ってろってのか! 俺はアンタを生かすために此処に連れてきた。こんな風に槍玉に挙げさせるためじゃねぇ!」
「政宗公……」
「やっぱり判ってねぇよ、、この話放置すれば甲斐にも流れるだろう、手に入れたばかりの領地だ、当然武田を懐かしむ者もいる。俺に反発する勢力の耳にでも入ったらアンタの命も危ういんだぞ! そうなったとき、どれだけの人間がアンタの身を案じると――」
「……ごめんなさい」
「――!」
「ご容赦下さいませ」
鼓膜に響く許しを請う声音は最後には消え入りそうで、政宗に握られた細い腕は抵抗することもない。抵抗でもする勝気な女ならまだ怒鳴りつけもしようが――。
政宗は手の中の妻を凝視し、やがて自身に溜まった怒気を霧散させるかのように息を吐いた。
この娘は聡い、以前に成実が言ったように武家の娘としては上等な部類だろう。自己の感情より家を優先し今まで彼女が事を荒立てなかったが故に対処しやすいのも確かである。 ねっとりと猫なで声で強請る女共とは雲泥の差だ。だがいつまでもこれでは心配は尽きない。
「Ah――そんな顔をさせたい訳じゃねぇよ。腹は立つが事を荒立てないって判断は間違ってねぇ。だがな口止めまですることはない。俺に言えないネタなら喜多や小十郎にでもそれとなく言え。綱元や留守の叔父貴でもうまくやってくれる」
「ちょ、俺たちが抜けてる!」
「お前と左馬之助は暴走すんだろ、薦めれねぇ」
「酷いっす!」
「お前らは話し相手とか護衛だな」
「!!」
成実ら二人は十分だ! とばかりに拳を握り眼を輝かせた。政宗はもう一度を見る。
「多分そうやって自分の内に押し込めるのはアンタの性分なんだろうな、まあすぐには直らねぇか。――博役始め付きの者はがそのような行いをする節を見止めたら今後諌めるように」
幾分冷静さを取り戻した政宗にほっとしたのか仰々しく頭を垂れる侍女たちを尻目に、内心溜息を付きながら思案する。
「まったくアンタは危なっかしくていけねぇ……。俺の顔なんて見たくもないだろうと思って此処に置いたが何するかわからねえ。このまま、という訳にもいかねぇな、――そうだな……、アンタは近くに置くことにする」
「――!」
「主殿の俺の居室のニ間先、あそこなら広いし造作もいい。明日からそこに移れ」
「政宗様! 畏れながら御主殿ではお小姓や殿方に姫様の姿を見られることがあるやもしれませぬ!」
「昼はどうせ政務でいないし、夜はまぁ成実達と騒ぐこともあるだろうが我慢してもらおう」
喜多が思わず声を張り上げた。彼女の言葉の裏にはが近くにいる場所に側室たちを呼ぶ懸念があるに違いない。もう呼ぶはずもないと、喜多を一瞥する。
「あの、政宗公」
「An? どうした?」
「私が今お傍に移ればまた噂を増長させることにはなりませんか……? 公にも不名誉が掛かります」
「これ以上流布させる気はないし、気になるなら別の噂を立てりゃいい。相手がぐうの音もでねぇくらいとびきりのな」
噂を流すのは存外簡単なことだ、そう思いながら困惑顔のの顎をついと上げる。
「Hey,kitty. こいつは隠し事をしたアンタへのちょっとしたお仕置きだ。反論は許さねぇよ、You see?」
ほんの少しだけ潤んだの眼は大きく見開いて政宗を見る。余裕ある男の顔で口元には薄く笑みを湛え、政宗はまた明日なと言うと隙のない所作で立ち上がった。
- continue -
2011-08-06
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