雪下出麦(三)

 翌朝、自身のおぼろげな記憶と侍女頭から聞いた話で赤くなったり青くなったりしたは覚束ない足取りで政宗の許に来た。昨夜はとんでもないご無礼を、と言う顔色の定まらない彼女に政宗はこう答えた。
「It doesn't matter.(問題ないさ)子猫ちゃん」
 
 それからと政宗の仲は改善の兆候がみえた。ほんの数度ではあるが茶の席にを呼んだり、政宗が話しかければ彼女も含羞みながらも穏やかに応えるようになっていた。
 しかしながら彼女は遠慮がちでまだ心が解けきっていないのだと、それは自分も同じで、二人の間にはまだ壁があるのだと、そしてその原因は自分だとも理解していた。急ぐことはない、政宗はそう思っていた。
 二人の間に穏やかに時が過ぎることを、政宗もその周囲もそう望んでいた。
 だがそれを拒む者はいて、政宗を憤激させることになる。

 事の起こりは一つの噂だった。
 ”真田の姫であった姫は以前から奥州のとある筋と通じ内情を漏らしていた。そうでなければ甲斐、信濃が簡単に落ちるはずがなく、重用されていたとはいえ一家臣の娘が武田滅亡後、手厚く遇されるはずがない。”
”調略を批判する訳ではない、しかしながら自国が滅んだ後厚顔にも敵方の正室に納まる姫はいかがなものか。大層可愛らしい顔をしてるらしいが女子とは容貌と腹の中が似ても似つかぬものよ。”
 いつの頃からかそんな噂が伊達領内に流れ始めていた。珍しく眉間に皺を寄せた叔父政景と綱元からこの件を耳にした政宗は、手にしていた茶器を何処へなりとも投げつけたくなる衝動を必死に抑えた。
 国主としての政宗も、の背としての政宗も当然許容出来るものではない。周囲に当り散らすようなことはしなかったが心中は一触即発、側近達もそれは同じであった。
 信濃を、甲斐を攻略するのにどれほどの労力が掛かったことか! 忍びをつかった熾烈な情報戦、騎馬隊攻略の為の兵の運用、鉄砲隊の強化、その為の資金と物資の確保、そして甲斐の虎と虎の若子との闘い、どちらも己が命を掛けて手にした勝利だった。それを簡単に落ちたなどと!
 政宗は渦巻く怒気を表すまいと息を吐きながら側近達に問うた。
「……はこのことは?」
「畏れながら、随分前からご存知でした」
「! 何故俺に報告がねぇ!!」
「姉曰く、固く口止めされているとのこと」
 政宗は盛大に舌打ちをした。
「喜多も喜多だ! 主君は俺だろう!」
 いくら喜多でも流石にそれでは政宗の心は治まらない。もう一度何か言ってやろうと思ったがふと一つの疑問が過ぎる。
「まて、の耳にこの噂はどうやって入った?」
 奥御殿に居て外に出ることのないの耳に何故この話が入ったか、彼女の周りに口の軽い侍女など置いていない。喜多、侍女頭が選定して集めた侍女たちだ。
 奥を取り仕切る正室がお付の侍女以外と話すことは多々あると思うが、手紙の騒動以来喜多の息が掛かった歴戦の女達が殊更警戒して傍についている。このような下賤な話、お付以外の侍女の口の端に上ることはあってもそれから先、の耳に入れるなどまずありえないのだ。
 そう言われて小十郎も眉を顰めた。
「……の所へ行く」
「政宗様!」
「お前らついて来い。俺がキレたら止めろよ? ……叔父貴も頼む」
 名指しされた当の政景も、小十郎はじめ他の者も一様に驚く。叔父は訝しむことも探る風なこともなくただ悠然と頷いた。
「心得た」
 奥御殿への道すがら、政宗は思う。
 埒もない噂だ、と言われればそうなのだろう。しかしながらこの噂はの心を抉るには十分だったに違いない。どんなに傷ついたことだろう。
 攻め奪う側だった自分とは違い、攻められ奪われる側だった、奥州に来て、気心知れた者もおらずましては自分も傍に居てやらなかった。亡国に思いを馳せる事でしか気を紛らわせることが出来なかった日もあっただろう。
 そんなあいつにこの中傷は余りに酷い、国を思い出すたびにこの暗い噂は心を蝕んだだろう。考えてみれば武家の姫だと言っても、十六の娘だ。今年十七だったか。それでも一人矢面に立たせるには忍びない若い娘だ。
「よくも抉ってくれたもんだ」
 政宗は右目の奥がちりちり痛むような感覚を覚えた。

 日中の突然の来訪に政宗のみならず、側近や後見人の政景までいる光景に奥御殿の入り口を預かる侍女たちは大慌てで何か粗相があったかと真っ青になって首を垂れ、初老の侍女が恐る恐る口上を述べる。
「殿、如何なされました?」
「悪ぃが、付きの侍女、一人残らず集めてくれ」
姫様と姫様付きの者達ですね。ただ今」
 自身らの粗相ではない、と内心安堵したのだろうか、最後には愛想笑いを浮かべて皆足早に奥へと去って行く。
 政宗は足どりを早めることも遅くすることもなく妻の居室へと向かう。その後ろで側近達は息を呑んでいた。

- continue -

2011-08-03

 亡国の姫が厚遇される、と言うことは実は結構あったみたいです。
一説には滅ぼされた家の者らが怨霊化し、勝者の家を呪うことがないよう生き残りの娘を迎え大切にし菩提を弔うという側面があったとか。子が生まれれば当主になることもありますし、一概に、敗者の娘が側室になる=可哀想、と言う訳ではないみたいですね。
 でもやっぱり家を滅ぼされたら複雑でしょうね。昔の感覚というのは分からないです。