雪下出麦(一)

 明けて新年、北の大地は一面を白銀に支配され、寒さの中にも何者にも勝るとも劣らない美しさを見せている。
 前年は甲斐の武田を討ち果たし、天下にその存在を知らしめ大きく躍進を遂げた。そして新しき年を迎えた喜びに国も城内も大きく賑わっていた。国主としての政宗も家臣領民の期待に応えるべく、領内には酒を振舞い、城内では盛大な宴を催すこととした。
 主要な家臣が集まる新年の行事であるから当然正室のも顔を出さないわけにもいかない。出しても居た堪れなくなるのではないかと憂慮し、それとなく前日喜多に様子を聞いてみると、特に気後れすることもなく支度をしているという。
 内心安堵し、新年の挨拶から始まる行事を早朝よりとこなした政宗であったが、宴の始まる夕刻になると喜多よりの具合が良くないとの報告を受けた。
「そういえば余り顔色が良くなかったな、何かの病か?」
「畏れながらその、月の障りにて」
 政宗は、ああと頷き少し声音を変えて問うた。
「酷ぇのか?」
「はい、僭越ながら姫様のお月のものは重いように感じます。ご出血も多く先頃の障りの時は、眩暈を起こされて臥せられた由、此度はお痛みも酷くご移動もままならないご様子でしたで憚りながら喜多がご参席をお控えするように申し上げました」
「そうか、気にせずゆっくり休むように言ってくれ。それから無理はするなと」
「はい、承りまして御座います」
 喜多が下がった後、政宗はなんとなく面白くない気分になった。昼間言ってくれれば良かったものを、という想いと交差するように、何故自分は気付かなかったのかという不甲斐なさを感じたからだ。
「Coolじゃねえな」
 脇息に肘を掛けてやれやれ、と独り言ち手にある雪洞を閉じた。

 宴の始まりには加減が悪く休んでいる、正室がいなくて悪いが皆楽しんでくれ、と伝えると伊達軍の血の気の多い者らからは残念がる声と、心配する声が上がる。
 他家臣からも心配する声が多々あったが、そのうちの何割かは正室に取り入ろうとするものやを値踏みする者もいるだろう。いっそ、必要以上にを晒す事にならなくて良かったかもしれない、と思えば横に居ない彼女に会えない時間も許容できるというものだ。
 だが、自分の横、本来が座る為に空けてある場所に、側室達が我先にと群がるのには正直辟易した。
「御正室様、お出ましになれなくて残念でございますね。せっかくのお正月ですのに」
 という言葉が、元旦に体調を合わせられないなんてと嘲笑するかのように聞こえ内心不機嫌に、そして鼻で笑いたくもなる。どの口が言うのか、と彼女達がに対して何を言ったかも把握している政宗には耳に毒以外の何者でもない。
 無言で酒を呷り時が流れるのを待っていると、無礼講の気安さか意図的な策士か微妙な所ではあるが、すっかり出来上がった成実と左馬之助が側室はじめ周りの注意を集め始めた。内心ありがたく、機を見計らい宴から抜け出すと一息吐き、今日は珍しく素直にの所へ行ってみよう、と奥御殿に足を向けることにした。

 夜の帳が降り、その暗がりの中にも真白の雪はその美しさを主張する。夜に浮かぶ雪の美しい様は北国ならではの特権であろう。
 歩を進めながら政宗はを想う。
 始めは真田幸村への最大の敬意から保護した。傍に置いて静かに暮らしてくれればいいと思うだけの女だった。だが今は。
 考えてみれば、これほど伊達家にとって無害な正室はいない。だが政宗個人にとってはとてつもなく有害だった。なにせこの手の女は扱ったことがない。
 自分の命を絶つ気概はあるくせに仇の命を絶つのは恐ろしいという。婚礼の夜、口だけかと寝たふりをして様子を伺えば褥から抜け出して啜り泣いていた。自分に見せる涙はないと宣言した通り襖まで逃げて匕首を握り締める弱々しい後ろ姿に苛立ちと罪悪感を多少なりとも感じたのは事実だ。
 あの苛烈極まりない好敵手とは似ても似つかない。あの熱さはなくとも、多少の激しさはあるだろうと思っていた。
 初めてその姿を見たあの日、命を絶とうとするその為様に一瞬だが真田家の血のその片鱗を感じた気がしたがあとはどうだ。頼りなげで儚げ、本当にあの男の妹かと思う。正直似過ぎても適わないが、ここまで予想を超えると不本意ながら戸惑いの念を隠せない。
 あの性格を把握した今となっては、正室にすると言ったあの夜、そして婚礼の夜、もう少し言い方があったであろうかと、多少なりとも悔いた。女に関して無頓着だった自分がだ。
 近しい者はその様を物珍しいものを見るかのような視線を送ってくる。成実などはからかいたくて仕方ないのだろう、露骨にの話題を出してくるのだ。
 だが今更どうしろというのか、言った言葉は本心だった、今更取り消してなかったことにするのも都合の良すぎる話だ。
 考えがまとまらぬまま、また婚礼の夜の正室の繊細な顔が思い出された。
 なんて壊れそうな顔をする女なのだろう。
「……真田が心配するはずだ」
 政宗は以前にも言ったであろう台詞を呟く。彼は今自分がどんな顔をしているか知らない。

- continue -

2011-07-27

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